« 西村賢太 著『暗渠の宿』(文庫版―新潮社刊・10.2.1) | トップページ | つげ忠男・菅野修・うらたじゅん他 著『幻燈 11』               (北冬書房刊・10.11.15) »

2011年1月22日 (土)

わが「演歌」考―藤圭子から椎名林檎まで

 わたしにとって、「歌」といえば、なぜか「演歌」のことを、すぐに思い浮かべてしまうのだ。だからといって、洋楽やポップな歌が嫌いなわけではないし、特に、ジャンルに拘ってこれまで「歌」を聴いてきたわけでもない。たぶん、自分のなかでは、いわゆる既存の「演歌」というカテゴリーを想起しているのではなく、「演歌」的なるものに魅せられているのかもしれない。ならば、「演歌」と「演歌」的なるものは違うのかと問われそうだが、わたしのなかでは、それは、似て非なるものなのだ。暴論を承知でいえば、山口百恵(特に宇崎竜童の楽曲)や中島みゆきの歌をわたしは、「演歌」として、つまり「演歌」的なるものとして聴いてきたといってもいい。このわたし自身の拘りを幾らかでも、素描していくことが、本稿の試みであり、そのことによって、もしかしたら、「歌」に潜在しているはずの“何か”を採り出すことができるのではないかと思っている。
 わが国の歌謡曲史などというやや大げさな視線から述べてみれば、古賀政男による楽曲を古賀メロディーと称して「演歌」の原型のような捉え方をされてきた。そして古賀政男が、幼少期から青年期にかけて日本統治下にあった朝鮮半島で暮らしたことが、朝鮮の音曲の影響を受けたことを根拠に、「演歌」は、「怨歌」であるとか、「艶歌」といった言葉に置き換えて、解説されてきたように思う。わたしは、日本の文化や生活が、半島や大陸の影響を受けずに、独自のものとして構築してきたなどというつもりはないのだが、だからといって、その影響を強調するあまり、定型的な位相へと押し込めてしまうことを避けたいと考えている。例えば、美空ひばりが歌う『悲しい酒』(66年・作詞、石本美由紀)を古賀メロディーの代表曲として、さらには美空ひばりの代表的な「演歌」として称揚されているが、わたしには同意できない。古賀政男の楽曲としては、『悲しい酒』より、『酒は涙か溜息か』(31年・作詞、高橋掬太郎)の方が遥かに優れた作品だと思うし、ひばりの代表曲は、わたしなら『哀愁波止場』(60年・作詞、石本美由紀・作曲、船村徹)を無条件で挙げたい。しかし、ここで、わたしは古賀メロディーや美空ひばりを通して「演歌」や「演歌」的なるものを述べていきたいのではない。わたしの入り口は、古賀メロディーでも美空ひばりでもないということをとりあえず前提としていっておきたいだけなのだ。わたしが拘泥する「演歌」とは、コブシやビブラートを技法とする歌唱のことを意味しない。それは、次に挙げるふたつの楽曲によって、象徴させてみたい。

 「あれは二月の寒い夜 やっと十四になった頃/窓にちらちら雪が降り 部屋はひえびえ暗かった/愛と云うのじゃないけれど 私は抱かれてみたかった//あれは五月の雨の夜 今日で十五と云う時に/安い指輪を贈られて 花を一輪かざられて/愛と云うのじゃないけれど 私は捧げてみたかった//あれは八月暑い夜 すねて十九を越えた頃/細いナイフを光らせて にくい男を待っていた/愛と云うのじゃないけれど 私は捨てられつらかった//そしてこうして暗い夜 年も忘れた今日のこと/街にゆらゆら灯りつき みんな祈りをするときに/ざんげの値打ちもないけれど 私は話してみたかった」(『ざんげの値打ちもない』70年、唄・北原ミレイ、作詞・阿久悠、作曲・村井邦彦)

