« 2010年2月21日 - 2010年2月27日 | トップページ | 2010年4月4日 - 2010年4月10日 »

2010年4月 1日 (木)

「情況」的場所へ(1)―禁忌について―

 わたしはここ数年来の、なにか息苦しさが皮膜のように覆い尽くしていると感じさせる情況に対して、どうにかして道筋のようなものを見通すことはできないだろうかと、考え続けてきたように思う。そのためには、「情況」的な場所へと明確な視線を降り立たせることが、まず、さしあたって切実なこととしてあるのではないかと思っているのだが、言葉による表出はいつだって空虚さを拭い去ることはできないことも、分かっているつもりだ。にもかかわらず、こうして途方もない作業を自分自身に課すことに、どんな意味を持つのかは定かではない。やや、衒いをもったいい方になるのかもしれないが、ともかくも、始めてみるしかないということになる。
 消費資本主義社会が高度な段階に達したといわれた八十年代から九十年代初頭にかけての情況をめぐる記憶は、もはや遠い時間的断層のなかへと入り込んでしまったといっていいかもしれない。ここ数年の情況と比較して捉えてみるならば、格差社会、貧困の時代と称するに至って、まるで現在という時制は、時間を逆行したような様態を指し示しているといえそうだ。昨夏のいわゆる政権交代という事態は、そうした閉塞感を開く契機となるのではないかと受けとめた人たちは多かったはずだ。彼ら(政権の担い手たち)は、誇らしくこれは無血「革命」だと僭称していた。しかし、「革命」は、必ず「反革命」というものが生起してくるのが、歴史というものの表象形態である。政権交代のリヴァウンドとして、この間の、法的権力(象徴的には検察権力)行使の露出や長年に渉る自民党支配、官僚支配に慣れきってしまったマスメディアによる想像を絶するファシズム化した代行権力の行使を眼前にして、これまた、時間を逆行させようとする動態の表象を示してしまっている。
 わたしは、民主党を中心とした連立政権を積極的に是認しているわけではないが、自公政権や共産党政権よりは、幾らか全うな施策ができるはずだと考えているにすぎない。そして、わたしたちの自存の場所を確立させてくれさえすれば、政府というかたちは、いつでも交換可能な開かれた状態であればいいという考えを持っているだけなのだ。
 昨年末、中国の国家副主席が来日した際に、天皇との会見、いわゆる特例会見をめぐって生起した事態を見て、これもまた、政権交代による様々な軋轢の表出といえることなのだが、そのことだけに留め置くことのできない位相が内在していることに、わたしは大いなる危惧感を抱いた。つまりそれは、「禁忌」をめぐって露になったことへの不快を意味している。戦後、わが国は、天皇に対して政治的実行支配力を削ぎ落としたかたちの象徴天皇制というシステムを導入した。そして、天皇による十数項目の国事行為(外国の大使、公使との接受という項目はあるが、外国の要人との接見は確かに項目には入っていない。これは、政治性を覆い隠すためのレトリックでしかないといえる)に限定して、国政には直接関与しないというかたちをとっている。しかし、この間の、自民党から宮内庁権力、マスメディアの主張や論調は、民主党(もしくは小沢一郎)による天皇の政治利用だと批判していくものだった。そもそも、天皇を象徴化するシステムを採用したからといって天皇の権威から政治性が簒奪され無化されたのかといえば、そうではない。「象徴」という概念自体が「鵺的」なものでしかない以上、次の様な捉え方もありうるのだ。
 「千数百年の天皇制の歴史過程は、たえず危機にみまわれ危機を媒介としてより高度の存在様式を発見する過程であった。そして、危機のなかで発見される、より高度の、より完成された天皇制の形態は、その時代の社会関係、生産関係を総括するにもっとも適わしい支配の様式と名づけるべきものであった。戦後天皇制は『象徴天皇制』を『条文』化する過程において、史上最高度の発展段階にある天皇制として自己を開示する端緒をひらいたのである。」(菅孝行「天皇制の最高形態とは何か」)
