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2007年2月23日 (金)

鈴木清順・述 磯田勉 轟夕起夫・編『清/順/映/画』(ワイズ出版刊・06.11.30)

 わたしが鈴木清順映画と初めて出会ったのは、六〇年代末頃の時期にあたる。当時、鈴木清順は、六七年に「殺しの烙印」を撮り終えた後、「分らない映画」を作るからと、日活から監督としての専属契約を一方的に打ち切られ、以後十年間、映画作品を発表することができなかった。この一方的な解雇問題は、いわゆる“鈴木清順問題”と呼ばれ、折からの叛乱と抵抗の“時代”に呼応するかたちで「鈴木清順問題共闘会議」が結成され、不当解雇への闘いへと決起されていった(七一年一二月に日活と和解)。いわば、“旧作”が、大学祭や映画館でのオールナイト五本立て上映といったかたちで、かけられていたのを、わたし(たち)は、熱狂して見たものだった。そう、それは、まさしく“熱狂”という言葉がふさわしい状態で、見るものを魅了していたのだ。例えば、『関東無宿』(六三年)では、小林旭が賭場で相手方を切り捨てた瞬間、襖が次々と倒れ、赤色の空間が描出される場面、『刺青一代』(六五年)では、高橋英樹が殴り込みに行く途中で、日本刀を受け取り、まるで歌舞伎の花道のように駆け抜けて行く場面、『けんかえれじい』(六六年)では、桜の木の側でステッキかなにかで、枝を払うと桜が散っていく場面など、それらで観客からいっせいに“セイジュン”と声が掛かるのだ。それは、まるで歌舞伎などで、“ナリコマヤ”などと声がかかるのに擬しているのだが、オールナイト上映の映画館の観客たちは、もとより歌舞伎には縁のない学生や労働者たちで占められていた。少年期に母に連れられてよく歌舞伎見物に行ったことは、鈴木清順自身述べていることだが、清順映画の独特の様式美と場面展開は、なるほど歌舞伎のような外連みをもったものとしてわたしたちには映じていたが、しかし、それは既に高尚な見世物となっていた歌舞伎の世界とは、まったく違う位相をもった衝撃的な映像世界として、わたしたちは受け取っていたのだ。
 鈴木清順自身、自作についてあまり語りたがらないのは、よく知られている。普通、映画監督というものは新作を発表するたびに、作品の意図やモチーフをよく語るものだが、鈴木清順の場合は、だいたい真っ当には答えず、聞き手をはぐらかしてしまうことを常としている。本書はそういう意味でいえば、めずらしくも聞き手にとりあえず応じながら全49作品について語りきっている。そして、『鈴木清順全映画』(一九八六年・立風書房刊)以来となる“清順映画”の全体を俯瞰しうる著作となっているといってもいい。なかでも、日活時代の撮影時のスナップが多く掲載されているのは、貴重なものといえよう。俳優達に笑顔で語りかけているようなものもあり、プログラムピクチャーを疾走した映画監督ならでの光景だといっていい。後年、『ツィゴイネルワイゼン』(八〇年)や『陽炎座』(八一年)で、世評高い巨匠のように見做されていったわけだが、根柢は、鈴木清順自身、本書でも語っているように、映画は娯楽であり、「アクションがあって、歌があって、踊りがあればいいん」(25P)だという思いをもって撮り続けてきたことになる。後年の作品に色濃くなる“死生観”にしても、それは、“戦争体験”を否応なしに通過せざるをえなかった「死生」観であって、皮相な人生哲学のようなそれとは無縁なものだ。だから、「アクション映画というのは、みんな生と死じゃないの。殺すか殺されるか。」(351P)と言い切れるのだ。
 「清順さんの映画はよく建設ではなく破壊と形容されますが」と聞かれて、こう答える。
 「見てて爽快感を感じるのは建設ではなく、破壊の方でしょう。(略)破壊は一瞬のうちだもの。気持ちがいい。」(54~55P)
 また、「とことんまで悪を描いてみたいという願望はありますか」という聞き手の直截な問い掛けには、こんなふう応答していく。
 「悪って?諸悪の根源は……政治、国家、体制。そこまで日本映画が出来るか、ということですよね。」(202P)
 そして、さらに過激な物言いが頻出していく。
 「俳優と話なんてしませんよ。決まったものを撮っているんですからね。アクション映画は恰好よく銃を撃てばいいんですよ。」(90P)
 「『嘘』を『真』と言いくるめてくれる芸達者が欲しいんだよね。土台、日活の脚本なんて嘘ばっかりだから。それを本当らしくやってくれればそれでいい訳ですよね。やっぱりリアルのなかに虚があり、虚のなかにリアルあり、をやっておかないといけない訳だから。映画監督は虚実皮膜の間を充分心得てるんだよ。」(94~95P)
 「戦場は美しいですよ。(略)戦争が終わったときに左翼ばかりが革命だと騒いでてね、なぜ右翼が革命しなかったかと思うんですよ。当然すべきだと思いましたね。(略)昭和天皇が死んだ時点で、私の戦争は終わりましたよ。」(229~233P)
 五十本目の作品として、大正アナキストと浅草の踊り子との物語の映画化実現を問われていう。
 「9・11、あれで気がグチャグチャしてしまった。あんなこと現実にやられたら、今さらね……。あれがなければやっていたかもしれない。(略)政治的な話はしたくないけれど、アクションだけを見ればあんな凄絶なアクションはないものね。」(410P)
 やや、微細に演出方法や演出意図へ拘泥しながら、次々と質問を繰り出す聞き手達の言葉をかいくぐりながら、発したこれらの鈴木清順の言述を、わたしは、してやったりとほくそ笑みながら、思わず“セイジュン”と声をかけたくなった。生来の映像のアナーキスト・鈴木清順、健在といったところだ。

(『図書新聞』07.3.3号)

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