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2011年6月11日 (土)

内村剛介 著、陶山幾朗 編集・構成                    『内村剛介著作集 第5巻 革命とフォークロア』            (恵雅堂出版刊・11.4.30)

 「ロシヤについて手にとるように鮮やかに語りうる唯一のロシヤ学者」(吉本隆明「『流亡と自存』跋」)、内村剛介(1920~2009)の著作集(全七巻・年二回刊)が一年ぶりに刊行された。その第5巻は、「革命とフォークロア」というモチーフによって編纂されている。編者の陶山幾朗は、「著者の『フォークロア』的視線は、眼前に進行する『革命』とはあくまで外被であり、マルクス主義という美名の下にロシアの大地を引っ掻いた一過性の事象に過ぎないのではないかという疑いと、その『革命』の中核に棲む『いかなる法にも束縛を受けぬ』無法の精神のうちに、伝統ロシアの民俗と地続きのカルチュアを見出してゆく」(「解題」)とそのモチーフをめぐって述べている。ここでいう「革命」とは、当然、ソビエトを生成させた十月革命とそれ以後のことであり、「フォークロア」とは、ソビエト未生以前のロシア的(本著作集は、“ヤ”ではなくすべて“ア”の表記としている)なるものを意味する。内村は、そのロシア的なフォークロアを、本書のなかで、「フォークロアは無名の民の創作の一切を含むものというのがロシアの考え方だ。したがって俚言、諺、地口、これすべてフォークロアとなる」(「ロシア風物誌(抄)」)と記している。さらにいえば、このロシア的フォークロアの基層には、「『いかなる法にも束縛を受けぬ』無法の精神」や「無名の民」、つまりロシア・ナロードの心性があるといっていい。
 わたしが、ロシアにあるいはロシア・ナロードニキに関心を抱き続けてきたのは、内村の誘いによってであることは、間違いない。そして、そこで内村の論述が示してくれたものは、ことロシア史固有のことではなく、わたしたちの現在においてもなお、未明の難題を包含するものであったのだ。
 「ロシアの十九世紀はロシアのネーションの在りよう、そのフォルムを求めて、西欧に従うべきか、それともスラブ固有の道を歩むべきかをはげしく論じあっていた。そしてそのとき行方を決める決定的存在としてナロードが浮上し、このナロードに対するリーダーシップをめぐってひとは相争うのであった。『ナロードナヤ・ウォーリャ(人民の意志)』という名の農民党が出来る。するとレーニンが『ナロード(人民)の友とは何ぞや』と言いはじめてそれを難ずるといったぐあいで、その行き着いたところは一九一七年のご存知“大十月革命”。そのさきさらに定石どおり農民党の後身エス・エル(社会革命党)への弾圧があった。」(「ロシア・ナロードの名誉回復」)
 「人間にとって奴隷の心性は、死が実存に対して与えるところのテロルに裏打ちされているだけに、抜き難いものがある。とすれば、ロシア・ナロードをフォークロアを介して奴隷の制度・心性に即してとらえることは、私たちの存在を根源的に問うことでもあるといっていいだろう。」(「ナロードの心性」)
 ロープシン=サヴィンコフの『蒼ざめた馬』や『漆黒の馬』を例示するまでもなく、ロシア革命前夜のテロルの問題は、現在、様々に頻出する抵抗の表象でもある自爆テロといった深刻な情況相へも敷衍できるといえる。現在的なテロルの問題は、他岸の事象ではなく、わたしたち自身の存在性をも喚起することなのだ。
 さて本書では、ロシア・ナロードを起点に、革命における暗部を、トロツキーの在り様を通して見事に照らし出しているのが、印象的だ。
 「トロツキーの場合は、革命の思想が、かれを捨てた。(略)かれが特許権を持っている革命の諸思想がいまトロツキーを捨てたのだ。(略)革命が死に、党が国家と同一視され、この国を保守しようとするとき、主役はスターリンに移って行く。」(「十月革命の残照」)
 「日本の『トロツキスト』をぼくはこれっぽちも信じない。ロシア人がついて行けなかったトロツキー、彼の冷酷な論理をフィジカルに見抜いていたロシア人たちのことがぼくにはわかるような気がする。革命のクライマックスには論理と心理とその表現とが密着している。そこでは、だから、トロツキーは当然主役だ。退潮がアンチ・トロツキズムをひき出して来るのもまた当然至極なことだ。アナーキズムというものは心理的ファクターを多分に持っていると思う。ロシア思想の本流はアナーキズムだ。だからアナーキズムの弾圧に際してレーニンは心を痛めたろう。トロツキーは『情況の論理』のみで明るくクロンシュタットを弾圧できた。」(「トロツキーと日本の風土」)
 ここでいう“クロンシュタット”とは、1921年3月に、ペトログラード (ソ連時代はレニングラードと称し、現在はサンクトペテルブルク)の北西にあるコトリン島の軍港都市クロンシュタットで生起した水兵たちの反政府蜂起(通例、“クロンシュタットの反乱”といわれている)のことを指す。最高軍事会議議長だったトロツキー指示の下、赤軍部隊によって弾圧・鎮圧されたのだ。マフノ運動弾圧とともに、ロシア革命史の暗部といっていいし、悲劇の革命家としてのトロツキー像へと至る悲劇の必然性を逆説的に示しているというべきかもしれない。
 「わたしは理念なるものが人間から生まれておりながら何故に人間のものでなくなるのかということこそスターリニズムの根源にある問題だと思う。だからスターリニズムは現代の思想の問題の根基にかかわるわけだ。」(「スターリニズムの原基」)
 吉本がいうところの「ロシヤ学者」内村剛介とは、このような場所に、絶えず、立っていたということになる。

(『図書新聞』11.6.18号)

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