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2009年1月30日 (金)

日本カント協会 編『日本カント研究9 カントと悪の問題』(理想社刊・08.9.30)

 わたしたちが、「悪」という問題を考える時、当然のことながら、そこでは対峙する概念として「善」という問題が生起してくる。だが果たして、「善」と「悪」は、二項対立、あるいはカント的にいうならばアンチノミー(二律背反)といった相反する概念として定立させることができるものなのだろうかという疑問を、わたしなら抑えることができない。
 ここ数年の加速化された欧米を軸としたグローバリズムの拡張は、先進社会を「善」、後進社会を「悪」とする転倒した二元論を瀰漫させている。“後進社会”とは、いうまでもなく、欧米的キリスト教圏域(ユダヤ的世界も包含させていい)と絶え間なく衝突を繰り返しているアラブ・イスラム文化圏域を主に指し、先進社会的「善」を絶対値として、疎外と圧制を、欧米諸国は教唆している。このことは、まさしく「善」と「悪」が、渾然とした情況を露出していることを示しているといっていいように思う。その限りでは、もはや「善」も「悪」もないということになる。
 本書は、日本カント協会の年一回刊行の機関誌である。第9集の主題は、「悪の問題」であるが、もちろん、これはあくまでも、カント研究ということが主眼であって、現況を視野に入れた論稿というわけではないが、論者の意識するしないにかかわらず、現況に対する多くの示唆を含んだ力論が掲載されていると、わたしは受け取ることができた。
 巻頭の三論稿、北岡武司「意志の原理とされた自己愛―カントにおける悪の問題―」、保呂篤彦「根本悪の克服―個人における、また人類における―」、石川文康「根本悪をめぐるカントの思考」のそれぞれが、主題「カントと悪の問題」に沿ったものとなっている。
 北岡の論稿は、道徳的善悪を軸に展開させていき、「心ね」という人格、理念、性格に連動する領域へと視線を這わせながら、「自己愛」を基準にした善悪の概念を切開している。
 保呂と石川の論稿とも、「根本悪」をモチーフに、その克服する方位を論及している。カントによる「根本悪」とは、「道徳法則に反する動機を道徳法則への尊厳という動機に優先するものとして『格率〈Maxime〉』のうちに採用してしまう『性癖〈Hang〉』であって、これが人間の『心術〈Gesinnung〉』の根底にある」ということだと、保呂は述べていく。とすれば、これはそもそも克服・超克不可能性を内在していることになるのだが、保呂は宗教的な「恩寵」概念をもって、不可能性を可能性へと道程付けしていく。
 石川は、「いわゆる悪への性癖は根絶不可能ではあるが、しかし克服可能とされる場合(略)、その克服努力こそ道徳なのである。このことは、カント哲学全体が根絶不可能なものに対する克服の努力とその可能性を開拓する試みだったということを、よく反映している」と叙述する。この示唆は、様々なことを包含している。わしの関心事からいえば、ニーチェの「善悪の彼岸」との関連で考究していく素地を残しているような気がする。
 主題に沿った三論稿に続くものが、哲学翻訳の問題性を指摘した注目すべき提言がなされている鈴木直「カントの翻訳と『輸入学問の功罪』」だ。本集の主題と関連したものではないが、鈴木の提言に反論するかたちでなされた押田連「翻訳出版における編集者の役割」と牧野英二「カント研究と翻訳者の使命」とともに、わたしにとって刺激に満ちたものとなっている。本集の評をしながら、いささか矛盾した言説を述べることになるかもしれない。特に、本集のような哲学的分野において顕著なことなのだが、なぜ、学際論文というものは、解読しにくい文体(難解という意味ではない、極端にいえば、日本語の文脈として破綻しているということに近い)で展開しているのだろうかという疑念が、わたしには常日頃ある。これは、鈴木が提示している哲学翻訳の問題とも通底していることだといっていい。鈴木は、「いまだに逐語訳的拘束のために不必要に難解になっている訳文が散見されることを」問題視し、「わずかな工夫を妨げている原因は、個々の訳者の力量不足ではなく、むしろ『哲学の訳文はかくあるべし』と信じ、あるいは信じさせられ」ている「制度」にあると述べていく。わたしは、この鈴木の指摘をほとんど同意する思いで、受けとめていった。「逐語訳」の是非を、ここでは留保しておくとして、「哲学の訳文はかくあるべし」という制度は、そのまま、「(哲学的)学際論文はかくあるべし」というもう一つの制度へとリンクしていくような気がする。哲学的言説も論理的言説も、一人の論者によってなされる時、それは、その論者の自己表現であるというのが、わたしの基底的な考えである。例え、テクスト解読という主題があるとしても、解読それ自体の内実が自己表現を含まないものは、解読したことへ到達したことにはならないと思うからだ。ただ、テクストをなぞっただけのものを解読とはいわないはずだ。
 もちろん、本集がそうだといっているのではない。絶えず、そういうことの陥穽を引き寄せてしまう可能性が、研究誌(紀要、学会誌)論稿というものにはあるということを、念頭に入れておくべきではないかと、指摘したいだけである。
 さて、本集は他に、市毛幹彦「カントの超論的自由」、佐藤慶太「『区別(Unterscheidung)』と『混同(Verwechselung)』」、千葉清史「『純粋理性批判』諸アンチノミー導出の統一的構造」、田原彰太郎「行為の道徳的判定の基準」、宮本敬子「『後見人』批判としての『理性の公共的使用』」の諸論稿と書評、海外学会報告などが収載されていることを、最後に付言しておきたい。