 「お酒はぬるめの 燗がいい/肴はあぶった イカでいい/女は無口な ひとがいい/灯りはぼんやり 灯りゃいい/しみじみ飲めば しみじみと/想い出だけが 行き過ぎる/涙がポロリと こぼれたら/歌い出すのさ 舟唄を/沖の鴎に 深酒させてヨ/いとしあの娘とヨ/朝寝する ダンチョネ/店には飾りが ないがいい/窓から港が 見えりゃいい/はやりの歌など なくていい/時々霧笛が 鳴ればいい/ほろほろ飲めば ほろほろと/心がすすり 泣いている/あの頃 あの娘を 思ったら/歌い出すのさ 舟唄を/ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと/未練が胸に 舞い戻る/夜ふけてさびしく なったなら/歌い出すのさ 舟唄を/ルルル・・・・・・・」(『舟唄』79年、唄・八代亜紀、作詞・阿久悠、作曲・浜圭介)

 どちらの作品も、詞が阿久悠であることは、偶然に過ぎない。ペドロ&カプリシャスの『ジョニィへの伝言』(73年)の作詞で、わたしは、初めて阿久悠の詞に注目したのだが、詞のイメージとして、かなり違うものを漂わせている前記ふたつの歌は、阿久悠の優れた力量と多彩さを持った才能を思わずにはいられない。『ざんげの値打ちもない』は、物語性を持った詞が、感性を揺さぶる。村井邦彦の曲調も、語り言葉をうまくメロディーに乗せることに成功している。『舟唄』は、どうだろうか。「酒」、「涙」、「女(娘)」といった「演歌」の典型的な詞語を駆使しながらも、『ダンチョネ節』を織り込むことによって、ある種のフォークロア的世界を現出させている。これは、不思議に思うことなのだが、「演歌」に対する率直なイメージとして、「暗い」、「内閉的だ」といったことが、よくいわれてきた。『悲しい酒』はまさしくその典型といえそうだなのが、『ざんげの値打ちもない』も、『舟唄』も、一見、そのような雰囲気を漂わせていながら、どこかアクティヴな位相(生への無意識の発露)を、有しているとわたしには思えるのだ。例えば、八代亜紀の『舟唄』は、中島みゆきの『歌姫』(82年)に通底するものがある。悲哀感のなかにありながらも、自らの立ち位置を見定めようとする方位を内在させているといえばいいだろうか。つまり、「窓から港が 見えりゃいい/はやりの歌など なくていい/時々霧笛が 鳴ればいい」といった必ずしも内閉していかない発露が、そのように感受させている気がしてならない。
  「情念」という言葉があり、わたし自身、その言葉にかつてはいいようのない拘りを抱き続けたことがある。「演歌」的なるものと「情念」が響き合うことは否定しないが、どこかで、「情念」といういささか過剰な思いを昇華させたいということを考えるようになった。だから、『ざんげの値打ちもない』のモチーフを“女の情念”といった位相に押し込めたくないということになる。“独白”が二月に始まって、五月、八月となり、「そしてこうして暗い夜 年も忘れた今日のこと/街にゆらゆら灯りつき みんな祈りをするとき」というのは、十二月だということが分かる。これまで、わたしのなかには、歳時記的世界というものに、どこか馴染めないものがあった。クリスマスも正月も、少年期において、心躍ることはなかったといっていい。たぶん、風土的なことが影響しているのかもしれない。わたしが生まれ育った、東北の冬の季節は、雪の白さに象徴されるような美しいものではないからだ。冒頭の「窓にちらちら雪が降り 部屋はひえびえ暗かった」は、そういう意味でいえば、「街にゆらゆら灯りつき みんな祈りをするとき」と対称性をもたらして、「ゆらゆら灯り」がついている「街」に対する根源的な疑義を表出させていると、わたしなら見做してみたい。そう、ここでは、怨念や情念ではなく、怒りのようなものを潜在させているのだ。何に対しての怒りかといえば、どうしても感応せざるを得ない「愛と云う」男と女の関係性にである。しかし、この怒りは、いずれにしても解決、解消しえないものとしてあるのだ。わたし(たち)が、生きて在る限り、忌避できないものとしてそれはあるからだ。「私は話してみたかった」ということは、そのような男と女の関係性を引き受けていくことへの、かたちを変えた表明でもある。
 思い起こせば、わたしの「演歌」や「演歌」的なるものへの関心の起点は、六九年秋から冬にかけて、浪曲師の父と盲目の三味線弾きの母を持つ、ひとりの女性歌手の〈歌唱〉によってだった。この歌い手の独特の〈声〉に魅了されたことは、確かなのだが、〈新宿〉をモチーフにした、その歌は、わたしに、前年の一〇月二一日に〈新宿〉を中心に生起した大きな渦動からの一年という時間性に潜在してきた様々な様態を仮想させ、〈新宿〉という場所が持つ情況の暗渠を切開してくれたのだ。

