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2010年11月27日 (土)

西野空男 編集・発行(編集・斎藤種魚、甲野酉)                         『漫画雑誌 月刊架空』(セミ書房刊・毎月発行)

 漫画家・西野空男(『幻燈』を中心に作品を発表、作品集に『幸福番外地』)が、独力で『漫画雑誌 架空』を刊行したのは、いまから四年前のことだった。創刊号が06年12月、第二号は08年4月に発行された。かつての『ガロ』を想起させる表紙デザインは、ひとつのオマージュと志しの証しだったといっていいと思う。第二号には、「平成二十四年九月十日次号発行編集/平成三十八年迄(数年ごと 全十二巻発行)」と記されてあった。しかし、西野はひとつの決断と決意を持って、『架空』の月刊化を企図した。本年の四月発行の四月号(通巻第三号)から、一年間限定で来年の三月号まで計十二冊発行することにしたのだ。題して、『月刊 架空』である。
 「私が『ガロ系』と呼ばれる表現に後戻り不可能なところまでのめり込んだのは、私自身が漫画を描き始めた2000年前後の時期だ。それ以前も漫画は描いていたのだが、自分が描きたい事がなんだかわかっておらず、2000年前後に、なんとなくわかってきて、それらしき漫画が描けるようになったのである。しかしそれを示す的確な言葉はなく、はっきりとした定義のない『ガロ系』という言葉に依存することにした。(広義では『ガロ系』、狭義では『つげ義春以後』と名のった。)その後、西野空男として、どうにかこうにか10年間、生き続けてきた事になるが利益の観点から見れば、未だ存在していないともいえる。しかし現在、私は私自身の犠牲において、少なくとも『ガロ系』へのファイデリティ(忠誠)を獲得したのだと確信している。つまり『ガロ系』が引きずる表現上の問題を、自分の問題として考え、表層的であれ『漫画雑誌 架空』として捉えていると思っている。」(西野空男「制作まで」―『月刊 架空』四月号)
 わたしは、西野のオマージュと志し、決断と決意に対して、無条件で共感を表明したい思いを有しながら、どこかで、留保したい感慨もまたあることに気付いてしまう。リアルタイムで『ガロ』に接していなかった西野のファイデリティ(忠誠)の心性が分からないではない。だが、ひとことで、『ガロ系』と断じてしまうことの危うさを思わざるをえないからだ。『ガロ』は、わたしが中学三年の時に創刊している。わたしが、『ガロ』を手に取るようになったのは、数年後、高校生の時だ。白土三平の「カムイ伝」が連載しているのを知ったからである。そして、その過程で、つげ義春、つげ忠男、林静一の作品と出会うことになる。やがて、つげ義春が作品を発表しなくなった時、わたしのなかで、『ガロ』は、遠い存在になっていったといえる。誤解を恐れずにいえば、『ガロ』は、一貫した編集方針があったわけではない。多くの編集者の出入りがあり、七十前後の時代情況や八十年代の消費社会の到来といったことにまったく影響を受けずに来たわけではないのだ。だから、わたしのなかでは、ひと括りに『ガロ系』と捉えることに、強い異和感がある。西野空男が、『ガロ系』というものを表現の根拠にしたいというのはいい。だが、本来、表現というものはどのような形容も必要ではない。西野空男の表現は、紛れもなく西野空男の表現でしかないのだから、『架空』は、現在の困難な漫画表現のなかで、鮮烈に屹立していけばいいし、屹立していけるはずだと、わたしはいいたい。
 既刊の十月号まで掲載された漫画作品の作家名を列記すれば以下のようになる。西野空男、斎藤種魚、甲野酉、うらたじゅん、おんちみどり、まどの一哉、キクチヒロノリ、手栗天狗郎、西間木隼人、野間真治、高木ひとし、山坂ヨサンセン、浅田拓、高橋学、三好吾一、屋我平勇、三本美治、香山哲、大西真人、鳥子悟、炭子部山貝十、小野原教子、藤田みゆき、斎藤潤一郎、川勝徳重、くるみみどり、砂糖ヒロタカ、ピーター・ラリー、花崎五郎、かなしきじゅんこ、黒川じょん、安倍慎一。他に、「月刊ガロ目次録」、ガロの編集者だった高野慎三へのインタヴュー「高野慎三を原ねる」、金ゐ国許「つげ義春をマップする」、拙稿「『情況』的場所へ」などの連載がある。九月号で月刊化六冊目となった。いよいよ折り返しだ。
※セミ書房=〒146-0085大田区久が原4丁目13-8青木コーポ101(Websiteは、http://www.geocities.jp/bbtu
geken/0wk00.html)

(『図書新聞』10.12.4号)

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