« 2010年2月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月30日 (金)

ボリース・ピリニャーク 著                            川端香男里/工藤正廣 共訳・解説              『機械と狼』(未知谷刊・10.1.25)

 ボリース・ピリニャーク(1894~1938)は、ソ連・スターリン政権下で、反ソ作家として文壇から追放され、37年に逮捕、38年、銃殺によって刑死した。共訳者の川端の「再刊に寄せて」によれば、スターリン批判の年に名誉回復も、ソ連本国では、八〇年代にようやく出版されるようになったという。『機械と狼』は、ピリニャークの第二長編として23~24年に執筆されたもので、73年に白水社から『20世紀のロシア小説』というシリーズの最終巻として初邦訳が刊行された。本書は、その新版である。ピリニャークは、戦前、26年、27年と二度来日して、『日本の太陽と根元』(34年刊)という日本旅行記を出しているし、多くの作品の邦訳が出版され、「戦前のロシア文学愛読者にとっては懐かしい名前」(川端)であるという。これは、革命後のピリニャークは党公認の作家として十年以上は活動していたということになる。しかし、自身のなかに、革命プロセスに対する疑義が絶えず熱いエネルギーとして胚胎していたと見るべきかもしれない。
 わが国では、大杉栄がいち早くというか、唯一、ロシア革命の独裁権力の実態を看破していた。社会主義者・山川均との論争などがよく知られているが、大杉の死後は、スターリン政権の実相を透視できずに、戦後も含めて、わが国の旧左翼のほとんどが、ロシア革命を連続して捉え、理想社会へ漸進化していると見做していた。
 だからこそ、ピリニャークの視線は苛烈だといえる。内側から見たものが紡ぎ出す言葉は、悲痛な叫びでもあるからだ。
 「狼であるぼくらは幸福だ。なぜならぼくらにはいかなる長もないからだ。ぼくは咬みつき、また。友のために咬み合いもする!……そして国家組織が思い負担をかけることが少なければ少ないほど、その国家組織は良いものだ。」「ソヴィエト権力についてですが、わたしはまったく信頼できる筋の情報をもっていると言うことができます。それは、すべての共産主義者たちが新しい宗教信仰に入るよう命令を受けているということ」「機械とは何か?そしてプロレタリアとはいったい何者か?機械には、神と同様、血ハナイノダロウカ?」
 「機械」は、フロレタリア革命によって推進されていく機械主義(スターリン政権が直走った重工業化路線)を象徴しているし、「狼」は、「スラヴ的な民俗の恐るべき獣的な現実、それも古代や中世がついに昨日のように生きていて噴出するようなロシア民衆のありよう」(工藤正廣「思い出のピリニャーク」)だといえよう。
 本書の最終部にロシア革命を、「ロシアがヨーロッパとアジアとのソヴィエト共和国連邦と改称したとき」という記述がある。これは、まさしく、「機械」が、「ヨーロッパ」で、「狼」が、「アジア」を示唆していることになる。広大なユーラシア大陸の北半分を占めるロシアは、そのままアジアからヨーロッパに跨る、連結した空間を構成している。しかしロシア革命後のプロセスは、ヨーロッパ列強に伍していく、つまり重工業化を進めることよってヨーロッパ資本主義を超え、軍事的にも経済的にも優位に立とうとした覇権主義が、ロシアにおける「アジア的なるもの」を後列に配し、ロシア的共同体を疲弊させていったと捉えるべきであろう。ロシア・アジア的なものは後進性で、ソ連・ヨーロッパは先進社会であるという錯誤のまま、やがてソ連は解体していく。
 本書は、幾つもの断章をまるでモザイクのように構成して物語化を企図している。主要人物としては、統計学者のニェポムニャシチイとロスチスラフスキイ家の三兄弟といっていいだろう。統計学者は、物語の中の語り手のように革命プロセスの歪を統計的数字で明らかにしていく。ロスチスラフスキイ家の長男・ユーリイは、当局によって精神病者扱いをされて殺害される。ユーリイの伝言を秘めながら、「狼」について思索する次男のアンドレイのモノローグは、実に印象的だ。
 「全世界は鉄道や機械や工場なしに幾千年も平安に生きてきたじゃないか。そして今よりもずっと幸福だったじゃないか……ロシアは、百姓の、農耕の、賛美歌の、静寂のロシアは、ヒバリや歌や、民間信仰につつまれていた」
 ほんらい改革や革命(政治的なことだけではなく、産業構造的なことも含む)というものは、古いものを否定し解体して新しく組み変えていくことでは必ずしもないとわたしは考える。つまり時間性と空間性は比例するものではないのだ。アジアやアフリカが遅れた場所でアメリカやヨーロッパが進んだ場所とするあやまった歴史理念は、失効させるべきだし、失効しつつあるといえる。
 だからこそ、ピリニャークの「狼」的叫びは、現在にこそ響き渡らせるべきだと思う。