 「私が男になれたなら/私は女を捨てないわ/ネオンぐらしの蝶々には/やさしい言葉がしみたのよ/バカだなバカだな/だまされちゃって/夜が冷たい新宿の女」(藤圭子『新宿の女』―69年9月、作詞・石坂まさを、作曲・みずの稔・石坂まさを)

 わたしが考える「演歌」的なるものの構造とは、場所性を照射することによって、時間性を遡行し、感性の根源とでもいうべき位相を析出することだと思っている。藤圭子が歌う『新宿の女』は、まさしくわたしに、「新宿」という街の騒乱のなかにある陰影の存在といったものを意識付けさせてくれたといえる。藤圭子の独特の〈歌唱〉と〈声〉は、「バカだなバカだな/だまされちゃって/夜が冷たい新宿の女」という三番までのリフレーンが、前年に生成した大きな波動に換起された“情念”を、一年にして醒めた感性へと拡張させてきたことへの否認のベクトルを内在していたと捉えてみたいのだ。そんな、虚妄のような思い込みは、お前だけのものに過ぎないという「声」が聞こえてきそうだ。確かにそうかもしれない。だが、わたしは、たぶん、この独特の〈歌唱〉と〈声〉に、なんの外連もなく慰藉されていたのだと思う。デヴュー作の『新宿の女』から、『女のブルース』(70年2月)、『圭子の夢は夜ひらく』(70年4月)、『命預けます』(70年7月)までの一年余り、〈藤圭子的情況〉を取り込みながら、わたしは、〈外在的情況〉とともにひたすら疾走したのである。

  「『無口』という茶店のところで/乃木坂は黄昏にあう/粒になった夕陽の肩に/髪の毛みたいに闇が流れ落ちる//うまく神話に触れてきた/ふるい村の話からはじまって ちょうど/いちばん辛い暗礁の日々まで/涙ぐむ祖母の肩を抱いて/もっとその奥にある/『無口』という茶店で/慰めている」「つくられた一語に色づいた/村の妹たちに触れてきた 乳房は/森のうしろ 双が丘になった/風に揺られた神話のなかでは/概念がエロスだった/永遠という旅の途次の字画よ/そのままで どうかそのままで/こわれた村の妹たちは 都会にでて 夜ごと/『新見附』という文字に抱かれている」(吉本隆明「演歌」―詩集『記号の森の伝説歌』)

 「演歌」と題されたこの詩篇には、「乃木坂」、「双が丘」、「新見附」という地名(場所)が現われる。いわば、母なるものの祖型(祖母・村の妹たち)をそれらの地名(場所)に象徴化させている。つまり、この詩篇もまた、場所性を照射することによって、時間性を遡行し、感性の根源(母型)とでもいうべき位相を湛えている。もちろん、この詩にメロディーを乗せて歌うことはできないかもしれないが、詩語の間隙から「村の妹たち」の「声」が聞こえてきそうだ。それは、神話(伝説)という物語をかたちづくっていくことを意味している。
 藤圭子から三十年ほどの時を経て、椎名林檎が、〈新宿・歌舞伎町〉を神話化して登場した。
 椎名林檎が、新宿・歌舞伎町を、軽快に、“歓楽街”と歌った時、一九六八年一〇月二一日の出来事も含め、七十年前後の事どもが、遠く古層のなかへと押し込められていったというべきである。もちろん、それはそれでいいのだが、その時、すでに新宿は、“若者の街”でもなんでもなくなっていたわけだから、椎名林檎は、別の位相で新宿を再生させようとした、つまり神話化したと捉えられなくもない。そして、それからまた、さらに十年以上経ったことになる。時間的にいえば椎名林檎は、現在に近い場所にあるが、むしろ、椎名林檎的場所からの方が、四十年以上前のことが、見えそうな気がするから、不思議な感慨が湧いてくる。

