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2012年11月16日 (金)

中川右介 著『山口百恵――赤と青とイミテーション・ゴールドと』(朝日新聞出版刊・12.5.30)

 山口百恵が、引退して三十二年経ったことになるが、わたしにとっては、女優としても、歌手としても、いまだに燦然と輝く存在である。百恵以前も、以後も山口百恵以上の存在をわたしは認知することができないでいる。考えてみれば、本書の著者も指摘していることだが、これまで、山口百恵を論じた単著が、意外にも少ないことに不思議な思いがする。平岡正明の二冊の著書(『山口百恵は菩薩である』、『菩薩のリタイア』)と、四方田犬彦編著のもの(『女優山口百恵』)を入れて三冊のみなのだ。平岡の著書はリアルタイムで読み、それなりに首肯できるところもあり、いつもの平岡節も快調で、面白い分析ではあったが、どうしても、相容れない重要なファクターがあって百恵論としては、駄目だといわざるをえない。それは、美空ひばりを起点として百恵を論ずることの錯誤と、菩薩に昇華させようとするある種のオカルティズムといっていい。例えば、小林秀雄や丸山真男を起点として吉本隆明を論ずるようなもので、そもそも、視線が違っているのだ。むしろ、平岡やわたしより年少でもある本書の著者の方が、遙かに苛烈なアプローチをしている。著者の視線によれば、百恵は、「日本史上、ただひとり、その勝利がたとえ一瞬のものだったとはいえ、真に成功した革命家だった」となるのだ。何を持って、「革命家」と捉えたのかといえば、それは、「国家」に対峙したという意味であり、まさしく真っ当な解析だと思う。つまりこうである。78年5月に「プレイバックPart2」が、同年11月に「いい日旅立ち」が、シングル盤として発売された。同年12月31日、NHK「紅白歌合戦」で史上最年少(19歳。この記録はいまだに破られていない)で、紅組のトリとなる。「いい日旅立ち」は、周知のように旧国鉄のキャンペーンソングである。国鉄には予算がないから、「勝手に作ってくれ、それを国鉄が後追いするから」ということを当時の電通のプロデューサーの話を紹介しながら、国鉄からは、百恵側に一円も払わない代わりに国鉄のコマーシャルで「いい日旅立ち」の宣伝がなされることになり、百恵がTVで歌えば、国鉄の宣伝となるわけである。いわゆる、タイアップ曲ということで、あくまでも、「日本国家の国営企業にして、日本最大の巨大企業『国鉄』と山口百恵は対等の関係になった」のだと、著者は捉える。「プレイバックPart2」には、有名な「真紅なポルシェ」という歌詞がある。それまでNHKは、例え、「紅白歌合戦」でも、固有名詞が出ることを禁じてきたのだ。しかし、「全国民が注視するなか、山口百恵はしっかりと『真紅なポルシェ』と歌ったのである。普段は役所の言いなりになっても、祝祭の場ではそうはいかない。芸能が官僚主義を打ち破った瞬間だった」と著者は見做す。これが、「鉄道と電波を制圧するのが革命の条件だとする」著者が、百恵を「革命家」とする所以である。もう少し、付言するならば、著者は、このようにも記述していくのである。勿論、わたしには、異論のない捉え方だ。
 「ついにこのアルバム(註・『17才のテーマ』、この四カ月後に、他の三曲と共にアルバムに収録はずだったが、シングル盤として『横須賀ストーリー』が発売される)で歌謡曲の革命の担い手と出会った。阿木燿子と宇崎竜童である。以後、山口百恵は伝統と革命の両方を同時進行させるという日本芸能史の奇蹟に向かって邁進するのである。」
 しかし、本書の魅力は、百恵デビュー前史として、戦後の芸能プロダクション(ナベプロ以後)の流れとテレビメディアと音楽業界の関係を描写していくことによって、かつての遊行漂泊的下層民という芸能集団(現在もまったく、そういう相を払拭しているわけではない)から、ビジネス化(つまり消費資本主義化)した芸能の世界を「アイドル」に表象させて解析していくところにある。と同時に、様々な資料を駆使して「内」なる百恵も浮かび上がらせていくのだ。例えば、映画『伊豆の踊子』に出演した後に、共演者・三浦友和との映画雑誌での対談で、「身につまされちゃったの。だって、私たちだってあの〝かほる〟と大差のない仕事をしてるわけでしょう。歌手だとかタレントなどと呼ばれているけれど要は芸人なんですものね」という百恵の発言を引いている。映画では、著者も述べているように、「村の入り口に『物ごい旅芸人村に入るべからず』との立て札」がはっきりと映し出されているからだ。
 こうして本書は、山口百恵をめぐって「内」と「外」からの視線を重層的に射し入れることによって、デビューから引退までをドキュメントふうに綴りながら、鮮鋭に「総体としての山口百恵」像というものを際立たせているといってもいい。
 それにしてもと、思う。本書で引かれている様々な媒体で発言している百恵の言葉にただ納得する自分がいることに気がつくのだ。『蒼い時』は、残間里江子の聞き書き説もあったのだが、著者は、百恵自らが書いたことを丹念に傍証している。わたしは、知らなかったが、引退の日(80年10月15日)の「記者会見で、山口百恵は歌と映画のそれぞれで一番好きなものとして〈横須賀ストーリー〉と『伊豆の踊子』を挙げた」という。
 やはり、山口百恵は屹立した存在である。
 最後に、わたしの百恵の〈歌〉ベスト3(アルバムなら『百恵白書』を挙げる)と〈映画〉ベスト3を挙げておきたい。「夜へ」、「曼珠沙華」、「歌い継がれてゆく歌のように」、『天使を誘惑』、『伊豆の踊子』、『霧の旗』(三本目は、時に『春琴抄』や『潮騒』に入れ替わる時がある。ちなみにワーストは『古都』)である。著者も捉えるように、百恵にとって大きな転換点となった「横須賀ストーリー」を初めて聞いた時の衝撃は忘れたことはない。

(『図書新聞』12.11.24号)

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