(『図書新聞』10.5.8号)

| | コメント (0)

2010年4月15日 (木)

「情況」的場所へ(2) ―アジアのなかの劇―

 かつて、わたし(たち)は、ロシア革命以後の情況をスターリン主義体制に特化して、旧ソ連を理想社会のヴィジョンを放棄した国家と見做していた。一方、中国(北京政府―そもそも大陸中国と台湾を別々の行政区とすべきであるというのが、わたしの考えである。つまり、台湾は沖縄と同じ意味で、大陸や列島とは別の古層の時間性を持った場所であると捉えられるからだ)に対しては、中ソ対立に象徴されるように毛沢東主義は、スターリン主義の二の舞いにはならないという思い込みをしていたといえる。
 66年に生起した中国の文化大革命は、当時、わが国の左翼的知識人や新左翼運動の担い手たちに大きな衝撃を与えた。それは、反権力闘争が純化したかたちだと見えたからだった。後に、「反」を冠することなど到底できない、ただの権力間闘争に過ぎなかったことが露呈するのだが、あの高橋和巳(林彪事件が発覚する以前の71年5月に亡くなる)でさえも、アナーキーな大衆運動だとして最大評価していたのだ。当時、中国文学者の竹内好が一切、文革に対する論評をしなかったのが、わたしには強い印象で残っている。文革を率先して担い毛沢東に次ぐ地位を確立したかに見えた林彪の謎の死(71年9月)、鄧小平の失脚と復活の繰り返しという中国共産党内部の権力図式の不可思議さ、天安門事件(89年6月)ならびに、執拗なチベット弾圧を象徴とする少数民族、周辺民族に対する圧制、これらのことを勘案して、わたしたちは現在、なんの躊躇もなく中国を覇権的で帝国主義的国家だと称することにしている。
 「旧ソ連邦とは異なり、中国は閉鎖的な国家資本主義(毛沢東時代)から輸出を重視した新自由主義モデルへと上手く変化した。中国は、その急速な経済成長と安価な商品――中国共産党が管理している――のおかげで、二〇一〇年までに世界最大の製造力を持ち、米国を追い越すと考えられている。/この資本主義的急成長は、労働者階級と農民の残忍な弾圧を背景に築き上げられた。ストライキは非合法であり、反体制派は殺害され、トップ二〇%の世帯が都会の総収入の四二%を獲得している一方で、二〇%貧困者はたった六%しか獲得していない。(略)中国は、アパルトヘイト時代、南アフリカの解放運動やジンバブエのような近隣諸国の解放運動に資金提供していたにも関わらず、南アフリカと内密に貿易していた。」(ウォルト/シュミット「中国はアフリカの新しい帝国主義権力なのか?」訳・森川莫人―『アナキズム 9号』07年5月)
 このような中国に対する露呈のさせ方は、マスメディアや表層的な政治経済的な言説のなかからは、絶対に出てこないといえる。この論稿は、南アフリカのZabalaza無政府共産主義者連盟の機関紙『Zabalaza』七号(2006年12月)に掲載されたものだ。かつて、中国内で激しい抗日運動が展開されたわけだが、いまでは、アフリカにおいて中国帝国に対する抵抗ムーブメントが生起しつつあるという、逆説を生み出していることになる。
 中国の驚異的な経済成長は、国内的な労働力の安価(搾取)もあるが、そもそもわが国はもちろんのこと先進諸国の企業群の生産拠点を広大な場所と多大な労働力を提供することによって、次々と受け入れていったからなのだ。これは、ある意味、現在版租界主義だといっていい。日清戦争(1894~5年)後、台湾が日本へ割譲され、さらに欧米列強国の居住地を容認することで、都市地域の活性化を成し遂げていったことにそれは通じるということだ。対外的には植民地であっても、租界もしくは租借地であることによって自国の行政権は間違いなく定立しているのだという論理は、海外企業の生産工場で産出されたものであっても自国製品であるという国内向けのアナウンスをすることで大国意識発揚をするということを意味する。
