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2009年2月13日 (金)

小林善彦 著『「知」の革命家ヴォルテール 卑劣なやつを叩きつぶせ』(つげ書房新社刊・08.11.20)

 ヴォルテール(1694~1778)は、十八世紀を代表するフランスの啓蒙思想家である。しかし、名前は、よく知られているのだが(本書によれば明治期の教科書に、その名は既に登場し、紹介もされているようだ)、同時代人のルソー(1712~78)に比べてみれば、わが国において、それほど深く受容されてきたとはいい難い。小説、詩、戯曲、哲学、歴史書といったように、その著作活動は多岐にわたって、しかも膨大な量となっていることもあり、フォーカスして紹介するといったことが困難だったからかもしれない。
 ラテン・アメリカ文学の代表的作家ボルヘスは、自ら編纂した幻想文学全集『バベルの図書館』(邦訳は国書刊行会より発売)のなかの一冊にヴォルテールの『ミクロメガス』を入れている。ボルヘスとヴォルテールという組み合わせに、やや意外な思いを抱くのは、わたしだけではないはずだ。ボルヘスがリスペクトするヴォルテールということだけでも、ヴォルテールという思想家像が、なにか魅力溢れるものを湛えているように思えてくるのだが、本書は、まさしく「八十四年の生涯を精一杯、思う存分に」疾走したヴォルテールの評伝として、わたしたちに十八世紀の革命前夜におけるフランスの啓蒙思想家像を明らかにしてくれる。
 著者はまた、ルソーに関した著作・翻訳書を多く持っている。それゆえに、当然のことながら、ルソーとの対比を処々に叙述していて、闊達なヴォルテール像をさらに際立たせてもいる。
 「ヴォルテールがその生涯をかけて主張し、戦ったさまざまな価値、自由、人間の誇り、平和は確保されて、ヴォルテールは歴史の伝説となる時代になったかと思われた。しかしながら、戦後半世紀以上を経たいま、近年の動きを見ると、いわゆる戦後民主主義が実現した価値は、徐々に後退しつつあるように思われる。」
 著者が、「はじめに」で、このように述べながら、「ヴォルテールが必要な時代に戻ったように思われる」として本書執筆の事由を記している。
 1789年のフランス革命によって、旧王朝体制(アンシャン・レジーム)を廃止し、最初の共和制が成立したわけだが、その基層には、ヴォルテールやルソーら啓蒙思想家たちの大きな影響力があったことは周知のことである。王権力とその基盤を確証させる宗教(カトリック派一教支配)権力が、専制政治としてのアンシャン・レジームを形成していたのだが、ヴォルテールとルソーは、「動」と「静」といった対照的なかたちで、旧体制に対峙していったのだ。各々の時代比較は、それ自体、あまり意味がない。いまでは、当たり前の主張も、時代を遡れば、過激な反体制的言説として弾圧されるのだ。ヴォルテールたちが疾走した時代は、まさしくそうだった。
 ヴォルテールが反骨の“「知」の革命家”にしては、幾らか異彩さを放っていたのは、決してアンダーグラウンドの場所から発信しようとしなかったことにある。つまり、アンシャン・レジームという円環のなかにいながら、反抗と抵抗を表明し続けたのである。もうひとつ、通例の“革命家”像とは異なる像を持っていた。それは、類まれな錬金術によって豊富な資産を有していたことだ。そのことは、度かさなる国外追放や収監の経験がありながらも、自身の主張を後退させることをしなかったことの根拠でもあった。豊かな生活に裏打ちされた著述が、すべからく体制的になっていくとは限らないのだ。著者は、現実主義的で合理主義の面があることを指摘しているが、むしろ安定した生活の場所からでなければ、頑強な旧体制とは対峙できないという絶対王政の時代であったことの証左でもあるような気がする。富を蓄積していっても、一貫して宮廷や教会の擁護者にならなかったところが、“「知」の革命家”たる所以なのかもしれない。
 そして、決定的な出来事が、ヴォルテールに生起する。自身の名声を得ることにもなったカラス事件である。権力的な宗教支配によって捏造されたこの事件は、ヴォルテールによって刑死したジャン・カラスの名誉を回復させるという衝撃的なものであった。
 「この世にはあまりに多くの不幸と、悲惨と、苦しみがありすぎる。それを観察し、経験し、思いめぐらすに、楽天主義的な予定調和説では、とても説明できないとヴォルテールは考える。むしろ問題は、そのような説を単純素朴に信じこむ無知と、偏見と、狂信とにあるのではないか。『ガンディード』(引用者註=ヴォルテールの小説作品)の結論は『われわれの庭を耕さなければならない』であるが、やがてヴォルテールはそれをさらに超えて、世の無知と狂信とに対して、積極的に戦いを挑むようになるのである。」(128P)
 六十代から最晩年まで、さらに旺盛な著述活動をしていったヴォルテールは、1778年5月30日、八十三歳の生涯を閉じる。だが、パリの教会に反抗して、パリで埋葬されることは許されず、「パリの東百七十キロほどのトロワ近くの」、「荒れ果てた教会の中に埋葬された」そうだ。
 やがて、フランス革命中の1791年にパリのパンテオンに棺は移送されている。

(『図書新聞』09.2.21号)

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