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2008年1月 4日 (金)

前登志夫 著 歌集『落人の家』(雁書館刊・07.8.20)

 吉野の山に住まう歌人として知られる前登志夫の第九歌集である。一九二六年生まれの歌人にとって、九冊の歌集というのは、けっして多くはなく、どちらかといえば寡作の方に違いない。
 前登志夫は、長らく中央の歌壇とは関わりなく活動していたこともあって、わたしたちにとって、ある種、伝説化された歌人でもあった。詩人として出発、五六年に詩集『宇宙驛』を上梓。「異常噴火」して歌作を始め、「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」の鮮烈な一首を巻頭に配した第一歌集『子午線の繭』を出版したのは、六四年、三八歳の時である。文庫版『存在の秋』に付された自筆年譜によれば、六八年前後の十年間はほとんど都市へ出なかったとあり、七四年、四八歳の時、「大阪・金蘭短期大学に助教授として招かれ、十五年間の山籠りを解く」とある。その間の著作は、第二歌集『靈異記』、共著『現代短歌大系 8』、エッセイ集『吉野紀行』のみであった。六七年、歌と民俗の研究集団「山繭の会」発足させ、主宰し、八〇年、歌誌「ヤママユ」を創刊。本歌集を「ヤママユ叢書第七十七篇」としている。第三歌集『繩文記』(七七年刊、第一二回迢空賞受賞)上梓して十年の後に、第四歌集『樹下集』(第三回詩歌文学館賞受賞)を刊行。そして現在まで、二十年間、六冊という歌集を出している。わたしは、なにかに拘っているのだろうか。はじめの二十三年間で、三冊の歌集ということへの対比を考えれば、後の二十年間、六冊ということが、普通なら遅々としたものであっても、前登志夫の場合は、なにか加速度的な時間を意味しているようでならないのだ。
 「わが歌よ、死者の打つ木魂のように空を走れ!」(「存在の秋」)と宣した歌人は、堆積していく時間の往還のなかで、いまどのような場所に佇っているのだろうか。そのことが、わたしにとって最も関心が向かう所在である。
 『鳥獸蟲魚』、『青童子』、『流轉』『鳥總立』と続いた歌集名を瞥見すれば、最新歌集名は、これまでのどの歌集名にもなかった極めて実感的なものだといっていい。山間地を生活の場としてきた自分を〈落人〉と擬定とするのは、率直な表明であり、さらに〈家〉という空間に連関させていくこともまた、至極、自然のなりわいの表出ということになる。

 歌詠みにうつつを抜かし生きたればわがめぐりみな荒寥とせり
 やうやくにわれの煩惱も淡くなり歌詠むことは息するごとし
 わが魂はいづこさまよひゐるならむ谷間をへだてわが家を見れば
 とぎれとぎれの居眠りのまに歌詠めるわけのわからぬ頭蓋の谷間
 兩の羽ぼろぼろとなりし雄の蛾は雌に先だち息きれてをり
 紅葉の明るき村をとほりきてまたつぶやけり、みんなはどこへ

 はじめの歌詠み(む)の二首は、対称的なものとして捉えることができる。〈荒寥〉と〈息するごとし〉は、いうなれば時間の堆積が自らの身心に襞のように覆いかぶさってくる感受の在り様を示している。〈谷間〉という言葉に象徴化させた二首も、方位を変えて、同様の感慨を込めているといえよう。これらのことをさらに加速化させれば、〈雄の蛾〉の実態と〈みんなはどこへ〉という感性の拠りどころが、自らの存在の暗渠となっていることの表明であるというように、前登志夫にとっては、現在の「歌」があるということのように思える。
 かつて、村上一郎は、前登志夫の短歌世界を「倫理的な抒情の叫びを形象」しているとし、「自省に始まり、自嘲にはゆかずに、自虐・自罰にいたる前登志夫の自己に対する倫理の過剰なまでのつきつめ方は、彼の抒情の内容を翳深いものにしている。」(「前登志夫論―〈或る山びとの歌〉―」『現代短歌大系 8』収録)と述べていた。
 確かに、この最新歌集の歌篇たちも、そのような視線を敷衍させて捉えられないことはない。だが、前登志夫の〈現在〉は、「自省」を「倫理の過剰」へとつきつめることでは開示できない地平に至ってしまったと捉えるべきであるという気がする。つまり、堆積していく時間(老いや、やがて訪れるであろう死)を自然過程そのものとして受苦することを前登志夫の場合、良しとしてはいないことがわかるからだ。

 人間以前のわれにあらずや槇の葉につもれる雪を食べてゐるのは
 攫ひたるをみなは髪をなびかせて山驅くらむかわれの不在に
 守るべき山の砦も潰えしか、觀念の鳥あゆむ枯草
 はや夜明けわれを守りしは夜の皮膚、月沒りしのち竹群さわぐ
 蟾蜍そこ退けてくれ青草をそよがせてゆく形象ありき
 きつつきは木のテロリスト春の日のわれの頭上に穴穿ちをり
 若き日をきみはうたふな戰争と戰後の日々をうたふなきみは

 吉野の山々という自然に囲まれて住まう歌人にとって、〈歌詠み〉と〈生活〉は、一体のものであった。だが、どんなに隔絶された場所であっても、世俗的な社会の皮膜を忌避できるわけではない。是認する、しないに関わらず、わたしたちは、いつも反自然と自然の狭間のなかでしか生きていくことはできないからだ。「あとがき」で、「過酷な経済至上の世の中では、一市民として慎ましくおのれの生をいとなむ風景は、まるで落人のようにすら見えたりします」と述べている。自然が、人工化されることによって自然でなくなる必然を抱えもってしまった疲弊していくだけの現在社会は、誰でもがやがて、〈死〉に向かっていく必然と、それはパラレルなものだといっていい。
 だから、〈きみはうたふな〉という、倫理性から放たれて、ある意味、切実さをもった「自省」感は、この歌人にとって、〈現在社会〉や〈死〉に対する苛烈な〈抵抗〉の思いなのだと、わたしは受けとってみたいのだ。

(『図書新聞』08.1.12号)

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