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2011年1月 7日 (金)

「情況」的場所へ(9)―無主ということの方位―

 わたしは、九月の初めに発生した尖閣諸島での中国魚船衝突事件による様々な波動を目の前にして、奇妙な感慨を抱き続けてきたといってもいい。いまだ未詳の部分が残存している事件とはいえ、空虚なる国会という場で皮相な論議が続いていることに対して、たんなる茶番劇であるというしかないし、わが国政府や海上保安庁、検察庁の不信感漂う対応や、中国(北京政府)の高圧的な態度に対しても、わたしの関心の在り処はない。もとより、北京政府権力にコントロールされた中国国内での反日デモに関しては、論評するに価しないし、あまり重視すべきではないと思う(国内政府批判に転ずる可能性もあるといった報道には惑わされない方がいい)。現在、わが国政府の公式見解は、尖閣諸島に関して領有権問題は存在しない、つまり、わが国固有の領土だというものだ。一方、中国や台湾は、いずれも、自国の領土だとして積極的に領有権を主張しているが、ここで、極めて、アイロニカルな主張があることを、例示してみたい。中国共産党政権が領有権を主張しているからといって、わが国の共産党までもが、尖閣諸島は日本の領有が正当なのだと応酬するとは、思わなかったのだが、Net配信された記事を読むと、まさしく、そうなのだ。そしてその主張は、極めてレトリックに満ちたものだといっていい。
 「尖閣諸島(略)は、(略)いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。(略)1884年に日本人の古賀辰四郎が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌85年に日本政府に対して同島の貸与願いを申請していました。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日本領に編入しました。(略)所有者のいない無主(むしゅ)の地にたいしては国際法上、最初に占有した『先占(せんせん)』にもとづく取得および実効支配が認められています。日本の領有にたいし、1970年代にいたる75年間、外国から異議をとなえられたことは一度もありません。日本の領有は、『主権の継続的で平和的な発現』という『先占』の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。」(「しんぶん赤旗」10.9.20付・傍線は引用者)
 「所有者のいない無主(むしゅ)の地」を、「最初に占有した」ものが、「取得および実効支配が認められ」るのだとしたら、誰でも先に収奪した場所が専制支配できるということを意味する。これは、「力」あるものが、「力」なきものを制圧しうる覇権の論理と照応していくものだ。陸地ではなく、島嶼であるからこそ、これまで、継続的に表立った軋轢が起きなかったといえるかもしれないが、陸地に跨る国境問題を考えてみればいい。最も卑近な例をいえば、中国・インド間の国境紛争だ。ヒマラヤ山脈という高地帯は、ほんらいなら、「所有者のいない無主(むしゅ)の地」であるといってもいいはずだ。にもかかわらず、いまだ、停戦状態のまま国境は画定されずにいるというのが、現状だ。
 「赤旗」の見解は、そもそも、「無主」という概念を履き違えているのだ。尖閣諸島は無人島だから無主の地であるということにはならない、むしろ、誰のものであってもいい場所であるということを前提とすべきである。わたしが、この間、抱いた奇妙な感慨とは、いわゆる領土ということへの疑念であり、その根拠となるべきことの無意味性に対してである。もう少し、直截にいうならば、わたしたちが、日々生活している場所を、わたしは、日本国の領土などと思ったことは、一度もない。たぶん多くの人々も、そうに違いない。つまり、領土問題というものがリアルなこととして生起するのは、国境という位相を契機とするからである。そして間違いなく、国境というものは恣意的なものであり、さらにいえば国際法を逸脱した国家間の「力関係」を反映したものでしかない(パレスチナ自治区の境界問題を考えてみればいい。イスラエルは、「力」によって、和解へのロードマップを無視して支配域を拡大し続けている)。
 さてここからは、「赤旗」の転倒した見解を解体していかなければならない。「無主」を「無縁」とともに、歴史的概念として、鮮烈に確定させて見せたのは、網野善彦であった。
 「農業民と非農業民の区別は、ごく自然に考えただけでも明らかといえるが、この両者の差異はより根本的には、山野河海、市・津・泊、道等々の場に対する関わり方の違いに求めるべきである、と私は考える。(略)当然、両者の利害はしばしば鋭く対立した。(略)それはまた『有主』と『無主』の対立の一面ももっていた。文字通り『無主』の山野河海が前近代には、まだまだ広大であったことは認められてよかろう。本来、耕地のひらかれた大地についてもいえることであるが、『山や川はだれのものでもない』という見方は、庶民の中に深く根づいた思想とみなくてはならない。そして市・津・泊や道・辻も、割り意識的に『無主』『無縁』と性格づけられた場であった。もちろん非農業民がそうした境界領域ともいうべき場所で生活し、生業を営むためには、そこをなんらかの形で管理、領有しなくてはならないので、これを『所有』の一形態とみることもできるが、それは否応なしに自然そのものの『論理』にできるだけそったものとならざるをえないのであり、田畠などの耕地の私有とは全く次元の異なる『所有形態』というべきであろう(略)。この意味で非農業民は、山野河海、『無主』の場の論理の代言人であった。」(『中世の非農業民と天皇』)
 最近、NHKテレビの「無縁社会」をテーマにしたドキュメンタリー番組が評判を呼んでいるようだ。そこでの「無縁」は、いわゆる格差社会から孤立化していくことの不安感を指していて(わたしなら、格差社会のなかでどうにか充足していくよりも、貧窮に向うことになったとしても、逸脱した生き方を選びたい)、負の意味を付加しているのだが、網野のいう「無縁」は、そうではない。格差社会という措定の仕方を、いまここで厳密にすることはしないが、国家や社会の構造・システムというものは、基層においては連続性・時間性を潜在させているものだ。わが国においては、天皇制的なるものが、制度としては空白化しているとしても、網の目のような瀰漫の仕方で、共同的形態に表象され続けてきたといえる。網野が思考する非農業民における「無主・無縁」ということの方位には、農業民(定住民)つまり、農耕的なるものを基層とする天皇制の様態を相対化することにあった。中世という時空間のなかで、支配体系の円環が及ばない領域、生活圏というものを措定することによって、自存していくことの位相を見通していこうとする網野の歴史性に向けた視線は、鮮烈だ。
 わたしは、片桐慎治の作品「犬になる」(『幻燈No.8』)に、接した時、いいようのない衝撃を受けた。「黒い犬」をめぐって発せられるモノローグには、「無主・無縁」を潜在させる契機があると見做したからだ。故郷を離れること(非定住者になること)によって、自らを「無主・無縁」の場所へと流離させながらも、現在という時空間のなかでは、郷愁へと反転していく不安定さを払拭できずに、見知らぬ場所を彷徨う。
 「名も知らぬ/人たちに/私は…/長いこと/手紙を届けた」「帰るのか…/もう知る人もない/海辺の町に/戻ろうか」「一度会うべき神とは/誰だろうか……」
 〈黒い犬〉は、「無主・無縁」の表象であり、〈神〉は、そのことの反照として立ちはだかっている。〈神〉を「無主・無縁」の場所へと引き寄せることはできるのだろうか。
 ふたたび、網野の言説に立ち返るならば「『山や川はだれのものでもない』という見方は、庶民の中に深く根づいた思想」であるという位相が、わたしには、普遍性を持って迫ってくる。この言説をアクチュアルなものへと揚棄すべく、わたしたちは、現在的視野を汲み入れながら、網野の思考に向き合うべきだと思う。その時〈神〉は〈無主〉となるのだ。

(『月刊架空』10年11月号)  

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