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2009年1月23日 (金)

つげ義春 著『生きていた幽霊』(小学館クリエイティブ 刊・08.7.29)・『四つの犯罪』(9.29)・『恐怖の灯台』(11.29)

 新作の発表のない状態が二十年以上続いているにもかかわらず、08年に入ってから、つげ義春のヴァリアント本が、相次いで刊行されている。93~94年に出版された『つげ義春全集(全八巻・別巻一)』の文庫版『つげ義春コレクション(全九冊)』(筑摩書房)、03~04年に出版された『つげ義春初期傑作短編集(全四巻)』、『つげ義春初期傑作長編集(全四巻)』の文庫版・全八冊(講談社)、そして本書の初期貸本漫画時代の単行本の完全復刻本(全三冊)である。『全集』刊行時、初期貸本漫画作品の多くを収録しなかった理由として、つげは「稚拙で未熟な過去を晒すのは気がすすまぬ」とし「粗末な作であるのは生活苦による乱作のためばかりではなく、マンガ全般のレベルが低かった時代」だったからだとなんの衒いもなく述べているが、わたしたちは、そのようには見ていない。わたし自身、つげ義春の一群の〈初期〉作品を、まさしくつげ義春という作家的膂力の源泉として捉えている。どんな事情や時代背景があろうとも、作家の作品歴は地続きなものであり、〈初期〉を抜きにしては、その作家の世界像を語ったことにはならないからだ。
 あらためて、本書全三冊を読み返してみて、その思いをさらに強くしている。既に、この三冊に収められた作品は、「選集」(77年、81年)や文庫(76年)で刊行されているのだが、完全復刻版となれば、当時の息吹きが伝わり、作品に対する視線も幾らか心新たなものになってくるといっていい(それぞれに「著者4年ぶりの肉声を伝える」、権藤晋によるロングインタビューが挟み込みとして付いており、つげ自身が語る〈初期〉を知ることができる)。
 よく知られているように、つげ義春の漫画家としての出立は、十七歳の時、メッキ工場で働きながら投稿し続けて採用され、雑誌「痛快ブック」に掲載された四コママンガであった。本格的なデビューは、十八歳の時で、一二八頁の貸本漫画単行本『白面夜叉』(55年5月)である。その後、七冊の貸本漫画単行本を刊行し、「痛快ブック」や「冒険王・増刊」などに次々と作品を発表していく。そして復刻版化された三冊は、十九歳から二十一歳にかけて発表されたものだ。
 『生きていた幽霊』(56年11月―以下、すべて若木書房刊)は、それまで発表されたものとは一転してシリアスな作品となっている。「探偵漫画シリーズ」と銘うたれたもので、  当時、江戸川乱歩が関わっていたこともあり、評判になっていた探偵小説雑誌「宝石」の影響下による企画と思われる。
 『つげ義春漫画術』(上・下巻、93年刊―ワイズ出版)のなかで、聞き手の権藤晋が、『生きていた幽霊』では、「絵柄がガラッと変わ」ったと指摘している。それに対して、つげは、「手塚治虫から脱皮したい気持ちが出ていた」からだと応答しているが、十七歳から描き出して、十九歳となっていたつげにとって「子供向きであきたらなかった気持ちがあ」り、「自分の年齢のレベルのものを描きたくなった」(挟み込みインタビュー)という思いが、作品形成に大きく、影響しているとみていいし、そのことこそが、“作家性”の発露であり、作家における初期世界の重要性を意味していることになるのだ。
 『生きていた幽霊』は、五つの短編によって構成されている。冒頭の「に来た男」では、温泉地を舞台としている。そのことだけを見ても、つげ的世界の初源性といったことが、いえそうだ。またシリアスな推理劇のなかにも、どこかユーモア性を湛えていることにも、そのことはいえる。
 集中、「罪と罰」は、ある意味オーソドクスな復讐譚である「に来た男」に比べて、悲哀に満ちた復讐劇となっている。交際に反対されていたとはいえ、恋人に父を殺された娘が、同じ方法で恋人を殺すという暗い終わり方は、人間存在の悲しみが率直に描出されている。それは物語を構成する膂力が、既に萌芽していたということでもある。そしてまた、どの作品もまったく異なったシークエンスによって展開している多彩さは、十九歳にして、溢れる才能を持って表現していることの証左だといえる気がする。
 『四つの犯罪』(57年6月)は、同じ「探偵漫画シリーズ」の一冊であるが、その間、共著として単行本が一冊と、雑誌作品三編という、少なさである。さらに、その後は、雑誌の仕事は途切れなくしているのだが、若木書房の仕事は、『恐怖の灯台』(58年3月)までしていない。その間のことを、履歴的に視線を向けてみれば、青春期における必然的な私生活の変容と無縁ではなかったようだ。
 『恐怖の灯台』は、簡略化した顔の描写に象徴されるように、全体的に絵柄のタッチにやや拙速さが感じられる。「これはひどかった。絵も荒れちゃっているし、めっちゃくちゃ描き飛ばしている」(前出『つげ義春漫画術』)と、つげは回顧しているが、それでも、〝六さん〟の像型、海中の場面などは、やはり出色なものがある。
 『四つの犯罪』は、構成力、画像の濃密度、どれをとっても、この時期のつげ作品のなかでは、傑出したものとなっている。後年の旅もの作品のなかにしばしば見られる、主人公(作者自身と思わせる人物)のモノローグによって物語を進めていく手法が、既にこの作品には表れているのだ。
 「のぞき見奇談」という挿話では、主人公の柘植(挿話中では辻)が、漫画家仲間の円戸(遠藤政治)と、漫画論議をする場面がある。
 円戸「辻君きみはあいかわらず芸術だのなんだのといってるのかい」「くだらん くだらん」「それよかうんと売れるやつをかいて人気をとる事だ」
 辻「きみは出版社のまわしものかっ 売らんかな主義は大きらいだ」「人気がなんだ」「ボクはいいものさえかいてりゃそれでいいんだ」
 おそらく実際に、これ近い遣り取りを、四歳年上の遠藤と、やっていたのかもしれないとしても、この場面の前段で、辻が、ひとりで、「おれの漫画はそこらにころがってるオモチャ漫画とちがって芸術なんだ」「漫画文学なんだぞ」と高らかに宣言していることの方に、わたしたちの関心は向いていかざるをえない。「漫画術』のなかで、「『芸術』だとか『文学』だとか言ってごましていたのかもしれない」とか、「カッコつけて逆らっていただけかもしれない」とつげ自身は、述べているのだが、作品に潜在するモチーフからいえば、強い作家意識の表れと見るべきであるし、当然、この時期のつげは、クラシック音楽にも関心を向け(作品中にも名曲喫茶「らんぶる」が登場している)、小説にも無関心ではいられなかったはずだ。だから、「漫画文学」とは、けだし名言というべきである。わたし(たち)が、後年の「ガロ」掲載作品群を、その深層において、なんの矛盾もなく文学性を持った作品として捉えていったこととそれは、通底していく。
 こうして、作家の〈初期〉作品を辿ることによって、その作家の世界像が露わになるということは、まぎれもなく、それが、つげ義春の作品世界だからだといっていい。

(『図書新聞』09.1.31号)

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