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2008年6月 6日 (金)

羽生康二 著『昭和詩史の試み』(思想の科学社刊・08.3.7)

 「昭和詩史」と書名に付された本書は、著者独自の視線をもった鮮鋭な“詩史”となっている。「主に扱っている期間は、昭和の初めから1945年(昭和20年)までの二十年間であ」り、「宮沢賢治、中原中也、金子光晴、草野心平、田中冬二その他、昭和の詩人として名高い詩人が何人も、この本には含まれていない。それは、わたしの見方に立って昭和20年までの現代詩を概観する上で、必ずしもこれらの詩人を含める必要はないと思ったからだ」(「あとがき」)と著者は、率直に述べているが、それは、昭和前期二十年間の大半を占める十五年という時間を横断するアジア太平洋戦争期に向けて著者の考え方を対置していることを意味している。そしてさらにいえば、著者の見方(考え方)、つまり本書における主題は、「戦争協力詩をどう考えるか」ということに尽きるといっていいと思う。
 本書は二部立て構成となっている。対象となっている詩人たちを列挙すれば、「第Ⅰ部 昭和詩史の試み」が、北川冬彦、春山行夫、中野重治、西脇順三郎、村野四郎、猪狩満直、江間章子、田木繁、小熊秀雄、小野十三郎、山之口貘、岡本潤、壺井繁治、三好達治であり、「第Ⅱ部 十五年戦争と詩人」は、大江満雄、伊藤信吉、そして秋山清である。「北川冬彦が主宰する詩誌『時間』の同人だった」(198P)という著者は、「昭和期の詩の世界は、モダニズム詩系の詩人たちとプロレタリア詩系の詩人たちの対立と共存を中心として成り立っていた」(148P)と捉え、モダニズム詩系詩人とプロレタリア詩系詩人を織り交ぜるようにして論を進めている。そして、「45年の日本の敗戦までの時期に生きた詩人たちは、少数の例外を除いて、ほとんどすべて、戦争に協力する詩を書いている。(略)どういういきさつがあったにせよ、戦争協力詩を書いた詩人たちは、そのことに対して責任がある」(197P)と結語していくのだ。
 つまり戦時中、本意ではないにしろ、積極的であったにしろ、「戦争協力詩」や「文学作品」を書いていながら、戦後、そのことを自省することなく、まったく糊塗し、当然のごとく“進歩的相貌”を持って登壇した文学者が、実に多くいたことが、問題なのである。いまや周知のことではあるが、吉本隆明が、武井昭夫との共著『文学者の戦争責任』(1956年9月刊)のなかに収められた論稿「前世代の詩人たち」(本書では、櫻本富雄の『詩人と戦争』、『詩人と責任』とともに、たびたび援用されている)で、壺井繁治と岡本潤に対して苛烈に批判を加えたことは、当時、大きな反響と論争を巻き起こしているし、その衝撃と余波は、しばらく続いていったものだ。
 だが、時間は風化していくものだ。扶桑社の歴史教科書問題に象徴されたように、先の十五年戦争はアジア太平洋地域への侵略戦争であるといった言説を自虐史観だと断じる気運が醸成され、さらには自衛隊の海外派兵が定式化され、九条改憲へ連動していく。
 「戦争協力詩問題の広がりと深さを知るにつれて、これは何十年も前に片づいた過去の問題とは言えない、という気持がしだいにわたしの中で強くなってきた。(略)強制されたわけでもないのに国家体制にすり寄っていく学者たち、戦争放棄の9条を持つ憲法を悪しざまに言い、改憲をとなえる有識者たち。そういう人たちが、十五年戦争の時期に次々と国家体制に進んで協力した多数の人たちと重なって見えてきた。(略)重要なのは『書いた』ということそのものよりも、『のちになって自分が書いた戦争協力詩にどのように対処したか』である。」(200~203P)
 終戦時、十歳だった著者が憂える情況は、確かに、切迫したものだ。高度消費社会が自壊した後に訪れたのは、鬱屈した停滞様態だ。格差が増大して二、三十代を中心とした世代が、なかなか向上しない生活環境に置かれている。詩の世界ではどうか。吉本隆明が、わたしの問い掛けに答えて、「詩のほうで二十代、三十代の人たちの作品を読むと、なんかこれから後のことを考えたりすることが、お年寄りと同じで、億劫で億劫でしょうがないという感じなんですね」(「秋山清と〈戦後〉という場所」―「現代詩手帖」07年10月号)と述べていた。いわば、通路の見えない閉塞感をともなった社会をどう切開していくかという手立てがないということなのかもしれないが、そう思うことに慣れていくことを、わたしは危惧する。そうではないと、声高にいいたい気がするのだ。
 著者は、「戦争協力詩を書かなかった詩人」として秋山清を取り上げている。「白い花」をはじめとした一連の戦時下の詩篇は、吉本が「詩的抵抗の最高の達成」といち早く評価している。最初に、秋山清の詩の取り上げた経緯(「大岡山文学」52年6月)を訊ねたら、吉本は「オーソドックスなプロレタリア詩系統の人だったら、取り上げたりはしなかったと思います。つまり、秋山さんのは勇ましい詩ではなかったからです」(前出「秋山清と〈戦後〉という場所」)と答えてくれた。著者もまた、「現実をもって語らせよ」という詩法をもって、静謐な詩篇を紡いでいった秋山清に対して深い理解を示している。
 「今の時点で考えれば、日本の侵略戦争をたたえる詩を書かなかったということは、たいしたことではないと思えるかもしれない。しかし、国全体が戦時体制一色となり、ほとんどすべての詩人が戦争協力詩を書いた中で、それを書かずに通すことはたいへん難しいことだった。」(267P)
 このように捉えながら、著者は「アナキスト詩人秋山清は、八十三年の生涯を、さまざまな現実に直面し曲折を経ながら、『にげないこと』というただひとつの戦術をもって生き抜いた」(282P)と述べている。
 そうなのだ。「にげない」限り、いつかは通路を見出せる時が来るはずだと、いいたい。

(『図書新聞』08.6.14号)

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