 現在、中国において最も高度に発展した都市は、上海であることは、誰も認知しうることだ。1920年代から30年代にかけての租界都市上海は魔都と呼ばれていた。上海は、イギリス、アメリカ、フランス、そして日本が居留地としていたが、ここ数年の中国、韓国の映画作品だけでも、この時期を扱ったものは、ほぼ、抗日パルチザンを主題としている。幾つか作品を挙げてみるならば、ロウ・イエ『パープル・バタフライ』(03年)アン・リー『ラスト、コーション』(07年)ユ・ヨンシク『アナーキスト』(00年)などがそうだ。
 ここではアジアにおける不可思議な劇を見せられることになる。むろん、わたしは、日本軍、日本人は、紛れもなく上海の人たち、あるいは中国人にとって侵略者であることを否定するものではない。しかし、欧米諸国人も厳密にいえばそうであるにもかかわらず、そのようには描かれないし、語られることはないということに、わたしは、不可思議さを抱かざるをえないのだ。日本軍、日本人は、横柄で残虐的だったが、欧米諸国人は、中国の人々に対しては親密的な振る舞いをとっていたからだといったことに起因するわけがない。中国側のしたたかな戦略が見え隠れすると捉えた方がいい。
 1939年という時制で始まるひとつの物語がある。湊谷夢吉の「魔都の群盲」がそうだ。既に戦時下の情況にある時代(日本軍の満州侵略は31年であり、いわゆる日中戦争が開始されたのは、1937年であった)を活写したこの作品は、主人公を飄々とした日本人画家にしたことによって、陰惨な抗争情況を脱構築して、わたしたちにアジアというものがほんらい内包する緩やかな時間性といったものを感受させることになる。作品集『魔都の群盲』に収載された他の作品、例えば、「満州バニシング」、「アヤカシの大連」にも共通していえることだ。この類稀な湊谷夢吉の作家性は、ある種のリアリズム的手法に満ちていながらも、どこか、浪漫的な雰囲気を醸し出して、夢幻の世界へと誘うかのようだ。しかし、それにしても、湊谷夢吉には抜きさしならないアジアへの憧憬というものが、潜在している。この憧憬感は、わたし自身にもあるのは否定しない。肥沃ではない土地を持つ極寒の満州国が理想の場所と想起した思念に似て、そこでは、逆説的なインターナショナリズムとナショナルな感性の空隙を照射していくかのような視線を包有している。
 「魔都の群盲」では、魔都・上海を描出することを主意としていない。そこに登場する人物たちは、なにか崇高な理念を追い求めて混乱の情況の只中に身を置いているというわけでもない。極めて密室劇のように展開していくこの作品が、北一輝の肖像画を配置する皇道派グループの挫折と背走を描いていると見ていくならば、アジア的な暗渠とでもいうべき位相がそこでは濃密に瀰漫していると捉えることができる。いずれにしても、杉浦元少佐を中心とした作品中の皇道派グループの末路は、次のようにいえるものだ。
 「同じ理想に基づいて結社し理想家が懸命にその理想の現実化を考え、ある程度の勢力となって理念が実現しそうになったとき、ひょいと気付いてみると、その集団は、集団が膨張し権力に近づいたという正にそのことによって醜悪な誹謗と猜疑の坩堝と化しているのだ。」(高橋和巳『堕落』)
 あの時代のアジア―日本の騒乱を遠望すれば、欧米列強に翻弄されながら、アジアを後進性と見做し、急激な欧米化(重工業化路線の推進と軍事増強路線の拡大)、つまりやがては欧米に追いつき、さらには超脱していくことが先進性を獲得していくことになるのだという錯誤が、理想を「醜悪な誹謗と猜疑の坩堝」のなかへと貶めて、悲惨な情況を作りだしてしまったといえる。現況の対アメリカ、対EUといった相貌を見せる鳩山提唱の中国―韓国―日本を結ぶラインも、極めて危うい構想でしかない。アジアは欧米の時空間とは、ひと括りにすることはできない独特の時間性と空間性(共同性)を有しているのだ。とりあえずは、そのような前提に立つことが重要なのだ。

