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2009年10月 2日 (金)

今関敏子 編『涙の文化学――人はなぜ泣くのか』            (青簡舎刊・09.2.25)

 「涙」をめぐって、多様な文化的側面からアプローチした画期的な論考集である。編者、今関敏子と執筆者の一人、安井信子との巻頭に配置された「Ⅰ[対談]涙と文化」のなかでも触れられているが、「笑(い)」は、テクストとして、しばしば採り上げられることが多い。だが、「涙」や「泣く(こと)」は、負の要素が忌避されてしまうのか、本書のようなかたちで、本格的に論じられることは、あまりないような気がする。本書所収の安井論文「アメリカ文学と涙――へミングウェイはなぜ泣かなかったか」で、論じられているように、「母性が発達しにくい文化」を持つアメリカ的強い男の象徴として、男は涙を流すものではないという思考方法が、わが国にも少なからず、大きな影響を与えてきたように思える。
 涙を流すこと、あるいは泣くことは、男にとって女々しい行為だと思われるから、男たるもの涙は流さないものだなどといった転倒した考え方が、わが国においては明治期以降より顕在化し、十五年戦争下において、その最たる象徴期になったともいえる。そもそも、安井が指摘する「自立した個人」を強調するあまり「涙を否定し弱者を否定する」、「強者の論理」を推し進めようとするアメリカとは違い、わが国は、「Ⅳ 文学にみる涙の表象」に収められた中世文学作品に論及した諸論考で切開しているように、男性も人目をはばからずに涙することが、むしろ当然の美意識のようなものをもっていたというべきなのだ。
 しかし、考えてみれば、涙を流す、泣くということは、最も人間の感性を直截に表象しているといってもいいはずだ。山本志乃の「涙のフォークロア」(「Ⅱ 涙と文化」所載)では、柳田國男の「涕泣史談」(1940年、国民学術協会公開講座「現代文化の問題」における講演―後に46年刊『不幸なる芸術』に所収)を援用しながら、「(柳田はいう。)日本人は本来、言語以外の表現方法、たとえば眼や顔の動きで、微細な心のうちを表出する能力を具えていると思われるのに、まるで言語が表現のただひとつの手段であるかのように、これを過信していると危惧し」ながら、「『泣く』という行為は、言語よりも簡明に、しかも適切に感情を表出する。そしてその感情とは、言葉でとうてい表現できるものではないというのである」と述べている。泣くことが子どもや女性の代名詞のように語られることに対して、山本は、論考の最後を次の様に述べながら、「人間の素直な感情表現としての『涙』の復権」を提起して、締め括っている。
 「いつしか、子どもや女性は社会的な弱者となり、泣くことも涙も、女々しく、弱々しいことの象徴になってしまった。しかし、本来は、強い霊性をもった子どもや女性だからこそ可能であった魂の交信なのであり、言葉以上に強靭な呪力をもつ表現方法だったはずである。」
 確かにそうだ。泣くということは、泣くことの契機との交換行為なのだと、わたしは、山本の論考に刺激されて思い起こすことが、幾らでもあることに気づいたといえる。例えば、学生時代だった、六〇年代末から七〇年代初頭にかけて、わたしもまた、いわゆる東映仁侠(あるいは股旅)映画群に、熱狂したものだった。なぜか、それらの映画作品を見ながら、思わず泣いてしまう自分に気づいて驚いたと同時に、他者にはそのことを知られたくないと卑屈になったものだった。当時、『シネマ』という映画雑誌があり、そこで、高橋和巳もまた、映画『関の弥太っぺ』(監督・山下耕作、63年封切、後、何度も再上映される)を見て、泣けて泣けて涙が止らなかったというエピソードが書かれてあった。『邪宗門』、『憂鬱なる党派』、『悲の器』などの小説作品で、わたしに多大な影響を与えた高橋和巳が、わたしも涙して止らなかった映画を見て同じように感応したのかということを知って、以降、映画やテレビドラマや本を読んでも、なにも気にせずに涙を流すことにしたのだ。他愛もない話しだといえば、そうだとしかいいようがない。
 だからこそ、相手の率直な涙を見て、言語による伝達よりも濃密に伝わってくるものを理解するのが、関係性、共同性の有様なのだという考え方を、わたしは抱いている。現在は、過剰な携帯のメール伝達により、発語する関係性すら薄らいでいるというべきである。それゆえ、なおさら「眼や顔の動きで、微細な心のうちを」感知することこそ、「言語以外」によるコミュニケーションの機微でありうることを知るべきである。
 「文化」とは、結局、人間の生の営みの集積なのだから、安井が巻頭の対談で述べているように、「泣くというのは、感情と心の底に直結しているから。泣くっていうのは、生きている眼に見える証しみたいなもの」だということに尽きるといってもいいであろう。
(『図書新聞』09.10.10号)

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