« 2008年10月19日 - 2008年10月25日 | トップページ | 2009年1月11日 - 2009年1月17日 »

2008年11月 7日 (金)

柏倉康夫 著『若き日のアンドレ・マルロー 盗堀、革命、そして作家へ』(行路社刊・08.7.10)

 若き日のアンドレ・マルロー(1901~76)をめぐって叙述しながら、一九二〇年代から三〇年代にかけてのアジア、ヨーロッパの時代情況を描出した本書は、〈疾走〉することのダイナミズムをわたしたちに喚起させてくれる。マルローという極めて独創的な思考を持った人物を活写する以上、通例的な評伝の枠組みを、はみ出てしまうのは当然だとしても、読み進めながら、マルローや四歳年上の妻・クララたちのあまりの破天荒なと、いいたいほどの行動力は、時代情況を抜きにしては理解できないことなのだといっていい気がする。
 例えば、カンボジアでの盗掘事件(後に小説『王道』に結実していく)によって禁固刑の有罪判決を受けたマルローに対して、パリの知識人たちの多くが嘆願運動に立ち上がったのだ。それは、ジッド、モーリヤック、ガリマール兄弟、アラゴン、ブルトンといった錚々たる面々であった。クララの奔走によるとはいえ、まだ、フランスの言論界では無名の若手の一人にしか過ぎないマルローに対して、それだけのことが生起したということは、マルローが彼らたちを惹きつけてやまない才能と存在力があったからだといえるかもしれない。
 マルローが、アジアというものに最初に関心を向けたのは、インドシナ半島だった。周知のように、六〇年代から七〇年代にかけて泥沼化していった、いわゆるベトナム戦争は、アメリカの介入によって始まったわけだが、そもそも前史として、長年のフランスによる植民地支配による圧政があったことに由来する。
 「フランスのインドシナ進出は、他の植民地のように直接的な富をもたらさなかった。(略)植民者が見いだしたのは、貧弱な鉱山と安い労働力であった。そのためフランス植民地政府と入植者は、住民を労働力として仮借なく使役した。」(64P)
 だからこそ、過酷な情況がインドシナ半島には、当時あったということである。「インドシナに行く前のマルローは、美術と詩と冒険に熱中する若者にすぎず、政治的な関心はほとんどなかった」(57P)のだが、盗掘をたんに一攫千金の冒険ぐらいにしか考えていなかったにもかかわらず、逮捕・拘禁され、裁判というものを経験し、その過程で植民地政府が、いかに横暴なことをしているのかを目の当たりにして、憤りと憎悪を植民地行政そのものへと向かわしていったと著者は捉えていく。その後の、現地での反植民地政策的主張を織り込んだ新聞発行というインドシナ半島での活発な言論活動は、まさしく〈疾走〉する行動者マルローといった相貌というものを表出させている。結局、苛烈な言論は、新聞発行継続を困難にし、やがてマルローはクララとともにフランスへ帰国する。若きマルロー、二十四歳の時だった。
 「第一次大戦がもたらした悲惨な結果は、ヨーロッパの知識人に、ヨーロッパ以外のまったく異なる文化に目を向けさせることになった。古い伝統を誇る中国とインドは、第一次大戦にも参加していず、列強の支配から立ち直りつつあった。彼らはそこに人類救済の手がかりを求めようとしたのである。」(119P)
 「同時代のヨーロッパ人の表情に刻みこまれた苦悩と孤独は、(略)二十世紀のヨーロッパ人が直面している主体の危機であり、それは社会にたいする荒廃の感情を生み出す。そしてこれをマルローは『不条理(アプシュ)の(ル)感覚(ディテ)』と呼ぶのである。/人間は自分を押しつぶそうとする宿命に抗して行動する。行動とは宿命にたいする反撃のこころみなのである。」(125P)
 このような、ヨーロッパ、フランスの言論界にあって、マルローは、「東洋の真の偉大さを見つけた稀なヨーロッパ人の一人であった」(129P)から、「西欧文明の侵略に混乱しながらも、その影響のなかから新たな価値観を模索し、確実に立ちあがりつつあるアジア」(132P)を直視し、アジアと西欧との架橋を追及していくことができたのである。『西欧の誘惑』(1926年刊)、『征服者』(1928年刊―本書で知ったことだが、日本で最初にマルローの作品が翻訳出版されたのは、1930年に新居(にいい)格(たる)が英訳版から翻訳した『征服者(「熱風」に改題)』だった。むろん著者に了解をとらずに出版されたものである。意外なところでアナキスト新居格の名を目にして、驚いたことを明かにしておく)、『王道』(1930年刊)、『人間の条件』(1934年刊)と次々に発表していった作品群が、そのことを明示していったといえるはずだ。
 さて集中、わたしが最も関心を持ったのは、一九二〇年代の初期中国革命の挫折を描いた『征服者』をめぐって、1931年に「新フランス評論」誌上で行われたトロツキーとの論争についてである。ロシア革命を主導したトロツキーは、自身がスターリンによって放逐された立場から、初期中国革命の頓挫をスターリン・コミンテルンの介入のせいであり、『征服者』はコミンテルンの立場で書かれていると批判する。文学にそれなりの見識を持っていたトロツキーですら、マルローによる小説をあたかも現実の出来事を活写したものとして、小説『征服者』を理解する視線は、面白い。唯一、アナキストでテロリストでもある登場人物・洪を「民衆を代表している」としてシンパシイを寄せるトロツキーに対して、「ロシア革命にあっても、レーニンやトロツキーは幾人もの洪と出会った」にも関わらず、彼らを秘密警察に委ねたではないかと批判するマルローの認識の確かさに、わたしは即座に首肯したいと思う。

(『図書新聞』08.11.15号)

| | コメント (0)

« 2008年10月19日 - 2008年10月25日 | トップページ | 2009年1月11日 - 2009年1月17日 »