(『月刊架空』10年5月号)

| | コメント (0)

2010年4月 9日 (金)

松本健一 著『村上春樹――都市小説から世界文学へ』(第三文明社刊・10.2.20)

 昨年出版された、村上春樹の最新長編小説『1Q84』は、1、2巻合わせて二百万部発売されるという大ベストセラーとなった(3巻は、今春発売)。ベストセラー作家という印象が強い村上春樹だが、これだけ売れた作品は、『ノルウェイの森』以来ということになる。通例、ベストセラー作家に対して、様々な批評がなされることは、わが国の論壇においてはあまりないことなのだが、これまで村上春樹に関してだけは、単著、共著に関わらず数多くの作家論が刊行されてきている。本書もまた、そのひとつとして見做されるかもしれないが、著者が松本健一であることによって、異彩を放った村上春樹論となっている。副題の「都市小説」から、「世界文学」へとは、まさしく本書における村上春樹論の眼目であるわけだが、これは村上作品の主題的な転換を指し示していることを意味している。松本の視点は、「都市小説」とは、「都会で『孤独』に生きる若者と、そのために他者と『つながろう』とする男や女の『愛』という『小さな物語』」を持った「一種の風俗小説」であり、「戦争や革命、あるいは民族の運命や、そのために引き裂かれる人間の愛や死といった『大きな物語』」を持ったものが、「世界文学」ということになる。もちろん、ここでいう「都市小説」は、低次元の文学作品で、「世界文学」は高次元のものだということではない。主題的位相の問題を松本は述べているのだ。そして、その転換の契機を『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』として捉えていく。『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』の間には十五年間という長い時間性が横たわっているが、確かに、この二作品には、村上春樹の主題性への拘りが濃密であるという共通性はあるといっていいかもしれない。
 ところで、村上春樹から遅れること二年後に作家デヴューした高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』(81年)と、村上春樹の『羊をめぐる冒険』(82年)、さらには桐山襲の『パルチザン伝説』(83年)の三作品は、作家的スタンスと方法的差異の違いを承知の上でいえば、わたしは、全共闘運動、あるいは六十年代末から七十年代初頭にかけて生起した反体制的渦動の陰影を抱え持つ極めて屹立した小説であると見做している。もし全共闘運動や反体制的渦動を「大きな物語」として活写するのであれば、「主題小説」の典型として見做されたプロレタリア文学に収斂されることになり、主題を顕在化させることによって主題そのものの空白を表出させることになる。だから、三作品とも、けっして「大きな物語」として露出させてはいない。桐山は独特の文体と象徴的な表現で主題を出来る限り潜在化させることによって作品を深化させ、読む側の共感を喚起していた。村上春樹と高橋源一郎は、一見、桐山とは異質な文体と表現方法を駆使しながらも、同じように主題を潜在化させることによって、主題の持つ深遠さ表出していたといえる。だが、『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』には、明らかな主題性の積極的な顕在化というものを感受することになる。これは、方法的転換なのだろうか、あるいは、松本的な視点でいえば、「小さな物語」から「大きな物語」への飛翔と見做すべきなのだろうか。『ねじまき鳥クロニクル』では、ある種、唐突に十五年戦争下での暗部が描出され、『1Q84』では、新左翼運動の暗部である党派間抗争とオウム事件を混在させながら、モチーフとして横断させている。『羊をめぐる冒険』が連赤事件を内在していると見做してみれば、ほんらいなら、なんらモチーフとして異和感を抱くことはないのだが、わたしには、なにかが違うといった感覚が読後に残ったのは確かだ。
 松本は、次のように述べていく。
 「人間に『想像』を許さないというシステム自体は、時代によって変化しながらいつも人間社会に出現する、ということです。『1Q84』では、小さなリトル・ピープルがにこやかに出現してきて、踊りを踊ってみんなに幸せをもたらすような物語を作っているけれども、これが要するに、新しい集団のシステムの中では人に『想像』を許さず、人々を精神の内部から支配しているのだ、という村上春樹のメッセージになっています。」
 「かれは都市小説の手法を使いながら世界文学を書こうと挑戦したのだといえます。それは、今までのような心地よい物語を提供しているという過去への自己否定で、そのことによって自ら都市小説の殻を破ろうとしたのだと思われます。」
 松本の言に従えば、メッセージ持った村上春樹作品であり、「心地よい物語」からの脱却ということになる。確かに、そう見做してみれば、『1Q84』に対するある程度の異和感は、払拭するかもしれない。
 いまは、『ねじまき鳥クロニクル』の第3巻によって物語を大きく離反させて、わたし(たち)に落胆を与えてしまった村上春樹が、『1Q84』で同じ轍を踏まないことを期待するだけだ。