 象徴天皇制こそ、天皇制の歴史のなかで最高形態だとする菅の分析は卓見だ。いずれ、象徴天皇制というかたちによって天皇制なるものは必然的に自己解体していくしかないとする見解もないではない。しかし、それは天皇家という皇室形態のことをめぐる問題であって、天皇制なるものとは別次元として捉えるべきである。
 特例会見騒動に焦点を戻すならば、天皇の体調を考え、一ヶ月ルールというものを設けたことを金科玉条のように宮内庁官僚や自民党議員たちは主張するが、まったく本末転倒も甚だしい。一ヶ月ルールなるものの根拠自体、極めて政治的なものでしかないといっていい。象徴存在を強固に武装した論理と、それはいい換えることもできるからだ。
 わたしの天皇制に対するスケッチは極めてシンプルなものだ。共同性なるものを無意識下に置くことによって、個をそのなかに無化させていく「力」を内在させたものとなる。もう少し付け加えるとするならば、アジア的な共同性の特質をもったもの、つまりアジア的専制と称されるヴァリエーションのひとつという捉え方にもなるということだ。いうなれば、上から下へと垂直的にベクトル化する支配力ではなく、なだらかに水平線的に瀰漫させていく支配の構造といえばいいかもしれない。そのために、被支配という観念が希薄化していくことを意味している。
 斎藤種魚の『コシヒカリの見た夢』集中、「ひとめぼれ」のなかで、「日本民族などと美化するから、天皇制のはいりこむ隙ができる。日本から稲作がなくなってしまえば、天皇制もなくなってしまうだろう?いやしかし民族霊は残る天皇霊は残る」というモノローグがある。わが国の天皇制の基層は農耕的なものに凝縮されるというのが、ひとつの通説となっている。王権継承祭儀として知られる大嘗祭が、農耕的祭儀を模倣したかたちで行われているのは、折口信夫の論及などを敷衍していけばわかることだ。稲作(米)を、生命の循環に例えて見做してみれば、なぜ、農耕的なるものを天皇制の補強として必要なのかが、理解できるはずだ。天皇制があるから、稲作が続いてきたわけでも、稲作が続いてきたから天皇制が延命し続けてきたわけでもない。ほんらいそこには、なにも内在的な必然はなかったのだといえる。歴史学者の網野善彦は、天皇制分析の中心が農耕的主題に偏狭していくことに疑義を呈し、海や山の職能集団を対置して、天皇制の基層を掘り起こそうとした。それは、ある意味、斬新な視線だったと思う。
 しかし、稲作的な生命循環を組み込んで霊性なるものを擬似化した天皇及び天皇制だからこそ、農耕的視線から相対化していく道筋があるのは、確かなのである。
 斎藤は、一連の「ひとめぼれ」作品群のなかで、あえて農耕に宿る霊的なるものを対置して、生々しい現実の天皇制に抗おうとしている。
 「松田清治は人とほとんど話さない/それよりも土や作物と話す時間がはるかに多かった/……松田清治は忙しかった/土や植物に触ってやりそれらに声をかけることは/いくら時間があっても足りないことだった」
 「人には手がある/おのおのの手がある/おのおのの手が…/その手には過去をもつ/その過去ゆえに/その手はそのように変わらざるをえなかった」
 松田清治の手に秘められた不思議な力は、「土に触れば/土はどんどん肥沃になるあの力さえあれば/どんな水だって」というものだ。自然対人間から生み出されていく力、それを霊力と呼ぶ人がいても、それは別に構わない。そしてそれが発生する自存する場所から、天皇霊の空虚さ空無さを撃つことは可能だといっていい。ほんらいわたしたちは、自然との軋轢のなかで累々とした生活史というものを築き上げてきたのだ。それは、記紀神話による虚構の歴史よりも遥かに古く深いものなのだ。

(『月刊架空』10年4月号)

| | コメント (0)

« 2010年2月21日 - 2010年2月27日 | トップページ | 2010年4月4日 - 2010年4月10日 »