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2010年1月15日 (金)

國方敬司・永野由紀子・長谷部弘 編                   『家の存続戦略と婚姻―日本・アジア・ヨーロッパ―』                 (刀水書房刊・09.10.16)

 家族または家という構成体から、親族へと拡大展開をしていき、やがて一つの共同体を形成していくという視線を包括的にとるならば、そこには、国家や社会の像を措定しうる位相というものを、透徹できるはずだ。ただしここで前提とすべきことは、家族や家々の集合するかたちそれ自体が、社会や国家へと即時的に連結していく契機を有しているわけではないことだ。わたし自身、これまで、共同体をめぐる諸問題に対して長い間、関心を向けてきたのだが、最も、難渋する切開点は、家族または家という様態に対するアプローチの仕方であった。本論集の主旨は、古代的時空間における家族の淵源や共同体形成過程への遡及にあるのではないとしても、家の存続ということを想起するならば、それは、共同体の位相と切り離しては考えられないものとしてある。
 家の存続とは、どういう意味を持つものなのだろうか。一代を考えれば、死ねば死にきりである。例え、血縁性や財産、資産が継承されたとしても、それは、当代の人たちにとって、死後のことをいくらか安寧に考えていられるに過ぎないのであって、何代か先のことは、実際としては考慮外とならざるをえない。にもかかわらず、いうなれば、家の存続という要請がどこからともなくやってくることになるのだ。
 本書では、「『家・イエ』を家制度とは区別して、基本的には、継承すべき家業・家産をもつ永続的な家族集団」(國方敬司「婚姻と家の存続―『はじめに』として―」)としている。例えば、「第一部 日本の家と婚姻戦略」においては、東北の大名、信州の蚕種家、明治・大正期の三井家、住友家、岩崎・安田家といった旧財閥を対象としている。これは、本書の主旨として婚姻を基軸とした「家の存続戦略」を分析、論及するものである以上、権勢を所有する家族集団がその対象となるのは、当然のこととなるわけだが、「第二部 アジアにおける家と存続戦略」、「第三部 ヨーロッパにおける家と存続戦略」では、幾分、多様な視線を持って、「家の存続戦略」を展開しているといっていい。十三の論稿で構成している本書だが、わたしの関心を惹いた幾つかの論稿に触れて、「家の存続」という意味を見通してみたい。
 岩本由輝「近世大名における家存続戦略」では、出羽久保田藩佐竹氏における藩主継承の問題を精緻に分析している。柳田國男に関する刺激的な諸論を展開してきた岩本が、わたしの故郷でもある秋田・佐竹藩の内紛を描出するという機縁にまず驚いた。そして、岩本も縁のある相馬藩(陸奥中村藩相馬氏)が、佐竹家と深い関係で結ばれていたことを初めて知った。佐竹家の藩主継承に相馬氏の妾腹の子が養子となって入っていくという構図は、戦国大名が、戦略的な婚姻をしたことと、同じ様な位相を持っていると捉えることはできるとしても、時代の違いを考えれば、悲惨な歴史の影とでもいうべきものを感じてしまう。それほどまでに、「家の存続」というものが、共同体的な基層のなかでは、重く潜在しているといえそうな気がする。
 長谷部弘「近世日本における『家』の継承と相続」においては、名声という意味の「名」ではなく、文字通りの「家名」ということへの析出を行っている。「江戸時代の身分として」、「本百姓」であっても、「家業・家産の規模が大きい家々」では、「家督の継承・相続」で「代々世襲する」、「家名」というものは、「実名」というよりは、「通名」であった。「何々家」というものではなく、「何々衛門」といった名で呼ばれるということである。一つの共同体のなかに、同じ「家名」のものが存在していて、それぞれに当然「実名」があるわけだが、「何々衛門」と称することによって、その家が、本家なのか分家なのかということが、わかるかたちになっているのだ。これは、わたし自身も経験していることであり、いまだに、そのように称することが残っている場所があるのは確かだ。
 大澤正昭「宋代士大夫の『興盛之家』防衛策」では、「中国の伝統的な考え方では、個別の家を維持することが大切なのではなく、祖先から子孫へと受け継がれる『気』の流れを絶やさないことが大切なのである」と述べていることに注目した。
 小池誠「東インドネシアにおける家と婚姻戦略」は、「東インドネシアに位置するスンバ島の『家』の事例」をレヴィ=ストロースの親族理論を援用して展開した意欲的な論稿だ。
 このようにして、見てみれば、「家の存続」とは、共同体的要請からくるものであることが推察しうる。それは、なによりも、共同体とは、家々の集合体(家族から親族へと拡大していく過程)の別称でもあるといっていいからなのだ。近現代は、そうした家、共同体を法制度という国家的な統治支配力を持って、婚姻・戸籍というものを強固に管理していった過程であったということができる。本書の論稿は、いわばそうした過程の前段を分析した注目すべき試みだといっていい。

(『図書新聞』10.1.23号)

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2010年1月 1日 (金)

伊藤俊也 著『メイエルホリドな、余りにメイエルホリドな』 (れんが書房新社刊・09.5.20)