(『図書新聞』09.2.7号)

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2009年1月23日 (金)

つげ義春 著『生きていた幽霊』(小学館クリエイティブ 刊・08.7.29)・『四つの犯罪』(9.29)・『恐怖の灯台』(11.29)

 新作の発表のない状態が二十年以上続いているにもかかわらず、08年に入ってから、つげ義春のヴァリアント本が、相次いで刊行されている。93~94年に出版された『つげ義春全集(全八巻・別巻一)』の文庫版『つげ義春コレクション(全九冊)』(筑摩書房)、03~04年に出版された『つげ義春初期傑作短編集(全四巻)』、『つげ義春初期傑作長編集(全四巻)』の文庫版・全八冊(講談社)、そして本書の初期貸本漫画時代の単行本の完全復刻本(全三冊)である。『全集』刊行時、初期貸本漫画作品の多くを収録しなかった理由として、つげは「稚拙で未熟な過去を晒すのは気がすすまぬ」とし「粗末な作であるのは生活苦による乱作のためばかりではなく、マンガ全般のレベルが低かった時代」だったからだとなんの衒いもなく述べているが、わたしたちは、そのようには見ていない。わたし自身、つげ義春の一群の〈初期〉作品を、まさしくつげ義春という作家的膂力の源泉として捉えている。どんな事情や時代背景があろうとも、作家の作品歴は地続きなものであり、〈初期〉を抜きにしては、その作家の世界像を語ったことにはならないからだ。
 あらためて、本書全三冊を読み返してみて、その思いをさらに強くしている。既に、この三冊に収められた作品は、「選集」(77年、81年)や文庫(76年)で刊行されているのだが、完全復刻版となれば、当時の息吹きが伝わり、作品に対する視線も幾らか心新たなものになってくるといっていい(それぞれに「著者4年ぶりの肉声を伝える」、権藤晋によるロングインタビューが挟み込みとして付いており、つげ自身が語る〈初期〉を知ることができる)。
 よく知られているように、つげ義春の漫画家としての出立は、十七歳の時、メッキ工場で働きながら投稿し続けて採用され、雑誌「痛快ブック」に掲載された四コママンガであった。本格的なデビューは、十八歳の時で、一二八頁の貸本漫画単行本『白面夜叉』(55年5月)である。その後、七冊の貸本漫画単行本を刊行し、「痛快ブック」や「冒険王・増刊」などに次々と作品を発表していく。そして復刻版化された三冊は、十九歳から二十一歳にかけて発表されたものだ。
 『生きていた幽霊』(56年11月―以下、すべて若木書房刊)は、それまで発表されたものとは一転してシリアスな作品となっている。「探偵漫画シリーズ」と銘うたれたもので、  当時、江戸川乱歩が関わっていたこともあり、評判になっていた探偵小説雑誌「宝石」の影響下による企画と思われる。
 『つげ義春漫画術』(上・下巻、93年刊―ワイズ出版)のなかで、聞き手の権藤晋が、『生きていた幽霊』では、「絵柄がガラッと変わ」ったと指摘している。それに対して、つげは、「手塚治虫から脱皮したい気持ちが出ていた」からだと応答しているが、十七歳から描き出して、十九歳となっていたつげにとって「子供向きであきたらなかった気持ちがあ」り、「自分の年齢のレベルのものを描きたくなった」(挟み込みインタビュー)という思いが、作品形成に大きく、影響しているとみていいし、そのことこそが、“作家性”の発露であり、作家における初期世界の重要性を意味していることになるのだ。
