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2009年10月16日 (金)

奥 保喜 著『冷戦時代世界史』(つげ書房新社刊・09.4.30)

 記述化された歴史というものは、絶えず、現在という基点からの見直しを強いられるといっていい。それは歴史教科書が、政治的な思惑に晒されることと同じことを意味している。近現代史を包括的に捉えていくことの難しさは、歴史段階の読み違えと、政治的価値観の過剰な意義付けを忌避できないからだと、わたしは考えている。戦後世界史を通観することは、当然、現在というものへ直截に透徹した視線を醸成することに通じていく。この戦後六十数年の渦動は、西欧の産業革命勃興期から、第一次、二次世界大戦終結時までの二百年という時間性を超え出る激変期であったと考えてみるならば、現在という場所を、過去へと幾らか重層させて捉えていくことは、極めて切実なことになるはずだと思われる。
 本書は、一九四五年から九一年までの期間を「冷戦時代」として詳述する。このことに対し、わたしは、あらためて歴史認識の方法を確立することの困難さを戒めのように感じたといっていい。著者は、一貫して、単独で書き表わす歴史記述というものを、あえて私見からは遠い位相に置こうと試みている。それは、並大抵の膂力では達成できないことだと思う。つまり、「人はイデオロギーをもち、歴史的事実のなかの何を重視するかによって歴史叙述をおこなう者の観点は自ずと表明されはするが、筆者は叙述を客観的なものにしようと努めた。(略)できごとの解釈、歴史に対する見解を示すことを直接の主要な目的とはしない。研究者の歴史解釈を紹介し、ときには筆者の意義づけを記しはするが、その場合は段落を変えたり出典を示すなどして、なるべくできごと自体の叙述と切り離すようにした。本書の主たる目的は、冷戦時代の世界の動向に関する知識を一冊の本にまとめて提供すること」にあると著者は、「まえがき」で述べているからだ。確かに、膨大な戦後世界の情勢を、六百頁ほどの分量に纏めて著すことが、どれほど難渋を強いられたことだろうと、類推できる。結果、画期的な、「冷戦時代の世界の動向に関する」、包括性をもった「認識」を集積した一冊が、提出されたといえる。著者は、「あとがき」で、「世界史の構成」に腐心したと述べているのだが、なるほど、「構成」という包括的視線が、本書の基層を成していることは、充分に了解できる。そして、欧米、ソ連、東アジア、南アジア、中東アジア、アフリカ、中南米といった空間を横断していく視線と、三期(「一九四五~五五年」、「一九五六~七五年」、「一九七五~九一年」)に区切った時間性との連結が、戦後世界像を明確に立ち上がらせているのだ。
 冷戦時代あるいは、冷戦構造といわれるものは、米ソ対立に象徴される時代相・情況の言辞だとしても、すべてその二大帝国の対峙性に帰することではない。あるいは、また、資本主義体制対社会主義体制といったイデオロギー対立を、指し示すことでもないと、わたしは考えている。「冷戦時代」を集約的に言説として採りだすとするならば、それは絶対的「権力」主義の時代ということになる。ここでいう絶対的「権力」というのは、可視的なものであって、フーコー流の遍在せる権力のことではない。本書を通読しながら思ったことは、「冷戦時代」の国家群の「権力」の有様は、戦前の対ファシズム戦争をなんら教訓としない現れ方をしていることだ。つまり、資本主義体制であれ、社会主義体制であれ、専制権力体制(あるいは軍事政権体制)の国家が顕在していったということになる。特に、アジアではそのことは、顕著に現れている。分断国家という現実によって、そうせざるをえなかったとしても、韓国、台湾とも長らく戒厳令下にあった。東南アジア、中東においても、社会主義体制なのか、たんなる専制国家なのか混在したかたちとして現れている。
 「一九七〇年代以降。アラブ・ナショナリズムの退潮とときを同じくしてイスラム原理主義が人びとの心をとらえ、勢力を強めた。それは一九七九年のイラン革命において劇的な形で現れて世界の注目を集めた。イスラム原理主義運動は多くのアラブ諸国で強力な反体制勢力となる。」(483P)
「共産党支配の崩壊、そして民主化という、東欧で、そしてソ連でも起きたことが中国では起きなかった。同じ共産主義国家であったとはいえ、冷戦時代最後の東欧・ソ連と中国でのできごと(引用者註=「天安門事件」を指す)の相違は、両地域の世界史上の相違、文明上の位相の違いともいうべきものを示したといえよう。」(591P)
冷戦終結以後の時代は、民族・宗教対立による、あらたなる戦争の時代に突入しているといってもいい。経済システムは資本主義ロジックで貫徹しながらも、政治体制は社会主義体制をいまだ標榜しながら、周辺民族を弾圧し続けている中国の強大化(帝国化)も、冷戦終結以後の時代を象徴するものだ。本書、『冷戦時代世界史』を読み通した後、現在に視線を振り向けていけば、それは、これからの「アジア」の混沌とした時代を照らし出しているように思えてならなかった。
(『図書新聞』09.10.24号)

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