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2011年10月21日 (金)

シャンカール・ヴェダンタム 著、渡会圭子 訳                  『隠れた脳――好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』(インターシフト刊、合同出版発売・11.9.30)

 民主党政権となってから、政治家たちの軽薄な失言が、頻出しているように思う。かつての自民党政権時における与党議員の場合、イデオロギー的な偏向が失言を誘発していたことを思えば、いまの民主党の政治家たちの方が、はるかに稚拙な様態を示しているといわざるをえない。それにしても、政権を奪取したことで浮かれてしまったのか、箍が緩んで抑制が効かなくなったのか、あまりに軽率な発言が多すぎる。本書の著者に倣っていえば、このような現象は、別に不思議でもなんでもなく、ただ、“隠れた脳”のコントロールが出来なくなったことを表しているということになる。つまり、「無意識」、「潜在意識」、「暗示的」といった概念で言い表せる“隠れた脳”とは、「気がつかないうちにわたしたちの行動を操るさまざまな力のこと」なのだが、「人間が弱っているとき、無意識のバイアスが」、大きな影響を与えてしまうことを意味している。
 「プレッシャーがかかると、意識的な脳がいっぱいいっぱいになってしまうことがある。すると隠れた脳を抑える力が弱まり、ふだんは隠れている考えや態度が表に出てくる。スポットライトを浴びているときやカメラが回っているとき、ばかなことを言ってしまう人が多いのはそのためだ。(略)政治家や有名な芸人といった、本来“分別を備えるべき人々”が、悪質な敵意を口にすると、私たちは激しい怒りを感じる。しかしこうした失言をする本当の原因は、無意識をコントロールする意識的な脳の力が失われてしまったことにある。」(「第4章 思わず知らずに偏見は忍び入る」)
 例えば、仙谷由人の「暴力装置でもある自衛隊」という発言のように、気の効いたことを言おうとして、つい直截過ぎて、逆に反発を招くということもある。だが仙谷のような、ある意味、政治理念に絡む問題なら、稚拙さとは遠い位相にあるから、まだいいとしても、差別的発言や暴言は、許されることではない。では、そもそも、「無意識のバイアス」はなぜ、わたしたちに潜在してしまっているのだろうか。フロイトやユングが分析してみせた無意識的領域と、『ワシントン・ポスト』紙の著名なサイエンス・ライターでもある著者が、提示してみせる無意識のバイアスとは、もちろん連関性はあるが、“隠れた脳”を、人類の進化過程で形成された初源的(動物的)とでもいうべきものであると捉えながら、ここでは無意識的領域をもっとアクティブなものに拡張している。
 「(略)重大な危機に陥ったとき、隠れた脳がその力を発揮して、何が起こっているのか、まわりの人たちと共通の理解を得たいという強烈な願望が生まれる。(略)進化の歴史を見れば、集団でいるほうが、安全が保たれる。ときとしてそれが裏目に出る場合もあるが、私たちの脳は、総合的にうまくいく手段がわかるよう進化しているし、進化で身につけた自己保存のための本能は、必然的に単純である。警報が鳴ると不安が引き起こされ、集団を頼るよう隠れた脳が指令する。それは私たちの祖先の時代から、集団でいたほうが危険にさらされる可能性が低く、安心と安全が手に入りやすかったからだ。/しかし今の時代は、集団でいる安心感を優先すると、個人が危険にさらされるケースが以前より増えた。それは現代の危険があまりも複雑で、いったい何が起こっているのか、誰にもわからない場合が多いからだ。私はここで、集団の行動は常に間違っていると言いたいわけではない。集団は誰も気づかないうちに、個人の自主性を奪ってしまうことがあると言いたいだけだ。」(「第6章 なぜ災害時に対応を誤るのか?」)
 本書では、実際にあった事象を様々な角度から検証し、分析したうえで論述している。だから、専門的な分野にわたったことでも、理解しやすい例示となっている。9.11の時、サウスタワーの八八階と八九階のフロアーにいたKBWという投資銀行の社員たちが、それぞれ違った行動をとったために、犠牲者の数が真逆になった事例から、集団性と個人の自主性の間隙を照らし出していくここでの分析は見事である。また、ジェンダーの問題(「第5章 男と女は入れ代わらなければわからない」)や、銃社会の問題(「第8章 一匹の犬が多数の犠牲者より同情を集めるわけ」)では、無意識のバイアスの負性を的確に露出させて、わたしたちに、警鐘を鳴らしている。
 こうして著者は、「無意識を意識するのが困難なのは、障害が自分の中にあるからだ。しかし本能や直感より理性を優先できるのは、人間をこれまで存在したあらゆる動物との間に一線を画する、特筆すべき性質である」から、「理性だけが無意識のバイアスの波に逆らうことができる」し、「私たちにとっての灯台でありライフジャケットなのだ。それは私たちの良心の声である。いや、声であるべきなのだ」と結語していく。だが、「理性」を、わたしたちの中に屹立させるには、至難なことである。それでも、本書の著者のように、そのことを希求していくことに対して、わたしは、素直に共感したいと思う。

(『図書新聞』11.10.29号)
    

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