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2012年5月26日 (土)

西川徹真 著『弥陀久遠義の研究』                (黎明学舎刊、茜屋書店発売・11.12.25)

 親鸞が提示した教理的理念(浄土教理)を、「偉大なアジア的な思想」(吉本隆明)として捉えるならば、深淵なる世界を見通したいという欲求をわたしなら抑えることができない。もとより、わたしの親鸞への入り口は、吉本隆明の『最後の親鸞』(76年刊)によってだが、生家が浄土真宗だったという機縁もある。無宗教であることを自認していても、「死」をめぐる想念、いうなれば、死と生の往還を内在化させようとする人間の感性とは何かということもまた、わたしにとって、関心の対象としてあることを、その理由に添えてもいい。
 極北の地で屹立した俳句による詩世界を創出し続けてきた西川徹郎は、本名の徹真として浄土真宗本願寺派正信寺の住職を荷い、本願寺派輔教でもある。八歳の時に、病気のため四ヶ月間、自宅で療養したという。その時、「病室に当てられた(略)部屋には」、正信寺住職であった「祖父證信の太くて強い毛筆で、芭蕉や一茶等の発句や親鸞の主著『教行信証』の正信念佛偈や『信巻』の一二嘆名之文が襖や枕元の屏風に揮毫され」いたの「を暗誦しつつ幼年の日々を過ごした」(斎藤冬海編「西川徹郎年譜」―『西川徹郎全句集』)とされている。既に、この時、西川にとって親鸞の言葉は、滲み入るように深奥へと感受していったに違いない。西川は、表現者としては、『銀河系通信』(『銀河系つうしん』という誌名で84年に創刊、現誌名に変えて、19号まで刊行)を、その拠って立つ場所としてきたが、もうひとつの場所として、01年に創刊した、『教行信証研究』という雑誌がある。現在、三号(09年刊)まで刊行しているが、例えば西川は、「『正信念佛偈』造偈の所由」と題した論文を三号に掲載している。この研究誌での所論は、「特別に師もなく独学で」、三十五年間、親鸞の主著『教行信証』を通して真宗学の研鑚をしてきたことの結実であり、さらには今冬、「浄土真宗本願寺派の司教請求論文」として「総局へ提出した論文」を、「一般の読者の為に可能な限り読み易くするべく、(略)四五〇枚の論文に改編し」(「後記」)て刊行されたのが本書である。
 弥陀久遠義とは、「浄土真宗の本尊阿弥陀如来に就いての佛心論であり、浄土真宗の立教開宗に於ける高祖の如来観と経教観の確立に関わる根本教説の一つである」(「序章 本研究の目的と主旨」)という。わたしは、もちろん真宗学徒ではないし、信心から遠くありながらも親鸞の思想世界に共感を持つ立場でしかないから、西川渾身の著作を訳知り顔で論評するわけにはいかない。それでも、接近できる方途としては、吉本による概念を援用するならば、西川にとっての「信の構造」における「詩性」あるいは、「詩精神」(小笠原賢二)の核心に出来るだけ視線を射し入れて、読解していくことに尽きるように思う。とすれば、ここでモチーフとなっている「久遠」という概念に、自分なりの思いを持っていかに近接しうるかということになる。
 「久遠とは但に久しく遠い古佛をいう言語ではなく、(略)大涅槃・真如法性の大悲の力用により出現した佛身であり、真如を体と為す法身であることを顕す」(「同前」)というのであれば、存在性と時間性をある意味、転倒させた概念として考えていい。西川は、「久遠の弥陀が相対的概念的存在ではなく、相対的時間的存在の概念を超越した絶対的存在である」としながら、次のように論述していく。
 「佛教に於いては、絶対的存在と相対的存在の関係性は単に対立概念として存在するのではなく、絶対は相対に対して常に超越的包攝的存在であるというべきである。それは喩えば水波の如き関係性である。(略)海水のその儘が波濤となる故に海水即波濤であり、波濤のその儘が体に帰すれば波濤即海水である。しかもその波濤の一濤一滴はその儘が海の全体を顕す故に当体全是である。しかし如何なる波濤も海全体を超えることは出来ない。(略)故に海水は絶対、波濤は相対の譬えである。(略)すなわち(略)久遠の弥陀とは、(略)苦者救済の活動体となって用く如来大悲の源泉にして源流とも名付けることが出来るだろう。」(「第二章 弥陀久遠義の必然的根拠」)
 「第三章 『教文類』の『述文賛』引文の根本的理由」で「『即如来ノ之徳ナリ』―『ノ』の一字加点の意味」という項目がある。『教文類』のなかに掲出されている憬興師の「三句の釈」のうちの一つ、「即如来徳」を親鸞が、「即如来ノ之徳ナリ」と「ノ」と「之」を入れていることに、西川は着眼している。白川静の『字訓』を援用して、「『之』は『至』であると解説し、類語として『久』を挙げ」ていることから、「ノ」の一字加点と「之」の字を加えた理由を「『之徳』の義が、『至徳』にして名号大悲の独用の相が『无能遏絶』であり、遙遠なる久遠の彼方より大河の流れの如く大海の津波の如く至り来たった如来大悲の抑止難き『无能遏絶』の力用の相が名号であり阿弥陀如来の久遠實成義を顕彰するものであったことが爰に暁説される」と述べていく。
 ここに至って、わたしは、「如何なる波濤も海全体を超えることは出来ない」ということ、「遙遠なる久遠の彼方より大河の流れの如く大海の津波の如く至り来たった」こと、これらの言葉群に、一年前の事態を想起しながら、「詩性」なるものが発する深淵な感性を見ないわけにはいかない。そして、もちろんこの「久遠」という概念が深い思念を湛えた「詩」的イメージを内包していることによって、わたしたちは、親鸞が切開した浄土理念の通路へとさらに誘われていくことになるのだ。

(『図書新聞』12.6.2号)

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