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2008年10月10日 (金)

神津陽 著『時代劇の父・伊藤大輔』(JCA出版刊・08.8.8)

 日本映画史というものを望見する時、戦前、戦後を通じて作品を撮っている映画監督は数多くいるわけだが、伊藤大輔は、優れた作品を有しながらも、なぜか閑却されてきた存在だった気がする。それは、わたし自身の個人的な思いにも関わることなのかもしれないが、伊藤を師としていた加藤泰もまた、わたし(たち)が、熱狂して、共感したほどには、世評的にはそれほど広範に注目されていたわけではないことに共通のものを感じてならない。わたしにしても、加藤泰を通して、伊藤大輔を知り、六〇年代末頃の再上映の期に、『反逆児』などを見た程度であった。本書に接した機会に、伊藤大輔最後の作品、『幕末』を見直してみて、天皇制を否定する革命思想家の貌をした龍馬像が、なんとも衝撃だった(最初に見た当時は、異和感を持ったはずだが、いま見てみれば、やはり痛快な作品に仕上がっている)。
 神津陽による「伊藤大輔論」と聞いて、『新選組 多摩党の虚実』の著者であれば、それもありうるのかなと思ったが、読後、感じたことは、『兎の耳―もう一つの伊達騒動』の著書に通底したモチーフをもったものであることが、了解されたといっていい。それは、故郷を〈原郷〉とする思想的所在の問題ということになる。著者はそこでは、伊藤大輔という存在と重なりあいながら主題を展開していく。
 わたしは、伊藤大輔が愛媛県宇和島の出身(著者と同郷)であったことを、本書で初めて知った。だが著者は、たんに同郷の名匠を論ずるという立ち位置にいるわけではない。「著名な伊藤監督は大成後も宇和島に里帰りしたことはないようなのだ」という思いが、初発の関わりだったと、著者は述べている。つまり、旧制松山中学を中退した十九歳の時に、郷里を後にして、亡くなる八十三歳までの間、伊藤は宇和島に帰還した様子がないということに、「帰りたい帰れない〈原郷〉」の淵源を探ることで、伊藤大輔の作家的源泉を解き起こしていくのである。
 なぜ、伊藤大輔は、「時代劇の父」と称されたのか、あるいはなぜ、「傾向映画」といわれた一連の作品を撮り続けたのかということなどが、この〈原郷〉体験に連なっていくのだという著者の論旨展開の手捌きは見事なものである。通例の評伝や映画作家論とは、明らかに違う位相をもって、わたしたちに伊藤大輔の像を提示してみせてくれる。
 伊藤の宇和島における祖父伝来の下級武士にまつわる物語が、「伊藤時代劇のエッセンス」であるとしても、もうひとつの問題、「傾向映画」といわれた所以は、作品論と大きく関わってくる。そして、そのことこそが本書の重要な主題となっていくのだ。
 普通、傾向映画といえば、左翼思想に論拠を置くものとして理解されやすいが、伊藤映画にあっては、そういうものとは別次元にあるといっていい。
 「だが伊藤時代劇は国家にほめられる勧善懲悪映画ではなく、逆に早急に現国家打倒を目指すプロレタリア映画でもなかった。当人は『イデオロギーで私は映画を作らない』と断言している。そして『傾向映画があって伊藤大輔があったのではない』、『私が作った映画がたまたま傾向映画だった』とまで書いている。」(113P)
 このように述べる著者は、なぜ「たまたま傾向映画だった」のかということに、さらに拘りながら、青年期に「指紋を失くすまでの激烈な組合結成運動」に関わったのが、「傾向映画の源泉だという類の左翼史観は的外れのようだ。伊藤の『傾向映画』はむしろ生活レベルでの反逆精神の持続に過ぎない」(116P)といい切っていく。
 加藤泰は、若い人の純粋なひたむきさに通じる「どうしても納得出来ない我慢が出来ない」というものを、「映像にぶつけて、そして映画にし続けられた」のが、師・伊藤大輔だったと述べている(講演「伊藤大輔の世界」・81年9月10日―『夜行14号』所収)。加藤泰の発言は、まるで自分の映画姿勢と通底しているかのようだ。確か、齋藤龍鳳だったか、「大正生まれのアナーキスト」とか、「和製ワイダ」といって加藤泰を評していたが、本書の著者・神津陽は伊藤大輔の思想軸を「実感的アナキズム」として捉えていく。
 「下郎物での伊藤大輔の手法は多分にアナキズム的であり、主人公の下郎は盲目的に信義を貫き、裏切りに対しては負けを承知で抵抗し破滅的に死ぬ。それでも昭和三十年のスターリン批判や三十一年のハンガリー動乱で方向転換したと言う日本の新左翼創始者たちよりは、同時期の伊藤大輔の思想の方がはるかに先駆的で開明性があったと私は考える。」(22P)
 「ロシア革命時には労働現場にいてアナキズムの影響の強かった伊藤大輔は、江戸末期の武士や浪人や百姓の抵抗を描き為政者の非を指摘した。だが、彼は抵抗運動に賛意を示しても、抵抗組織を永続化し絶対視する事はなかった。」(120P)
 「伊藤が描く国定忠治は日本の大衆運動のネックである組織論の根本問題を直視するが、当然の課題を引き受けよと言うばかりだ。これも仮説だが、伊藤大輔は自分の経験と見聞から、革命には権力奪取は不要で、抵抗力増大による権力無化こそが必要だと思い付いたのではないか。」(129P)
 ここでは、神津による伊藤大輔論を通して自身の「個と共同性を架橋する思想根拠」を提示しているかのようだ。もちろん、それは、まったく当為する論旨だと、わたしなら理解する。

(『図書新聞』08.10.18号)

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