 「蝉の声を聞く度に/目に浮かぶ九十九里浜/皺々の祖母の手を離れ/独りで訪れた歓楽街/ママは此処の女王様/生き写しの酔うあたし/だれしもが手を伸べて/子供ながらに魅せられた歓楽街」

 東京近郊(この場合、千葉・九十九里浜沿岸ということになる)から、歌舞伎町へと出立する一人の若い女性は、「バカだなバカだな/だまされちゃって」と嘆くことなく、歓楽街でまさしくアクティヴに生きていくことになる。

 「十五に成ったあたしを/置いて女王は消えた/毎週金曜日に来ていた男と暮らすのだろう/『一度栄し者でも必ずや衰えゆく』/その意味を知る時を迎え足を踏み入れたは歓楽街/消えていった女を憎めど夏は今/女王という肩書きを誇らしげに掲げる//女に成ったあたしが売るのは自分だけで/同情を欲した時に全てを失うだろう/JR新宿駅の東口を出たら其処はあたしの庭大遊戯場歌舞伎町/今夜からは処の町で娘のあたしが女王」(椎名林檎『歌舞伎町の女王』―98年9月、作詞作曲・椎名林檎、編曲・亀田誠治)

 椎名林檎の『歌舞伎町の女王』は、わたしにとって鮮烈だった。「歌唱」と「声」は独特というよりは、苛烈だ。その苛烈さが、わたしに「演歌」的なるものの世界を鮮明化させてくれた。しかも、不思議なことに、詞の構造が、吉本詩「演歌」と奇妙に照応してしまうことに、驚いてしまう。ここから先、椎名林檎論を展開していきたい欲求を抑えながら、かつては、ある種アナーキー(雑多)な街だった〈新宿〉という場所に思いを巡らしてみる。「JR新宿駅の東口を出たら其処はあたしの庭大遊戯場歌舞伎町」といえる場所は、六十年代から七〇年代、〈新宿〉の中心であった。いまでは、新宿から歌舞伎町界隈を分断するかのように、最も戦後的場所を残存させていた駅南口側も再開発が進み、サザンテラスなどという名称とともに、高度消費社会を象徴するオフィス街とショッピング街にイメージを変貌させている。もちろん、これは新宿へ都庁が移転したことと関連づけられることなのだが、西口の高層ビル群は、首都東京の象徴といえるだけでなく、いまやアジアの列島国家の象徴存在となっているといっていい。それはつまり、わが列島の祖型を覆い隠し、北から南へとつらなる共同性の連結を分断させていくことを意味する。南(福岡)から、上京し、新宿・歌舞伎町を屹立させることで、都市の構造を透徹しようとした椎名林檎は、「女に成ったあたしが売るのは自分だけで/同情を欲した時に全てを失う」という意志によって、新宿・西口の高層ビル群を相対化していく。そのような思いを抱かせる、『歌舞伎町の女王』は、わたしに、「演歌」的なるものの相貌を突きつけたのだ。

 「あたしは絶対あなたの前じゃ さめざめ泣いたりしないでしょ/これはつまり常に自分がアナーキーなあなたに似合う為/現代のシド・ヴィシャスに手錠をかけられるのは只あたしだけ」(『ここでキスして。』・99年1月)

 「約束は 要らないわ/果たされないことなど 大嫌いなの/ずっと繋がれて 居たいわ/朝が来ない窓辺を 求めているの//どうして 歴史の上に言葉が生れたのか/太陽 酸素 海 風/もう充分だったはずでしょう」(『本能』・99年10月)

 藤圭子から椎名林檎までの「演歌」的なる場所は、いまだ、わたしのなかで、浮遊し続けている。

(『塵風』第3号・11.2)

|

« 西村賢太 著『暗渠の宿』(文庫版―新潮社刊・10.2.1) | トップページ | つげ忠男・菅野修・うらたじゅん他 著『幻燈 11』               (北冬書房刊・10.11.15) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 西村賢太 著『暗渠の宿』(文庫版―新潮社刊・10.2.1) | トップページ | つげ忠男・菅野修・うらたじゅん他 著『幻燈 11』               (北冬書房刊・10.11.15) »