« 劇画という言葉の基層へ | トップページ | 『思想の科学』五十年史の会 編『「思想の科学」ダイジェスト1946~1996』(思想の科学社刊・09.1.30) »

2009年3月21日 (土)

笠原伸夫 著『銀河と地獄―西川徹郎論』(茜屋書店刊・09.1.15)

 西川徹郎に対し、よく冠せられることとして、異端の俳人とか、俳壇の異端者という言辞がある。わたしには、西川の場合、異端という称揚は、何か似つかわしくなく、釈然としない思いがしてならなかった(この場合、異端を前衛と置き換えても同じ感慨を、わたしは持つ)。確かに、俳句的世界、あるいは俳壇というものを前提に捉えれば、西川に対して異端の俳人とか俳壇の異端者と称することは、まったく見当違いのことではないと思うのだが、そういう視線には、必ず正統な俳人(俳句)というものに対する異端、あるいは俳壇という確固たる体制に対してのアウトロー的に位置しているといった考え方が潜在していて、ほんらい異端性が有しているはずの思想(表現という言葉と置き換えてもよい)の深度というものを度外視しているように感じられてならないのだ。
 かつて吉本隆明に『異端と正系』(1960年刊)という評論集があった。この場合の“と”は、対立軸としての“と”ではないのだ。吉本は、このように述べている。
 「わたしが(略)もっとも格闘したのは、異端と正系という問題であった。そして、ついに到達したのは、正系なくして異端もなく、異端なくして正系もないということ、また、アプリオリな正系も異端もなく、両者は、一つの契機があれば相互転換する相対的なものに外ならないということであった。」
 この吉本の言説にならっていえば、西川を異端と称するのは、けっして称揚したことにはならないということになる。当然、そのことを一番、了解しているのは西川自身であるはずだ。俳壇の異端者とか、異端の俳人といった狭量な位相に、自らの表現領域を押し込めているわけではないはずだ。異端も正系も相対化し、それらを俯瞰した地平からの自己表出だけが、確たる表現水位なのだという、切実たる思いを根拠としていると、わたしは西川俳句を捉えている。だからこそ西川は、どんな集団的背景をも拠所とせず、単独で〈存在性〉を基層に〈世界文学としての俳句〉を指向しようとしてきたわけだし、してきたのだといっていい。
 本書の著者は、そのような西川徹郎の屹立した作品世界の相貌を、第十三句集『銀河小學校』を中心に据えながら、その他の既刊句集とともに、「抒情的清冽さ」、「映像喚起力」といった角度で渉猟し、多彩なキーワードに収斂させながら縦横に論じている。
 ところで本書は、単著としての『西川徹郎論』としては五冊目にあたる。そのことが、多いのか、少ないのかといったことにわたしの関心はない。全冊を詳細に望見したわけではないが、「暮色の定型」、「虚構の現実」、「世界詩としての俳句」、「極北の詩精神」、そして本書は「銀河と地獄」というように、それぞれが多様なテーマを持って論及している。それはつまり、いかに西川俳句における作品の奥深さがあるのかを指し示しているということになるといってもいい。
 わたしが、考える本書の核心部分は、次に引く箇所になる。もとよりこれは、西川俳句の基層となるべき場所を真っ芯に照射していることにもなるのだ。
 「すくなくとも西川徹郎が人間存在の根底に視座を据え、〈自己〉の究明に的を絞って〈俳句〉の製作を推し進めてきたことに変わりはなく、それを自ら〈実存俳句〉と呼んだとしてもなんの問題もないはずだ。/彼は早くから〈口語〉を用いてきたし、〈定型〉の意味も問いつづけてきた。有季定型か、無季非定型か、といった単純な二者択一ではない。かれは〈反定型〉であっても〈非定型〉とはいわないのである。(略)〈反〉とは〈正〉があっての〈反〉であって、〈非〉は〈正〉との確執、葛藤ではなく、あくまで無関係、無関心なのである。(略)しかし〈反〉というかぎりつねに〈正〉への激しい叛意が内在する。西川徹郎の立場は定型を選びつつ反定型を主張し実行する。〈反定型の定型詩〉というわけだ。」(83P)
 著者の捉えかたに対して、わたしもまたほとんど同意したい思いだ。だが、わたしが、どうしても拘りたいのは、異端や前衛、そしてここで論及されている〈反〉という措定のしかたに対する理解の有様にだ。確かに、初発の西川俳句は、そのような理解の地平にあったといっていい。だが、現在、あるいは、著者も引いている雑誌「國文學」に、「反俳句の視座―実存俳句を書く」を西川が発表した時(2001年)は、遥か彼方の地平へと超え出ていこうとする宣明だったと思う。個人編集誌『銀河系つうしん』(現在は「銀河系通信」に改題)を創刊したのが、1984年のことだ。〈銀河〉というのはそういう意味でいえば、西川にとって最も核心的な詩語であったことは、間違いない。その〈銀河〉を句集名に冠したのは、ようやくにして第十三句集『銀河小學校』(2002年刊)においてだった。このことは、西川の現在を捉えることにおいて、非常に重要なことだという気がする。
 西川が〈銀河〉や〈反〉に込めたものは、親鸞が提示した〈横超〉に近いものだと、わたしなら考える。〈反〉は、たんに〈正(実は擬似なるもの)〉に対峙するものではない、“超えゆく”ものでなければならないのだ。〈銀河〉とは、まさしくそのことの代象であるといっていいのではないかと思う。

(『図書新聞』09.3.28号)

|

« 劇画という言葉の基層へ | トップページ | 『思想の科学』五十年史の会 編『「思想の科学」ダイジェスト1946~1996』(思想の科学社刊・09.1.30) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 劇画という言葉の基層へ | トップページ | 『思想の科学』五十年史の会 編『「思想の科学」ダイジェスト1946~1996』(思想の科学社刊・09.1.30) »