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2011年6月24日 (金)

原 敏晴 著                                     『生きることへの共感――カントとマルクスの自由と生活の共存する社会』(清風堂書店出版部刊・11.5.3)

 マルクスの思考的構想をカントやアリストテレス、フォイエルバッハなどの構想と連結させて、ありうべき共同性を開示していこうとする意欲的な論稿集である。
 わたしは、マルクスの思想とマルクス主義の思想は、全く別物だと思ってきた。第一インターナショナル(国際労働者協会)でのヘゲモニー争いのための小政治屋的振る舞いをしたマルクスは論外だとしても、『経済学・哲学手稿』、『ユダヤ人問題によせて』や『資本主義的生産に先行する諸形態』といった著作から、わたしは、多くのことを享受してきたといっていい。そして、エンゲルスやレーニンがマルクスの思想を政治的戦略のなかで、転倒したかたちで改造したものがマルクス主義の思想だったと、見做している。本書の著者もまた、徹底したエンゲルス批判(レーニンも含む)を通して、マルクスとエンゲルスの思想性の明確な差異を提示している。
  「エンゲルスは(略)対植民地交易のような、力による資本家同士の『自由競争』の『無政府状態』を廃棄するとして、(略)正常な市場商品交易の廃止を主張しているが(略)、軍事力による異常な形での植民地交易は、正常な(マルクスの理論に適合した)市場交換とは全く異質なものであるから、前者を根拠として後者の廃棄を言うことはできない。」(「第七章 生命活動を繋ぐ民需市場経済活動」)
 ここでは、エンゲルス独特のレトリックを指弾している。家族と国家における共同性の異和を無視した、極めて粗雑な国家論を持つ『家族・私有財産・国家の起源』を例に出すまでもなく、エンゲルスの思想は、そもそも論理的に破綻しているのだ。
 著者は、『資本論』の精緻な解読を試み、市場交換と消費の問題を卓抜に取り出しながら、「商品特有の使用価値を生産し、別の商品特有の使用価値を消費するという『社会的な物質代謝』(マルクス)を介して、人間と他の人間とが社会的にやりとりする普遍的なもの、人間労働即ち生命活力である、というのがマルクスの見解である」として、「売る商品の生産過程だけでなく、買う商品の予想される消費過程をも考慮する」(「同前」)ことは必然であると述べていく。エンゲルスの転倒は、生産をプロレタリアートによる公的権力の掌握の対象とするというように、消費(大衆・生活者層の行為の象徴と見做していい)を軽視した経済システムを想起しているに過ぎない。結局、過剰な生産重視によって、プロレタリアートという仮構の階級というものが、資本主義経済における独占資本家と同じような支配システムを透徹することになっていったのは、既に91年末の事象へ至るプロセスによって明らかだ。消費とは遅延した生産だといったのは吉本隆明だが、生産と消費は、いうまでもなく、ひとつの共同性の円環として捉えるべきなのである。
 『経済学・哲学手稿』では、「ある人間の生の証(生産物)が、他の人間の生を支え、他の人間の証(生産物)が、ある人間の生を支える、という―人と人との互いの生による生の相互扶助という―理想的な市場経済活動の在り方が語られている」(「第二章 生活と自由の共存」)と述べる著者の視線は、カントの「合意の力」と、マルクスの「団結・結合の力」を基軸にしながら、理想の共同体というものを描いていく。
 「現在では、個人たちの意志の自由と表現と行動の自由の多種多様性は著しく発展してきている。(略)カント的な自由意志の原理と現実の発展とを踏まえて、『多様な個人の意志の自由』を明記し、十分に議論を尽くした上での合意、自由・平等・独立な個人たちの合意、というように、共同体の形成と関係する合意の形成過程のあり方を明記することが団結の強度を増すためにも絶対不可欠であり、(略)カント・マルクスの《合意の力》こそ、旧い『弁証法の力』に替わるべき、民主主義と人間本性にぴたりと合致する社会改革の力なのである。」(「第五章 合意の力による変革」)
 マルクスの構想を、「生きた個人たちを大切にし、彼らの生活の心と身体の両面での人間的な自由な発展を希求する」(「序にかえて」)ものだという著者の考え方は、本書では一貫した通底音となっている。
 だからこそ、「多様な個人の意志の自由」によって形成されていく共同性というものを、カントやマルクスの構想の中に見い出そうとする著者の本書における試みは、極めて真摯な言葉として響いているといっておきたい。

(『図書新聞』11.7.2号)

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2011年6月15日 (水)

