« 「情況」的場所へ(3) ―〈核〉という迷妄― | トップページ | 全国貸本組合連合会 発行                           『復刻版 全国貸本新聞 (全2巻)』(不二出版刊・10.7.1) »

2010年7月15日 (木)

「情況」的場所へ(4) ―南島からの放射―

 民俗学者・柳田國男(1875~1962)、最晩年の代表作『海上の道』(61年刊)は、日本人の起源を遡及した雄大な論考として知られている。はるか南方から中国大陸、沖縄の島々を通り本土へと至る〈海上の道〉を措定したものだが、画期的な南島研究ともいえるこの著書に収められた論稿のほとんどは、沖縄が占領下にあった50年から55年までに執筆されたものだった。柳田自身、沖縄への訪問は意外にも、20年の年末から21年二月まで滞在した一度だけであった。その時の紀行文が南島研究の端緒となったといわれる『海南小記』(25年刊)である。民俗学者の本領として、日本人の起源を遡及しようとしたことは、必然だったとしても、それが、当時、占領下にあった南島・沖縄へと視線を向けていったのは、大和(王権)国家から大日本帝国へ至る歴史過程を相対化しようと無意識のうちに働いた結果ではなかったのかと、わたしなどは、類推したくなってくる。そして、当然といえばそうなのだが、柳田の南島研究のモチーフは、日本本土の文化・民俗より遥かに古層性を持ったものが南島には残存しているということだった。だからこそ柳田の思考は、辺境と見做されていた南島という場所から、列島国家の歴史的時間の虚構性を相対化するものだったといえるのだ。そのことを、さらに苛烈に推し進めていったのが吉本隆明だといっていい。『共同幻想論』(1968年刊)提示後、さらなる国家の基層性を論及していった吉本は、折からの沖縄奪還解放闘争の渦動のなかで、一連の「南島論」といわれる講演を幾つか行っている。その起点となった「南島論―家族・親族・国家の論理」(『展望』70年12月号収載)は、現在でも依然、アクチュアリティを持っているとわたしは捉えている。ここで吉本は、南島の問題を辺境といった地域的な後進性で捉えるのではなく、世界の歴史的現在性として汲みいれて論及するという立場を鮮明にしている。
 わが国の天皇制における王権継承祭儀(大嘗祭)と南島におけるノロの継承儀礼、琉球王朝が制度化した聞得大君(キコエノオオキミ)という最高の巫女の継承儀式を比較し、多くの共通性を取り出しながら、聞得大君やノロの継承祭儀の方が、大嘗祭よりはるかに“古形を保存”していると捉えて、次のように述べていく。
 「(略)天皇制統一国家に対して、それより古形を保存している風俗習慣、あるいは〈威力〉継承の仕方があるという意味で、〈南島〉の問題が重要さを増してくるだけでなく、それ以前の古形、つまり弥生式国家、あるいは天皇制統一国家を根底的に疎外してしまうような問題の根拠を発見できるかどうか、それはまさに今後の追求にかかっているのです。(略)それなしには、〈南島〉の問題は、たんに地域的辺境の問題として軽くあしらわれるにすぎないでしょう。つまり、現在の問題に限っても、日本の資本制社会の下積みのところで、琉球沖縄の問題はいなされてしまうことは確実です。」
 沖縄が核密約のもと日本国家へと返還されて三十六年、何も変わっていないことに、わたしたちは愕然とするはずだ。念願の本土復帰以後も、結局は、「日本の資本制社会の下積みのところで、琉球沖縄の問題はいなされ」続けてきたといっていい。それでも、もしかしたらと、淡い期待を抱いたのは沖縄の人たちだけではなかったはずだ。昨夏の劇的な政権交代によって誕生した鳩山政権(鳩山由紀夫自身、従来からの九条改憲論者のスタンスを封印した)は、対等な日米関係の構築と在日米軍の見直しを宣し、十数年、自公政権によって暗礁に乗り上げたままになっていた沖縄普天間基地移設問題を国外・県外移転という方針へと明確に打ち出したからだ(鳩山は、今頃になって、あの公約は党代表のもので、政府の方針ではなかったなどと詭弁を弄する始末だ)。しかし、この間の時間的推移を見てみれば、自公政権時は、普天間問題をまったく俎上に乗せることもなかったマス・メディアは、鳩山と小沢に対する執拗な政治資金問題の狂騒的な報道が終息した途端、今度は基地移設問題を執拗に報道し続け、五月期限を踏み絵のように鳩山政権に迫るファシズム的批判報道を繰り返してきたといえる。