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2010年4月 9日 (金)

松本健一 著『村上春樹――都市小説から世界文学へ』(第三文明社刊・10.2.20)

 昨年出版された、村上春樹の最新長編小説『1Q84』は、1、2巻合わせて二百万部発売されるという大ベストセラーとなった(3巻は、今春発売)。ベストセラー作家という印象が強い村上春樹だが、これだけ売れた作品は、『ノルウェイの森』以来ということになる。通例、ベストセラー作家に対して、様々な批評がなされることは、わが国の論壇においてはあまりないことなのだが、これまで村上春樹に関してだけは、単著、共著に関わらず数多くの作家論が刊行されてきている。本書もまた、そのひとつとして見做されるかもしれないが、著者が松本健一であることによって、異彩を放った村上春樹論となっている。副題の「都市小説」から、「世界文学」へとは、まさしく本書における村上春樹論の眼目であるわけだが、これは村上作品の主題的な転換を指し示していることを意味している。松本の視点は、「都市小説」とは、「都会で『孤独』に生きる若者と、そのために他者と『つながろう』とする男や女の『愛』という『小さな物語』」を持った「一種の風俗小説」であり、「戦争や革命、あるいは民族の運命や、そのために引き裂かれる人間の愛や死といった『大きな物語』」を持ったものが、「世界文学」ということになる。もちろん、ここでいう「都市小説」は、低次元の文学作品で、「世界文学」は高次元のものだということではない。主題的位相の問題を松本は述べているのだ。そして、その転換の契機を『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』として捉えていく。『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』の間には十五年間という長い時間性が横たわっているが、確かに、この二作品には、村上春樹の主題性への拘りが濃密であるという共通性はあるといっていいかもしれない。
 ところで、村上春樹から遅れること二年後に作家デヴューした高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』(81年)と、村上春樹の『羊をめぐる冒険』(82年)、さらには桐山襲の『パルチザン伝説』(83年)の三作品は、作家的スタンスと方法的差異の違いを承知の上でいえば、わたしは、全共闘運動、あるいは六十年代末から七十年代初頭にかけて生起した反体制的渦動の陰影を抱え持つ極めて屹立した小説であると見做している。もし全共闘運動や反体制的渦動を「大きな物語」として活写するのであれば、「主題小説」の典型として見做されたプロレタリア文学に収斂されることになり、主題を顕在化させることによって主題そのものの空白を表出させることになる。だから、三作品とも、けっして「大きな物語」として露出させてはいない。桐山は独特の文体と象徴的な表現で主題を出来る限り潜在化させることによって作品を深化させ、読む側の共感を喚起していた。村上春樹と高橋源一郎は、一見、桐山とは異質な文体と表現方法を駆使しながらも、同じように主題を潜在化させることによって、主題の持つ深遠さ表出していたといえる。だが、『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』には、明らかな主題性の積極的な顕在化というものを感受することになる。これは、方法的転換なのだろうか、あるいは、松本的な視点でいえば、「小さな物語」から「大きな物語」への飛翔と見做すべきなのだろうか。『ねじまき鳥クロニクル』では、ある種、唐突に十五年戦争下での暗部が描出され、『1Q84』では、新左翼運動の暗部である党派間抗争とオウム事件を混在させながら、モチーフとして横断させている。『羊をめぐる冒険』が連赤事件を内在していると見做してみれば、ほんらいなら、なんらモチーフとして異和感を抱くことはないのだが、わたしには、なにかが違うといった感覚が読後に残ったのは確かだ。
 松本は、次のように述べていく。
 「人間に『想像』を許さないというシステム自体は、時代によって変化しながらいつも人間社会に出現する、ということです。『1Q84』では、小さなリトル・ピープルがにこやかに出現してきて、踊りを踊ってみんなに幸せをもたらすような物語を作っているけれども、これが要するに、新しい集団のシステムの中では人に『想像』を許さず、人々を精神の内部から支配しているのだ、という村上春樹のメッセージになっています。」
 「かれは都市小説の手法を使いながら世界文学を書こうと挑戦したのだといえます。それは、今までのような心地よい物語を提供しているという過去への自己否定で、そのことによって自ら都市小説の殻を破ろうとしたのだと思われます。」
 松本の言に従えば、メッセージ持った村上春樹作品であり、「心地よい物語」からの脱却ということになる。確かに、そう見做してみれば、『1Q84』に対するある程度の異和感は、払拭するかもしれない。
 いまは、『ねじまき鳥クロニクル』の第3巻によって物語を大きく離反させて、わたし(たち)に落胆を与えてしまった村上春樹が、『1Q84』で同じ轍を踏まないことを期待するだけだ。

(『図書新聞』10.4.17号)

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