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2012年4月21日 (土)

田辺聖子 大島渚 北杜夫 吉本隆明 城山三郎(掲載順)たち73人・著、撮影 首藤幹夫『いつもそばに本が』(ワイズ出版刊・12.1.5)

 わたしは、書物(本)にまったく縁のない人がいてもいいと思っている。本が側に置いていなくても、あるいは読まなくても、生活していくうえで、困ることはないからだ。学校という場所は、教科書という、つまらない本を読むこと以外は楽しい空間だと思ってきた人も多いだろうし、本の話題より、映画やテレビドラマやファッションの方が盛り上がるに決まっている。それでも、書物(本)となんらかのかたちで繋がっていることは、必ずしも無駄なことではないと、いいたい気がする。わたし自身はどうだったろかと振り返ってみるならば、本格的に活字本を読むようになったのは、中学生からだったが、それでも、まだ漫画本が中心だったように思う。既に何度か書いてきたことだが、わたしが最初に衝撃を受けて、以降、思考の道筋のようなものを決定づけられたのは、中学生時代、貸本屋で借りて読んだ白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』である。白土漫画を通して、やがて、漫画雑誌「ガロ」を知り、つげ義春、つげ忠男、林静一らの作品世界に接していったことになる。けっして大げさにいうわけではないが、わたしにとって、『忍者武芸帳 影丸伝』や『カムイ伝』、『カムイ外伝』の方が、マルクスの『資本論』より、はるかに重要な書物(本)であった。だからこそ、誰もが青春期になんらかの書物(本)に接して、共感を持った経験というものがあるはずだ。それは、例え、教科書に載っている断片でもいい。わたしのように、漫画本でもいいのだ。
 本書は、表記者以外でいえば、鶴見俊輔、髙村薫、大西巨人、古井由吉、種村季弘、高橋たか子、秋山俊、荒川洋治、上野千鶴子、中沢新一、養老孟司といった錚々たる執筆者たちが、青春期に出会った本に関して書いた文章を一冊にまとめたものである。収められた73人の文章群は、執筆者たちのポートレイト(様々な角度から撮っていて、執筆者たちが実にいい表情をしているのが印象的だ)を担当した首藤幹夫によれば、99年9月から04年3月まで、「朝日新聞」読書面に毎週日曜日、掲載されたものだという。「連載の最初(略)から、すでに十二年が経った。(略)朝日新聞の中でも(略)比較的長寿な企画であったし、大御所の作家達が軒並みその文章を披歴していることから、すぐにでも出版されるだろうと、何となく思っていたところがそううまくはいかず、大量のフィルムは、切り抜いた掲載記事とともに私の抽き出しの中で眠り続けてい」(「『いつもそばに本が』撮影記」)たところを、ようやく出版へと至ったと述べている。執筆者を望見すれば、まさしく歳月茫々である。73人中、鬼籍に入られた人は12人になる。本書で綴られている、何人かの青春期の記憶としての書物に視線を射し入れてみれば、記憶の襞の奥深くに潜在する清冽さを持った感性を見てとれる。例えば、吉本隆明は、宮沢賢治、高村光太郎『道程』、太宰治『富嶽百景』を挙げながら、「まだ十代であったわたしはおなじ化学生徒だったから、じぶんも宮沢賢治のようになれるかもしれないと錯覚していた。その夢を破るために、わたしはそのあとの生活を送ってきたような気がしないでもない」と記されている。「夢を破る」といっても、それは、けっして悔恨を意味はしていない。むしろ青春期の思いの清冽さに痛みのようなものを感じ取る現在のわたしを直視しているのだ。
 ソレルスの『公園』を挙げている松浦理英子は、「食べることへの愛着が薄くて、普段食べるご飯などは『餌』だとしか思っていな」し、「ことばを欠いた単なる実感だけの経験を物足りなく思う」から、「本が絶対に必要である」と述べる。「お前は、この家の子ではない。橋の下から拾ってきた子だ」と子供の頃、「悪さをする度に母親にそう言って叱られ」ては、外に出て、「親なんかいなくたっていいやと呟きながら」泣いていたという佐伯一麦は、「そんな頃、出会った本が、浜田広介の童話全集だった」という。佐伯にとっては、「はじめて自分に買ってもらった本」であった。「毎月、小学校の前にある文房具店を兼ねた小さな書店に、一冊ずつ本が入荷されるのを心待ちにしていた」という記述に、誰もが遠い記憶を呼び戻されてくるはずだ。
 中沢新一の文章は、04年の1月から2月に掲載されている。いまから八年前ということになる。あたかも、一年前の3.11から現在までの情況にコミットしていくうえでの、スタンスが語られているようだ。
 「人生には星回りというものがある。私の場合、一九六八年が高校生にあたっていた。そのことは後々まで、自分の人生に何がしかの意味をもつことになった。(略)大学では生物学の研究に開かれているコースを選んだ、純粋科学と人間についての学問のあいだで揺れ動いていた私は、そのあいだをつなぐ生命についての科学に居場所を見つけようとしたわけである。(略)私の中に育っていたアナーキズムの精神が、生命を単純なものに還元することで支配して、情報や商品に変えてしまう学問的知性に対して、猛烈な反発をしていた。そういうときである。私の前にレヴィ=ストロースの仕事が、大きく浮上してきたのだった。(略)このような思想を知ったとき、(略)知的な権力に変貌しようとしていた生物学を捨てたのである。」
 こうして、わたしたちは、人との関係、書物(本)、出来事など、何らかのもの(事)を通したアドレッセンスの記憶というものを胚胎させながら生きてきたことになる。そして、それは、現在と対峙していくための膂力となっていくものであることを、確認できるのだ。

(『図書新聞』12.4.28号)

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