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2009年12月 1日 (火)

「猫と散歩をめぐる断想」

 わが家から歩いて一〇分ほどのところに、比較的、広い都立の公園がある。ひとつ先の駅との中間の位置にあり、かつて鉄道学園があった場所で、国鉄民営化によって、その広大な敷地が、公団やマンションそして公園となったわけである。公園として整備されてまだ七年ほどなのだが、開設当時は、人もまばらで、なんとも淋しげな雰囲気を漂わせていたものだ。小さな桜の木を植えていて、いったいどれほどの時間が経過すれば、“花見”に耐えられる桜の木になるのだろうと思ったものだった。
 たいてい日曜日の午後遅く、散歩をすることになるのだが、犬を連れて歩く人が多いことに気がつく。あとは、走る人たちだ。こちらは、いつもだらだらと歩き、ひとつ先の駅まで行き、駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで、時には、歩かずに、電車に乗って戻ってくることもある。だから、一生懸命、公園の中を走っている人たちのことを考えると、こちらの怠惰さをつい反省することになる。
 わが家で猫を飼い始めて、三十年近くなろうとしている。最初の猫は、一年で出奔してしまい、二番目の猫は、十九年も一緒にいてくれた。三番目のいまの猫は、妻が働く会社の玄関前にやってきては、ゴロゴロ寝転がっていたのを、猫好きでもある会社の社長が見つけ、社命のようなかたちで、わが家で引き取ることになったものだ。野良猫生活を経験しているわりには、あまり外へ行こうとしない。どこか、用心深く、直ぐに家の中に引き返してしまうのだ。妻は、猫を連れて散歩している人を見たことがあるというのだが、わたしには、想像できないでいた。公園を二人で散歩しながら、犬を連れて歩く人とすれ違うたびに、家の猫をこの公園に連れてきて散歩させてみようかと話すようになっていた。それは、この公園が時間とともに、落ち着きを増してきたからだと思う。桜の木は、大きく成長し、春にはそれなりに、綺麗な花々を咲かせている。初夏には緑の木々となって、心地よい風を通してくれる。この公園が、わたしたちにとって、慰安の場所のひとつとなってきたように、偶然にも、公園の開設前後に、わが家にやってきて、わたしたちを慰藉してくれた猫をこの場所につれてくるのも、悪くないなと思うようになった。とりあえずは、紐に繋ぎ、「もつれて甘える猫を叱」(秋山清「猫を叱る」)りながら、“前へ進みなさい”などといってみるのもいいだろうなと、想像を逞しくしている日々である。

(『Tsuchiつち』09年12月号)

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