追悼・清水昶

 思い起こせば、わたしが清水昶という名前をはっきりと刻印したのは、既に接していた彼の詩作品でも、鋭利な文章群によってでもなかった。それは、77年に発表された浅川マキとの対談であった。彼は、懸命にインタヴューする側に立っている感じが伝わってきて、奇妙な感慨に浸ってしまったことを覚えている。最後の遣り取りも印象深いものがあった。引いてみる。
 「清水――(略)『少年』を読んでどんな感じがしました?
  浅川――やっぱり、はじめて読んだ時の……こうしていままたこんなふうに……『少年』はものすごく好きなんですよ。あの、もう煙草のヤニで黄色くなってしまって、もしサインをいただければと持ってきたんですけど(笑い)。
  清水――それを出した時はこちらもたいへんな状態で、どうでもいいやという感じで。ぼくはいつも思うんだけど、人生みたいなものがどうでもいいやという時にものすごく詩が書けるのね。そういうのがだんだんなくなってきて、生活みたいなものを大切にしなきゃいけないんじゃないかなと思い始めて、だんだん詩もだめになってきた(笑い)。
  浅川――そんなふうに、おっしゃって……(笑い)。」
 わたしは、彼の作品に対して共感を持って読み続けたというよりも、彼との通交の方に多くの豊穣な時間性を一方的に感受してきたといっていい。あの鮮烈な詩群を表出する詩人と初めて目の前にした時、作品のことよりも、不思議にも垣根を取っ払った一人の少年のような存在に感動したのだ。初対面のわたしたちが、何か深い河を渡ってきたような共感のようなものを、抱いたといえばいいだろうか。酔うほどに、その深い河の何たるかをつかみきれずに、さらに飲み続け、彷徨していったような気がする。

 「人生みたいなものがどうでもいいやという時にものすごく詩が書けるのね」と浅川マキに語りかける昶さんは、この十年の間のふたたび、いや、三度目の邂逅のなかで、しばしば、わたしに語りかける言葉に通底するものがある。他人(ひと)は、酒によって、心身を傷みつけたため、詩を書けなくなったという。そうだろうか。確かに、この十年近く、中清という蕎麦屋でしばしば、昶さんが言ったことは、現代詩は終ったということだった。だからといって、昶さんが、俳句へとのめり込んでいったかといえば、わたしは、そうは思わない。既に、浅川マキとの対談で、「人生みたいなものがどうでもいいやという時にものすごく詩が書けるのね」と言った以前から、つまり、そもそも、昶さんが詩表現に関わった時から、断念のようなものを胚胎していたのだとわたしは思っている。

 「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうという妄想によって ぼくは廃人であるさうだ」(吉本隆明「廃人の歌」)という詩句を、わたしは、清水昶に捧げたい。彼は、抒情性の暗部を感知していた詩人であった。これは、世界の構造を論理的に解析することから、遠く離れた感性を持つことに等しい。詩とはなんだろうか、世界とはなんだろうか。そういうものは、何処にもない、あるのは、「生活みたいなものを大切にしなきゃいけない」ということに尽きる。それは、表現することと遠く離れることになるのだろうか。そうではないとわたしなら思う。「生活」もひとつの表現なのだと。詩人清水昶ではなく、清水昶その人から、わたしは、そのように受け取ったと思っている。

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2011年6月11日 (土)

内村剛介 著、陶山幾朗 編集・構成                    『内村剛介著作集 第5巻 革命とフォークロア』            (恵雅堂出版刊・11.4.30)

