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2011年6月15日 (水)

追悼・清水昶

 思い起こせば、わたしが清水昶という名前をはっきりと刻印したのは、既に接していた彼の詩作品でも、鋭利な文章群によってでもなかった。それは、77年に発表された浅川マキとの対談であった。彼は、懸命にインタヴューする側に立っている感じが伝わってきて、奇妙な感慨に浸ってしまったことを覚えている。最後の遣り取りも印象深いものがあった。引いてみる。
 「清水――(略)『少年』を読んでどんな感じがしました?
  浅川――やっぱり、はじめて読んだ時の……こうしていままたこんなふうに……『少年』はものすごく好きなんですよ。あの、もう煙草のヤニで黄色くなってしまって、もしサインをいただければと持ってきたんですけど(笑い)。
  清水――それを出した時はこちらもたいへんな状態で、どうでもいいやという感じで。ぼくはいつも思うんだけど、人生みたいなものがどうでもいいやという時にものすごく詩が書けるのね。そういうのがだんだんなくなってきて、生活みたいなものを大切にしなきゃいけないんじゃないかなと思い始めて、だんだん詩もだめになってきた(笑い)。
  浅川――そんなふうに、おっしゃって……(笑い)。」
 わたしは、彼の作品に対して共感を持って読み続けたというよりも、彼との通交の方に多くの豊穣な時間性を一方的に感受してきたといっていい。あの鮮烈な詩群を表出する詩人と初めて目の前にした時、作品のことよりも、不思議にも垣根を取っ払った一人の少年のような存在に感動したのだ。初対面のわたしたちが、何か深い河を渡ってきたような共感のようなものを、抱いたといえばいいだろうか。酔うほどに、その深い河の何たるかをつかみきれずに、さらに飲み続け、彷徨していったような気がする。

 「人生みたいなものがどうでもいいやという時にものすごく詩が書けるのね」と浅川マキに語りかける昶さんは、この十年の間のふたたび、いや、三度目の邂逅のなかで、しばしば、わたしに語りかける言葉に通底するものがある。他人(ひと)は、酒によって、心身を傷みつけたため、詩を書けなくなったという。そうだろうか。確かに、この十年近く、中清という蕎麦屋でしばしば、昶さんが言ったことは、現代詩は終ったということだった。だからといって、昶さんが、俳句へとのめり込んでいったかといえば、わたしは、そうは思わない。既に、浅川マキとの対談で、「人生みたいなものがどうでもいいやという時にものすごく詩が書けるのね」と言った以前から、つまり、そもそも、昶さんが詩表現に関わった時から、断念のようなものを胚胎していたのだとわたしは思っている。

 「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうという妄想によって ぼくは廃人であるさうだ」(吉本隆明「廃人の歌」)という詩句を、わたしは、清水昶に捧げたい。彼は、抒情性の暗部を感知していた詩人であった。これは、世界の構造を論理的に解析することから、遠く離れた感性を持つことに等しい。詩とはなんだろうか、世界とはなんだろうか。そういうものは、何処にもない、あるのは、「生活みたいなものを大切にしなきゃいけない」ということに尽きる。それは、表現することと遠く離れることになるのだろうか。そうではないとわたしなら思う。「生活」もひとつの表現なのだと。詩人清水昶ではなく、清水昶その人から、わたしは、そのように受け取ったと思っている。

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