« 2009年12月27日 - 2010年1月2日 | トップページ | 2010年2月21日 - 2010年2月27日 »

2010年1月15日 (金)

國方敬司・永野由紀子・長谷部弘 編                   『家の存続戦略と婚姻―日本・アジア・ヨーロッパ―』                 (刀水書房刊・09.10.16)

 家族または家という構成体から、親族へと拡大展開をしていき、やがて一つの共同体を形成していくという視線を包括的にとるならば、そこには、国家や社会の像を措定しうる位相というものを、透徹できるはずだ。ただしここで前提とすべきことは、家族や家々の集合するかたちそれ自体が、社会や国家へと即時的に連結していく契機を有しているわけではないことだ。わたし自身、これまで、共同体をめぐる諸問題に対して長い間、関心を向けてきたのだが、最も、難渋する切開点は、家族または家という様態に対するアプローチの仕方であった。本論集の主旨は、古代的時空間における家族の淵源や共同体形成過程への遡及にあるのではないとしても、家の存続ということを想起するならば、それは、共同体の位相と切り離しては考えられないものとしてある。
 家の存続とは、どういう意味を持つものなのだろうか。一代を考えれば、死ねば死にきりである。例え、血縁性や財産、資産が継承されたとしても、それは、当代の人たちにとって、死後のことをいくらか安寧に考えていられるに過ぎないのであって、何代か先のことは、実際としては考慮外とならざるをえない。にもかかわらず、いうなれば、家の存続という要請がどこからともなくやってくることになるのだ。
 本書では、「『家・イエ』を家制度とは区別して、基本的には、継承すべき家業・家産をもつ永続的な家族集団」(國方敬司「婚姻と家の存続―『はじめに』として―」)としている。例えば、「第一部 日本の家と婚姻戦略」においては、東北の大名、信州の蚕種家、明治・大正期の三井家、住友家、岩崎・安田家といった旧財閥を対象としている。これは、本書の主旨として婚姻を基軸とした「家の存続戦略」を分析、論及するものである以上、権勢を所有する家族集団がその対象となるのは、当然のこととなるわけだが、「第二部 アジアにおける家と存続戦略」、「第三部 ヨーロッパにおける家と存続戦略」では、幾分、多様な視線を持って、「家の存続戦略」を展開しているといっていい。十三の論稿で構成している本書だが、わたしの関心を惹いた幾つかの論稿に触れて、「家の存続」という意味を見通してみたい。
 岩本由輝「近世大名における家存続戦略」では、出羽久保田藩佐竹氏における藩主継承の問題を精緻に分析している。柳田國男に関する刺激的な諸論を展開してきた岩本が、わたしの故郷でもある秋田・佐竹藩の内紛を描出するという機縁にまず驚いた。そして、岩本も縁のある相馬藩(陸奥中村藩相馬氏)が、佐竹家と深い関係で結ばれていたことを初めて知った。佐竹家の藩主継承に相馬氏の妾腹の子が養子となって入っていくという構図は、戦国大名が、戦略的な婚姻をしたことと、同じ様な位相を持っていると捉えることはできるとしても、時代の違いを考えれば、悲惨な歴史の影とでもいうべきものを感じてしまう。それほどまでに、「家の存続」というものが、共同体的な基層のなかでは、重く潜在しているといえそうな気がする。
 長谷部弘「近世日本における『家』の継承と相続」においては、名声という意味の「名」ではなく、文字通りの「家名」ということへの析出を行っている。「江戸時代の身分として」、「本百姓」であっても、「家業・家産の規模が大きい家々」では、「家督の継承・相続」で「代々世襲する」、「家名」というものは、「実名」というよりは、「通名」であった。「何々家」というものではなく、「何々衛門」といった名で呼ばれるということである。一つの共同体のなかに、同じ「家名」のものが存在していて、それぞれに当然「実名」があるわけだが、「何々衛門」と称することによって、その家が、本家なのか分家なのかということが、わかるかたちになっているのだ。これは、わたし自身も経験していることであり、いまだに、そのように称することが残っている場所があるのは確かだ。
 大澤正昭「宋代士大夫の『興盛之家』防衛策」では、「中国の伝統的な考え方では、個別の家を維持することが大切なのではなく、祖先から子孫へと受け継がれる『気』の流れを絶やさないことが大切なのである」と述べていることに注目した。
 小池誠「東インドネシアにおける家と婚姻戦略」は、「東インドネシアに位置するスンバ島の『家』の事例」をレヴィ=ストロースの親族理論を援用して展開した意欲的な論稿だ。
 このようにして、見てみれば、「家の存続」とは、共同体的要請からくるものであることが推察しうる。それは、なによりも、共同体とは、家々の集合体(家族から親族へと拡大していく過程)の別称でもあるといっていいからなのだ。近現代は、そうした家、共同体を法制度という国家的な統治支配力を持って、婚姻・戸籍というものを強固に管理していった過程であったということができる。本書の論稿は、いわばそうした過程の前段を分析した注目すべき試みだといっていい。

(『図書新聞』10.1.23号)

| | コメント (0)

« 2009年12月27日 - 2010年1月2日 | トップページ | 2010年2月21日 - 2010年2月27日 »