 「ロシヤについて手にとるように鮮やかに語りうる唯一のロシヤ学者」(吉本隆明「『流亡と自存』跋」)、内村剛介(1920~2009)の著作集(全七巻・年二回刊)が一年ぶりに刊行された。その第5巻は、「革命とフォークロア」というモチーフによって編纂されている。編者の陶山幾朗は、「著者の『フォークロア』的視線は、眼前に進行する『革命』とはあくまで外被であり、マルクス主義という美名の下にロシアの大地を引っ掻いた一過性の事象に過ぎないのではないかという疑いと、その『革命』の中核に棲む『いかなる法にも束縛を受けぬ』無法の精神のうちに、伝統ロシアの民俗と地続きのカルチュアを見出してゆく」(「解題」)とそのモチーフをめぐって述べている。ここでいう「革命」とは、当然、ソビエトを生成させた十月革命とそれ以後のことであり、「フォークロア」とは、ソビエト未生以前のロシア的(本著作集は、“ヤ”ではなくすべて“ア”の表記としている)なるものを意味する。内村は、そのロシア的なフォークロアを、本書のなかで、「フォークロアは無名の民の創作の一切を含むものというのがロシアの考え方だ。したがって俚言、諺、地口、これすべてフォークロアとなる」(「ロシア風物誌(抄)」)と記している。さらにいえば、このロシア的フォークロアの基層には、「『いかなる法にも束縛を受けぬ』無法の精神」や「無名の民」、つまりロシア・ナロードの心性があるといっていい。
 わたしが、ロシアにあるいはロシア・ナロードニキに関心を抱き続けてきたのは、内村の誘いによってであることは、間違いない。そして、そこで内村の論述が示してくれたものは、ことロシア史固有のことではなく、わたしたちの現在においてもなお、未明の難題を包含するものであったのだ。
 「ロシアの十九世紀はロシアのネーションの在りよう、そのフォルムを求めて、西欧に従うべきか、それともスラブ固有の道を歩むべきかをはげしく論じあっていた。そしてそのとき行方を決める決定的存在としてナロードが浮上し、このナロードに対するリーダーシップをめぐってひとは相争うのであった。『ナロードナヤ・ウォーリャ(人民の意志)』という名の農民党が出来る。するとレーニンが『ナロード(人民)の友とは何ぞや』と言いはじめてそれを難ずるといったぐあいで、その行き着いたところは一九一七年のご存知“大十月革命”。そのさきさらに定石どおり農民党の後身エス・エル(社会革命党)への弾圧があった。」(「ロシア・ナロードの名誉回復」)
 「人間にとって奴隷の心性は、死が実存に対して与えるところのテロルに裏打ちされているだけに、抜き難いものがある。とすれば、ロシア・ナロードをフォークロアを介して奴隷の制度・心性に即してとらえることは、私たちの存在を根源的に問うことでもあるといっていいだろう。」(「ナロードの心性」)
 ロープシン=サヴィンコフの『蒼ざめた馬』や『漆黒の馬』を例示するまでもなく、ロシア革命前夜のテロルの問題は、現在、様々に頻出する抵抗の表象でもある自爆テロといった深刻な情況相へも敷衍できるといえる。現在的なテロルの問題は、他岸の事象ではなく、わたしたち自身の存在性をも喚起することなのだ。
 さて本書では、ロシア・ナロードを起点に、革命における暗部を、トロツキーの在り様を通して見事に照らし出しているのが、印象的だ。
 「トロツキーの場合は、革命の思想が、かれを捨てた。(略)かれが特許権を持っている革命の諸思想がいまトロツキーを捨てたのだ。(略)革命が死に、党が国家と同一視され、この国を保守しようとするとき、主役はスターリンに移って行く。」(「十月革命の残照」)
 「日本の『トロツキスト』をぼくはこれっぽちも信じない。ロシア人がついて行けなかったトロツキー、彼の冷酷な論理をフィジカルに見抜いていたロシア人たちのことがぼくにはわかるような気がする。革命のクライマックスには論理と心理とその表現とが密着している。そこでは、だから、トロツキーは当然主役だ。退潮がアンチ・トロツキズムをひき出して来るのもまた当然至極なことだ。アナーキズムというものは心理的ファクターを多分に持っていると思う。ロシア思想の本流はアナーキズムだ。だからアナーキズムの弾圧に際してレーニンは心を痛めたろう。トロツキーは『情況の論理』のみで明るくクロンシュタットを弾圧できた。」(「トロツキーと日本の風土」)
 ここでいう“クロンシュタット”とは、1921年3月に、ペトログラード (ソ連時代はレニングラードと称し、現在はサンクトペテルブルク)の北西にあるコトリン島の軍港都市クロンシュタットで生起した水兵たちの反政府蜂起(通例、“クロンシュタットの反乱”といわれている)のことを指す。最高軍事会議議長だったトロツキー指示の下、赤軍部隊によって弾圧・鎮圧されたのだ。マフノ運動弾圧とともに、ロシア革命史の暗部といっていいし、悲劇の革命家としてのトロツキー像へと至る悲劇の必然性を逆説的に示しているというべきかもしれない。
 「わたしは理念なるものが人間から生まれておりながら何故に人間のものでなくなるのかということこそスターリニズムの根源にある問題だと思う。だからスターリニズムは現代の思想の問題の根基にかかわるわけだ。」(「スターリニズムの原基」)
 吉本がいうところの「ロシヤ学者」内村剛介とは、このような場所に、絶えず、立っていたということになる。

(『図書新聞』11.6.18号)

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