 七〇年代初頭、鮮烈な映像を持って、映画作品『女囚701号 さそり』(72年。主演は、梶芽衣子、原作は、篠原とおるの漫画作品『さそり』)で颯爽と登場した伊藤俊也は、以後、『誘拐報道』(82年)や、賛否両論渦巻いた話題作『プライド 運命の瞬間』(98年)などを撮った映画監督として知られている。その伊藤俊也が舞台化を念頭に書き下ろした戯曲が本書である。
 ロシア革命前後期において世界的に評価された演出家・メイエルホリドの劇的スタンスを主題とした戯曲である本書の著者名を見て、わたしは一瞬、『女囚701号 さそり』の伊藤俊也とは別人ではないのかと思ったのだが、「あとがき」を見て、率直に納得したといっていい。
 「六〇年安保の年に入った撮影所での疾風怒濤の助監督時代。監督になることすら絶望視せざるを得ない闘争の渦中にあって、撮らずしてなお作家であることを身に律しなければならぬ日々、ロシア革命や政治と文学、映画、演劇、その範疇の中で、メイエルホリドの名に触れたであろうことは間違いない。」
 革新的な演劇を目指していたメイエルホリドは、ロシア革命によって、もっとそのことが可能になると考え、十月革命になぞらえた「演劇の十月」を唱え、革命下における演劇運動を主導的に担っていったが、やがてスターリン政権との確執を生み、粛清され刑死している。全三幕の本戯曲の第一幕冒頭は、第一回全ソ演出家会議といういわば弾劾される場所でのメイエルホリドの演説の場面となっている。
 「はたして芸術家は自己の創造理念を――たとえそれが誤ったものであったにせよ――実験で試しうる精神の自由をもちあわせていないのでしょうか?(略)正直なところ私は、目下わが国の劇場で生じているものを、見るも無惨なものとみなしているからであります。(略)私には、これがいったい何なのか、アンチ・フォルマリズムなのかリアリズムなのか、あるいは自然主義なのか、それともなんとかイズムなのかは分かりません。しかしこれが拙劣でひどいものであることだけは理解できます。社会主義リアリズム演劇を自負しているこの貧しくみすぼらしいものは、芸術となんらの共通点ももちあわせていません。(略)だが、演劇というものは芸術なのであります!」
 佐野碩という演出家がいる。戦前、左翼運動に身を投じ革命後のソ連で演出を学び、スターリンによる粛清のなか、メキシコへと逃れ、戦後、「メキシコ演劇の父」とまで称された人物である。最近、岡村春彦によって佐野碩の初めての評伝『自由人 佐野碩の生涯』が著された。佐野はソ連でメイエルホリドに師事し、演出助手をしていたのは、周知のことであるが、岡村は、その著書のなかで次のように、碩のメイエルホリドへの思いを記述している。
 「碩はおそらく、多くの批判者の前で毅然として自説を説くメイエルホリドの演説を、感動して聞き入ったことだろう。メイエルホリドにたいする批判は、当然演出助手である碩にたいする批判でもあったが、碩は、どんなに批判されても、どこまでも意志を曲げずに自分の芝居を創りつづけるメイエルホリドの演出助手をやめることはしなかった。」
 この佐野碩のメイエルホリドへの強い共感は、本書の著者にも同じ様にいえるはずだ。賛否両論に晒された映画『プライド 運命の瞬間』を撮り上げた後、著者は、どのような心境を抱き続けていったかは、類推の域を出ないとしても、わたしには、メイエルホリドがボリシェビキ政権に批判され続けても、「どこまでも意志を曲げずに自分の芝居を創りつづけ」ていったように、伊藤俊也もまた、自らの意志を持って撮ったという自負を、確として手放すことはしなかったと思われる。ことのついでに、わたしのこの映画作品に対する考え方を述べてみたい。製作者側のブレーンやスポンサーが右翼的立場であるとか、東條や十五年戦争を正当化した右翼映画だといった表層的批判には与しないという前提に立って、あくまでもひとつの映画作品として観るならば、特に主題でもある東京裁判のシーンは力感あるものだったといいたい。どんな情況、どんな場合においても、戦争というものは、それが生起した段階で、正義の戦争というものはない、ありえないというのが、わたしの考えである。それは戦争というものは、すべからく、国家という名の下に人間の生命と生活を徹底的に簒奪するものだからである。それ故、戦勝国が正義で、敗戦国が悪だという論理は、欺瞞に満ちたものであり、その限りでは、東京裁判が必ずしも、公平な根拠を持ったものではないのは確かなことなのだ。しかし、忘れてはならないのは、東京裁判の不当性を声高に主張したとしても、そのことによって、わが国の戦争行為が正当化されるわけではない。そのような意味において、伊藤の作家意志が、どこまで作品の深部へと届いていったかは、難しい。しかし、たぶん、伊藤の考えもまた、わたしとそれほど変わらないものであると思いたい。
 スターリン主義の迷妄性は、スターリン個人の資質に帰することではない。イデオロギーにおける虚妄性・凶暴性の問題なのである。イデオロギーに対する絶対信仰性こそが、戦争と国家イデオロギーが結びついていくように、存在性や自己表現という人間の生命感の発露を圧殺していくものとなっていくのだ。
伊藤が描き出す、この劇には、スタニスラフスキイやチェーホフはもちろんのこと、マヤコフスキイ、ショスタコーヴィチ、エイゼンシテイン、ジナイーダ・ライヒ(エセーニンの最初の妻であり、メイエルホリドの二番目の妻である。そのため夫逮捕後に惨殺されている)などといった演劇、映画、音楽といった多様なジャンルの芸術家たちの有り様を凝縮して見せてくれている。そのなかで、ロシア革命を通過し、やがてスターリン体制下にあってさらなる表現の自立性を追及しようとしたメイエルホリドだけは、本書の書名の通り、際立って“余りにメイエルホリド”であり過ぎたのだ。現在の閉塞的で弛緩した情況をメイエルホリドなら、どのように突破しようとしただろうかと、思わざるをえない。本書の舞台化の実現が待たれる。

(『図書新聞』10.1.1号)

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