(『図書新聞』10.4.17号)

| | コメント (0)

2010年4月 1日 (木)

「情況」的場所へ(1)―禁忌について―

 わたしはここ数年来の、なにか息苦しさが皮膜のように覆い尽くしていると感じさせる情況に対して、どうにかして道筋のようなものを見通すことはできないだろうかと、考え続けてきたように思う。そのためには、「情況」的な場所へと明確な視線を降り立たせることが、まず、さしあたって切実なこととしてあるのではないかと思っているのだが、言葉による表出はいつだって空虚さを拭い去ることはできないことも、分かっているつもりだ。にもかかわらず、こうして途方もない作業を自分自身に課すことに、どんな意味を持つのかは定かではない。やや、衒いをもったいい方になるのかもしれないが、ともかくも、始めてみるしかないということになる。
 消費資本主義社会が高度な段階に達したといわれた八十年代から九十年代初頭にかけての情況をめぐる記憶は、もはや遠い時間的断層のなかへと入り込んでしまったといっていいかもしれない。ここ数年の情況と比較して捉えてみるならば、格差社会、貧困の時代と称するに至って、まるで現在という時制は、時間を逆行したような様態を指し示しているといえそうだ。昨夏のいわゆる政権交代という事態は、そうした閉塞感を開く契機となるのではないかと受けとめた人たちは多かったはずだ。彼ら(政権の担い手たち)は、誇らしくこれは無血「革命」だと僭称していた。しかし、「革命」は、必ず「反革命」というものが生起してくるのが、歴史というものの表象形態である。政権交代のリヴァウンドとして、この間の、法的権力(象徴的には検察権力)行使の露出や長年に渉る自民党支配、官僚支配に慣れきってしまったマスメディアによる想像を絶するファシズム化した代行権力の行使を眼前にして、これまた、時間を逆行させようとする動態の表象を示してしまっている。
 わたしは、民主党を中心とした連立政権を積極的に是認しているわけではないが、自公政権や共産党政権よりは、幾らか全うな施策ができるはずだと考えているにすぎない。そして、わたしたちの自存の場所を確立させてくれさえすれば、政府というかたちは、いつでも交換可能な開かれた状態であればいいという考えを持っているだけなのだ。
 昨年末、中国の国家副主席が来日した際に、天皇との会見、いわゆる特例会見をめぐって生起した事態を見て、これもまた、政権交代による様々な軋轢の表出といえることなのだが、そのことだけに留め置くことのできない位相が内在していることに、わたしは大いなる危惧感を抱いた。つまりそれは、「禁忌」をめぐって露になったことへの不快を意味している。戦後、わが国は、天皇に対して政治的実行支配力を削ぎ落としたかたちの象徴天皇制というシステムを導入した。そして、天皇による十数項目の国事行為(外国の大使、公使との接受という項目はあるが、外国の要人との接見は確かに項目には入っていない。これは、政治性を覆い隠すためのレトリックでしかないといえる)に限定して、国政には直接関与しないというかたちをとっている。しかし、この間の、自民党から宮内庁権力、マスメディアの主張や論調は、民主党(もしくは小沢一郎)による天皇の政治利用だと批判していくものだった。そもそも、天皇を象徴化するシステムを採用したからといって天皇の権威から政治性が簒奪され無化されたのかといえば、そうではない。「象徴」という概念自体が「鵺的」なものでしかない以上、次の様な捉え方もありうるのだ。
 「千数百年の天皇制の歴史過程は、たえず危機にみまわれ危機を媒介としてより高度の存在様式を発見する過程であった。そして、危機のなかで発見される、より高度の、より完成された天皇制の形態は、その時代の社会関係、生産関係を総括するにもっとも適わしい支配の様式と名づけるべきものであった。戦後天皇制は『象徴天皇制』を『条文』化する過程において、史上最高度の発展段階にある天皇制として自己を開示する端緒をひらいたのである。」(菅孝行「天皇制の最高形態とは何か」)
