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2009年3月27日 (金)

『思想の科学』五十年史の会 編『「思想の科学」ダイジェスト1946~1996』(思想の科学社刊・09.1.30)

 『思想の科学』という雑誌は、四六年に鶴見俊輔、丸山眞男、都留重人、武谷三男らによって創刊された。戦時下の抑圧された言論統制から解き放れた人たちにとって、ある意味、自由な思想表現活動への闊達化は、必然的なものだった。最も、精力的な活動に決起したのは、〈左翼的〉勢力と称される一群だった。しかし〈左翼的〉と称される人たちのほとんどは、戦時下において体制へ順応した自らの思想と行動を、まったく糊塗して、何事もなかったかのように切断し、論壇に登場している。やがて党派性を露にし、党的コントロールのもと変種の言論統治を推し進めていったということになる。そして、スターリン批判に始まって、六〇年反安保闘争を経て、ようやく党的神話の呪縛から解き離れていくようになっていくのだ。
 一方、党派性に与しないリベラル(リベラルという概念ほど、曖昧模糊としたものはない。とりあえずここでは、戦前の戦争遂行に対し一貫して自省する立場を持っているという意味で、便宜的に総称しておく)な表現者たちが結集する動きもあった。『思想の科学』に結集した人たちは、そのひとつと捉えられていい(厳密にいえば、党シンパの面々も混淆していた)。
 本書に収録されている「創刊の趣旨」には、「本誌は、思索と実践の各分野に、論理実験的方法を採り入れる事を、主な目標とし、之に伴う方法論的諸問題を検討したい」と明言しながら、「本誌は、読者よりの寄稿批評と、これに対する執筆者の応答との為の欄を設ける。かくして、読者と執筆者との活発なる論議に依り、本誌の代表する思想が、漸次敷衍され進化して行くことを希望する」とも付言している。読者(寄稿者)に対して雑誌が、“開かれている”ということが、ここでは重要なことである。執筆者にしても、編集委員のうち一人でも推挙したものは、掲載するという「多元主義」を採っていたと、巻末に収載されている「『思想の科学』六十年を振り返って」(聞き手・黒川創)で、鶴見俊輔は述べている。いうなれば、鶴見俊輔という存在があったからこそ、『思想の科学』は創刊できたし、五十年という長きに渡って続けられてきたといっていい。鶴見が、『思想の科学』誌の中心にいたのは確かではあるが、だからといって、鶴見が単独で編集権を振るっていたわけではない。執筆者たちを望見してみれば、緩やかに誌面は開かれていたことが了解できる。そこが、自身を「私はマルクス主義と関係ない。アナキストなんだから」と語る鶴見らしさといえるのかもしれない。
 ただし、わたしの『思想の科学』への接し方は、幾らか距離感があるものだった。それでも、関心の方位はそれなりにあったつもりである。リアルタイムで知ったわけではなかったが、「天皇制特集」問題(中央公論社版が断裁され、思想の科学社を興して、六二年四月に再発刊する)がそうであり、六〇年代末から七〇年代初頭にかけてのべ平連運動との連関性に注視してもいた。また、「思想の科学研究会」を象徴する大きな達成として『共同研究・転向(全三巻)』(59~62年刊)を真っ先にあげることができる。
 本書は、四六年五月創刊号から、九六年五月号の終刊号(正確に記せば、第八次終刊号であり、以降休刊というかたちになっている)までの全五三九冊のうちから、約二〇〇〇件の論文・記事を抄録したものだ。膨大な抄録を望見してみれば、分かることだが、実に多様、多彩な執筆陣がいた。埴谷雄高、吉本隆明、谷川雁、網野善彦、中上健次、高橋和巳、寺山修司、つげ忠男、林静一と、恣意的に数人挙げただけでも、“開かれた”思想雑誌としてあり続けたことが傍証できるはずだ。
 なによりも、創刊号の巻頭論文が、武谷三男の「哲学は如何にして有効さを取戻しうるか」と題した西田幾多郎批判であったことは、『思想の科学』誌を象徴している。西田哲学として戦後、称揚されていく過程を苦々しく感じていたわたしにしてみれば、いち早く、大東亜宣言の理念的支柱となった西田の国家観を俎上に乗せていたことは、瞠目する思いだ。さらに見ていけば、五三年六・七月合併号(誌名は『芽』であった。第二次にあたる五三年一月号から五四年五月号までの期間が、その誌名で通している)でも、竹内良知が詳細な批判をしているようだ。
 六〇年反安保闘争のさなか、六月号に、竹内好による農本主義者・橘孝三郎へのインタビューが、掲載されているのに目を引かれた。また、六八年九月号には、鈴木志郎康の「つげ義春の魔術」が掲載されている。これは、つげ義春周辺(雑誌『漫画主義』に集う批評家)以外での、最初のつげ義春評価ではないかと思われる。抄録によれば、こうだ。
 「詩人である鈴木志郎康は、つげ義春の語りくちを『読んでいる私らを意識としての存在に限定し、さらに言葉の様相を通過させて、最後に実在的な自覚へと導いて行く』ものだと定義する。」(141P)
 つげ作品の「語相」に着目したのは、実に卓見だと思う。
 さて、わたしが、『思想の科学』誌を最後に手に取ったのは、終刊の前年、九五年七月号であった。吉本隆明、加藤典洋、竹田青嗣、橋爪大三郎による座談会「半世紀の憲法」(本書・420Pに抄録掲載)を読むためだった。吉本は、九条に込められた理念を敷衍させながら、「国家を絶対化しない」という意味において、「国家として軍隊をもたない」ことで「国家を開く」ということを主張していく。それに対して、竹田や橋爪は、軍隊を有することを念頭に置いて発言し、加藤は、その間を右往左往するといった様相を露呈していた。わたしは、ほぼ同世代に近い彼ら(加藤、竹田、橋爪)に、些か幻滅を感じてしまったことを覚えている。
 この吉本との座談会が、象徴しているように、時代情況は混迷を深めた段階に差し掛かっていたというべきかもしれない。たかだか十数年前とはいえ、現在に引き寄せて思えば、思想雑誌というものの立ち位置の困難さは、既に、その頃から始まっていたということになる。

(『図書新聞』09.4.4号)

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