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2010年9月25日 (土)

遠矢徹彦「砂迷宮」                                ――『風の森 第12号』(10年4月10日発行)掲載

 遠矢徹彦が紡ぎ出す物語は、沈潜させた思考の母型が、時間と空間を横断しながら、作中人物に現出させていくという構造を持っている。わたしたちは、遠矢作品に接して、真っ先に、その沈潜した思考の深遠さに、感応するのは、もちろんのことだが、むしろ、作中人物たちが、その思考の波動を伝えていきながら、印象深い像型としてかたちづくられていくという物語性に、共感していくことになるのだ。そのような意味でいえば、『砂迷宮』は、遠矢作品のなかでも、最も、そのことを顕著に示している作品だといっていい。アルコール依存症のため、山陰地方の海岸沿いのサナトリウムで療養していた「私」は、退院の日を迎えた。砂丘を歩いていた「私」の眼前に、突然、「大胆なデザイン」の「夏服姿」の女が、現われる。その女とともに、唯一、開いていた海の家で休息し、「私」は、「アドリア海」を喚起させる、女の話を聞くことになる。「アドリア海」は、この物語の基軸となるメタファーである。そこに散りばめられたメタファーの粒子は、68年のパリ五月革命であり、「私」に纏わる「セクト間の殺人ゲーム」と「通称ノンと呼ばれた女の無意味な死」だ。やがて、「夏服姿」の女は忽然と消える。海の家の女店主は、初めから一人で入ってきて、同行の女性などいなかったと「私」に告げる。女店主に勧められるままに、出所祝いと称して、久し振りのアルコール(ビール)を口にし、迷宮のようなエロス的世界を、「私」は、彷徨うことになる。「夏服姿」の女も、海の家の女店主も、あるいは、海の家に棲みついたという「猫」も、すべて幻影のように思われてくる。いや、「猫」だけが実在していて、もしかしたら「夏服姿」の女も、海の家の女店主も演じ切っていたのかもしれない。秋成の怪異譚のようでもあるが、しかし、この作品は、明らかに別位相の物語として屹立しているといっていい。なぜなら、遠矢作品は、硬質な観念の重層性によって、思考の幻影が、絶えず彷徨しながらも、ある確信に至る場所へと降り立たせていくからだ。     

(『図書新聞』10.10.2号)

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