 象徴天皇制こそ、天皇制の歴史のなかで最高形態だとする菅の分析は卓見だ。いずれ、象徴天皇制というかたちによって天皇制なるものは必然的に自己解体していくしかないとする見解もないではない。しかし、それは天皇家という皇室形態のことをめぐる問題であって、天皇制なるものとは別次元として捉えるべきである。
 特例会見騒動に焦点を戻すならば、天皇の体調を考え、一ヶ月ルールというものを設けたことを金科玉条のように宮内庁官僚や自民党議員たちは主張するが、まったく本末転倒も甚だしい。一ヶ月ルールなるものの根拠自体、極めて政治的なものでしかないといっていい。象徴存在を強固に武装した論理と、それはいい換えることもできるからだ。
 わたしの天皇制に対するスケッチは極めてシンプルなものだ。共同性なるものを無意識下に置くことによって、個をそのなかに無化させていく「力」を内在させたものとなる。もう少し付け加えるとするならば、アジア的な共同性の特質をもったもの、つまりアジア的専制と称されるヴァリエーションのひとつという捉え方にもなるということだ。いうなれば、上から下へと垂直的にベクトル化する支配力ではなく、なだらかに水平線的に瀰漫させていく支配の構造といえばいいかもしれない。そのために、被支配という観念が希薄化していくことを意味している。
 斎藤種魚の『コシヒカリの見た夢』集中、「ひとめぼれ」のなかで、「日本民族などと美化するから、天皇制のはいりこむ隙ができる。日本から稲作がなくなってしまえば、天皇制もなくなってしまうだろう?いやしかし民族霊は残る天皇霊は残る」というモノローグがある。わが国の天皇制の基層は農耕的なものに凝縮されるというのが、ひとつの通説となっている。王権継承祭儀として知られる大嘗祭が、農耕的祭儀を模倣したかたちで行われているのは、折口信夫の論及などを敷衍していけばわかることだ。稲作(米)を、生命の循環に例えて見做してみれば、なぜ、農耕的なるものを天皇制の補強として必要なのかが、理解できるはずだ。天皇制があるから、稲作が続いてきたわけでも、稲作が続いてきたから天皇制が延命し続けてきたわけでもない。ほんらいそこには、なにも内在的な必然はなかったのだといえる。歴史学者の網野善彦は、天皇制分析の中心が農耕的主題に偏狭していくことに疑義を呈し、海や山の職能集団を対置して、天皇制の基層を掘り起こそうとした。それは、ある意味、斬新な視線だったと思う。
 しかし、稲作的な生命循環を組み込んで霊性なるものを擬似化した天皇及び天皇制だからこそ、農耕的視線から相対化していく道筋があるのは、確かなのである。
 斎藤は、一連の「ひとめぼれ」作品群のなかで、あえて農耕に宿る霊的なるものを対置して、生々しい現実の天皇制に抗おうとしている。
 「松田清治は人とほとんど話さない/それよりも土や作物と話す時間がはるかに多かった/……松田清治は忙しかった/土や植物に触ってやりそれらに声をかけることは/いくら時間があっても足りないことだった」
 「人には手がある/おのおのの手がある/おのおのの手が…/その手には過去をもつ/その過去ゆえに/その手はそのように変わらざるをえなかった」
 松田清治の手に秘められた不思議な力は、「土に触れば/土はどんどん肥沃になるあの力さえあれば/どんな水だって」というものだ。自然対人間から生み出されていく力、それを霊力と呼ぶ人がいても、それは別に構わない。そしてそれが発生する自存する場所から、天皇霊の空虚さ空無さを撃つことは可能だといっていい。ほんらいわたしたちは、自然との軋轢のなかで累々とした生活史というものを築き上げてきたのだ。それは、記紀神話による虚構の歴史よりも遥かに古く深いものなのだ。

(『月刊架空』10年4月号)

| | コメント (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年5月 »