沖縄や徳之島の住民の声だけを集中的に拾い上げ、これほど反対の声を上げているにもかかわらず、どう判断するのだといったアリバイ的報道操作をやっているに過ぎない。大半のマス・メディアは、日米安保体制堅持、在沖縄米軍基地はそのまま存続というスタンスにもかかわらずだ。その証左に東京や大阪といった大都市圏の人々の在沖縄米軍基地に対する反対の声を一切拾うことなく、現地の声だけに集約するという欺瞞に満ちた報道を続けてきた。「毎日新聞」5月31日付朝刊に掲載された世論調査での基地関係の設問は、「普天間問題で鳩山首相は、退陣すべきか、退陣する必要はないか」という二択と、「普天間飛行場の辺野古移設には、賛成か、反対か」という二択の二つだけである。沖縄に米軍基地は必要かどうかという最も重大な設問を見事に忌避しているのだ。全うなジャーナリズムなら、むしろこの機に、米軍基地の存否をわたしたちに問うべきではないのか。マス・メディアの巧妙な世論誘導に、わたしたちは惑わされてはならない。さて、ここからは鳩山政権における弱体性の抽出だ。端的にいえば、結局はアメリカ追随主義の外務省官僚・防衛省官僚のコントロール下に入ってしまったということになる。岡田は元々核保有論者の親米派であり、北沢は、なにも見識を持っていない、ただ長い議員歴で大臣になったようなものだ。これでは、自公政権下で微温湯に浸り続けてきた官僚にとって、政権交代は、なんら危機感を抱く必要のないことになったわけだ。所詮、政治主導は空語でしかなかったのだ。極めつけは鳩山だ。沖縄の負担軽減といいながら、聞いてきたような抑止力といったことを前面に出し、実効性の欠ける現行案を踏襲して、「地域的辺境の問題として軽くあしら」った権力的視線を露呈したといえる。
 うらたじゅんの「浮浪漫歩」シリーズの「シーサイドホテル」(『幻燈3号』・01年)と「渡難」(『幻燈5号』・04年)の二篇は、現在版『海南小記』といえる作品だ。「シーサイドホテル」は、沖縄返還(72年5月)後の74年秋、家出するようなかたちで一人旅に出て、石垣島へ渡り“シーサイドホテル”と呼ばれる石垣港の離島航路波止場に並ぶ十数個のベンチで寝泊りする若い旅人たちとアキコとの通交の始まりを描出していく。続く「渡難」では、“シーサイドホテル”で知り合ったナナに誘われて、与那国島に渡りキビ刈りの仕事をして暮らす日々を描いていく。
 柳田の『海南小記』には、こんな記述がある。
 「与那国の女たちは、ほんの無邪気な心持ちで、島の話をしたのである。静かに聴いているといくらでも悲しくなる。生きるということはまったく大事業だ。あらゆる物がこのために犠牲に供せられる。しかも人には美しく生きようとする願いが常にある。苦悩せざるをえないのではないか。」
 この記述には、「なかなか楽ではない島の生活」ということが前提にある。それでも、「美しく生きようとする願い」を込めて与那国の女たちは、生きていくという〝大事業〟に向かっていくのだ。うらたじゅんの「渡難」では、「キビを刈る女たちの力強い明るさ」を淡々とした筆致で描出していく。やがて、キビ刈りの重労働が祟りアキコは高熱を出して夢うつつの状態になる。そして、木々のなかから「ネエネエ/がんばれよ!/死んじゃダメさ/命ど宝」の声が聞こえてくる終景は、秀逸だ。
 米軍基地によって経済的恩恵を受けているといった表層的なデマゴギーに満ちた支配の論理からの視線をわたしは解体したい。それは、理念やイデオロギーの問題ではない。いま、南島からは、絶えずわたしたちに向かって「美しく生きようとする」熱い思いを放射され続けていることを率直に受け止めるべきなのである。

(『月刊架空』10年7月号)

|

« 「情況」的場所へ(3) ―〈核〉という迷妄― | トップページ | 全国貸本組合連合会 発行                           『復刻版 全国貸本新聞 (全2巻)』(不二出版刊・10.7.1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「情況」的場所へ(3) ―〈核〉という迷妄― | トップページ | 全国貸本組合連合会 発行                           『復刻版 全国貸本新聞 (全2巻)』(不二出版刊・10.7.1) »