 『生きていた幽霊』は、五つの短編によって構成されている。冒頭の「に来た男」では、温泉地を舞台としている。そのことだけを見ても、つげ的世界の初源性といったことが、いえそうだ。またシリアスな推理劇のなかにも、どこかユーモア性を湛えていることにも、そのことはいえる。
 集中、「罪と罰」は、ある意味オーソドクスな復讐譚である「に来た男」に比べて、悲哀に満ちた復讐劇となっている。交際に反対されていたとはいえ、恋人に父を殺された娘が、同じ方法で恋人を殺すという暗い終わり方は、人間存在の悲しみが率直に描出されている。それは物語を構成する膂力が、既に萌芽していたということでもある。そしてまた、どの作品もまったく異なったシークエンスによって展開している多彩さは、十九歳にして、溢れる才能を持って表現していることの証左だといえる気がする。
 『四つの犯罪』(57年6月)は、同じ「探偵漫画シリーズ」の一冊であるが、その間、共著として単行本が一冊と、雑誌作品三編という、少なさである。さらに、その後は、雑誌の仕事は途切れなくしているのだが、若木書房の仕事は、『恐怖の灯台』(58年3月)までしていない。その間のことを、履歴的に視線を向けてみれば、青春期における必然的な私生活の変容と無縁ではなかったようだ。
 『恐怖の灯台』は、簡略化した顔の描写に象徴されるように、全体的に絵柄のタッチにやや拙速さが感じられる。「これはひどかった。絵も荒れちゃっているし、めっちゃくちゃ描き飛ばしている」(前出『つげ義春漫画術』)と、つげは回顧しているが、それでも、〝六さん〟の像型、海中の場面などは、やはり出色なものがある。
 『四つの犯罪』は、構成力、画像の濃密度、どれをとっても、この時期のつげ作品のなかでは、傑出したものとなっている。後年の旅もの作品のなかにしばしば見られる、主人公(作者自身と思わせる人物)のモノローグによって物語を進めていく手法が、既にこの作品には表れているのだ。
 「のぞき見奇談」という挿話では、主人公の柘植(挿話中では辻)が、漫画家仲間の円戸(遠藤政治)と、漫画論議をする場面がある。
 円戸「辻君きみはあいかわらず芸術だのなんだのといってるのかい」「くだらん くだらん」「それよかうんと売れるやつをかいて人気をとる事だ」
 辻「きみは出版社のまわしものかっ 売らんかな主義は大きらいだ」「人気がなんだ」「ボクはいいものさえかいてりゃそれでいいんだ」
 おそらく実際に、これ近い遣り取りを、四歳年上の遠藤と、やっていたのかもしれないとしても、この場面の前段で、辻が、ひとりで、「おれの漫画はそこらにころがってるオモチャ漫画とちがって芸術なんだ」「漫画文学なんだぞ」と高らかに宣言していることの方に、わたしたちの関心は向いていかざるをえない。「漫画術』のなかで、「『芸術』だとか『文学』だとか言ってごましていたのかもしれない」とか、「カッコつけて逆らっていただけかもしれない」とつげ自身は、述べているのだが、作品に潜在するモチーフからいえば、強い作家意識の表れと見るべきであるし、当然、この時期のつげは、クラシック音楽にも関心を向け(作品中にも名曲喫茶「らんぶる」が登場している)、小説にも無関心ではいられなかったはずだ。だから、「漫画文学」とは、けだし名言というべきである。わたし(たち)が、後年の「ガロ」掲載作品群を、その深層において、なんの矛盾もなく文学性を持った作品として捉えていったこととそれは、通底していく。
 こうして、作家の〈初期〉作品を辿ることによって、その作家の世界像が露わになるということは、まぎれもなく、それが、つげ義春の作品世界だからだといっていい。

(『図書新聞』09.1.31号)

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2009年1月16日 (金)

寺田俊郎・舟場保之 編著『グローバル・エシックスを考える―「九・一一」後の世界と倫理』(梓出版社刊・08.10.20)

 〇一年の九・一一アメリカ同時多発テロ後の世界は、テロとの戦いと称して巨大軍事力を駆使したアメリカ一国覇権主義の拡張をみることとなった。その結果、グローバル世界という言葉は、そのままアメリカ的支配と読んでもいい情況を生起し、現在に至っている。
 本書は、「『九・一一』の後間もなく(略)報復戦争を行」ったアメリカに対して「異議申し立てをすべきだ」という考えによって、呼びかけられ参集し、「『九・一一』がわれわれに突きつける問いをめぐって議論するために開いた(略)『〈九・一一〉を多角的に考える哲学フォーラム』」の「研究成果の一部」(寺田俊郎「あとがき」)を纏めたものである。
 書名に付された「エシックス(ethics)」とは、規範とか倫理、道義といった意味があり、編者たちは、二〇〇年ほど前、カントが『永遠平和のために』のなかで提示した「世界市民」概念に啓発されて、グローバリズムにおける本源的な意味を考究するために、「グローバル・エシックス」を提言している。それは、編者の一人寺田が述べているように、「さまざまな社会的相互作用が国民国家の枠を超えて地球規模で活性化した時代において、正義にかなった世界のあり方を規定すべき規範、およびその規範を明らかにしその根拠を批判的に問う哲学的探究」(23P)ということになる。本書を瞥見すれば、多角的な視野からそのことを論及していることが分かる。そして「人権」、「普遍主義と個別主義」、「道徳」、「国家」、「ジェンダー」、「環境」などといった様々な主題が採り上げられ、多岐に亘った専門分野をもった十五人の執筆者たちの論稿によって全十五章として構成されている。
 伊藤博美が、「第十三章 『九・一一』その後の〈語り〉」のなかでも詳細に論じているのだが、「九・一一」の犠牲者たちの遺族の集まりで、「平和な明日を求める〈九・一一〉家族会」(「ピースフル・トゥモロウズ」)という団体があって、彼らは、積極的にブッシュ政権の「力こそ正義」に否を唱えていたことを、わたしは、本書で初めて知った。九・一一テロの二年後に世界貿易センター跡地を訪れた寺田は、そこにあるモニュメントの解説文言に、「犠牲者の死を悼む気持ちが微塵も感じられ」ず、「人々の死を国家の都合にあわせた虚偽で塗り固めて、愛国心を煽り、不正な戦争を正当化し」ていることに「憤りすら覚えた」(6P)と、「第一章 グローバル・エシックスとは何か」のなかで率直に述べながら、やがて、寺田は、「家族たちの消えることのない悲しみ、支えてくれる人びとにたいする感謝、爆撃で甚大な被害を蒙ったアフガニスタンを救援する活動の要請、イラク攻撃計画への反対などとともに、(略)テロリズムは、貧困、人種差別、無知、不平等、絶望、怒りなどから生じる兆候であり、その背景を理解することがテロリズムを防ぐために重要であること」(8P)を一周忌にあたって表明した「ピースフル・トゥモロウズ」の存在を知り、「まっとうな倫理感覚を保ち」行動する合衆国市民がいたことに、「驚嘆し、安堵するとともに、勇気づけられた」と記している。
 確かに、「ピースフル・トゥモロウズ」の「倫理」は、加害者と被害者を往還し架橋しうる普遍的な位相をもっているといえる。わたしは、かつて九・一一テロ後、吉本隆明が、加藤典洋との対談で、「存在倫理」という印象深い概念を提起していたことを、すぐさま想起した。それは、次のような発言のなかにあったものだ。
 「社会倫理でもいいし、個人倫理でもいいし、国家的なものの倫理でも、民族的な倫理でも、何でもいいんですけれども、そういうもののほかに、人間が存在すること自体が倫理を喚起するものなんだよ、という意味合いの倫理、『存在倫理』という言葉を使うとすれば、そういうのがまた全然別にあると考えます。それを考慮しないと、この手前味噌な言い方とやり方(引用者註=ブッシュ政権とイスラム原理主義者たち両方の行為を指す)は理解できないんじゃないかという感じ方になっちゃうのです。『存在倫理』という倫理の設定の仕方をすると、つまりそこに『いる』ということは、『いる』ということに影響を与えるといいましょうか、生まれてそこに『いる』こと自体が、『いる』ということに対して倫理性を喚起するものなんだ。そういう意味合いの倫理を設定すると、両者に対する具体的な批判みたいなのができる気がします。」(対談「存在倫理について」―「群像」02年1月号)
 「生まれてそこに『いる』という」そのこと自体が、「『いる』ということ」に対して「倫理性」を喚起するという論旨は、そのまま、「絶望、怒りなどから生じる兆候」の「背景を理解する」という存在していることへの視線に繋がっていく捉え方だと、いっていいと思う。人権や生命といった位相で倫理を語ることも当然のことだが、「存在倫理」というように、もう少し普遍視線のようなものを考えていくならば、テロと戦争を超える方途へと   到達できるような気がしてならない。
 集中、小野原雅夫は、「第十章 カントとテロリズム」のなかで次のように論述して、グローバルな国家テロとでもいうべき現況を鋭く批判しているのが、印象的だ。
 「『九・一一』以降、『テロとの戦い』という言説が政治の世界を支配するようになり、民主主義を標榜していた先進諸国がこぞって恐怖政治の体制を敷くようになっている。テロ対策の名の下、(略)盗聴、拘禁、拷問といった『効率的手段』が多用され、(略)侵略戦争まで簡単に行えるようになってきている。これこそ『テロリズムの時代の幕開け』にほかならず、これまで巧妙に隠蔽されて行使されてきた外向きの構造的暴力が、内外への露骨な恐怖政治に取って代わられることになったのである。」(204P)
 現在のグローバル世界は、ますます「存在倫理」や「エシックス」とは、ほど遠い只中へと瀰漫させている。それでも、どこかを入り口にして、それを切開する通路を開いていかなければならないことだけは、明白なことなのである。

(『図書新聞』09.1.24号)

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