« 2007年8月5日 - 2007年8月11日 | トップページ | 2007年9月23日 - 2007年9月29日 »

2007年9月21日 (金)

塩浦 彰 著『荷風と静枝 ― 明治大逆事件の陰画』(洋々社刊・07.4.20)

 永井荷風といえば、「花柳小説」作家、「戯作者」といった独特なイメージが付加されているように思える。晩年の生活に象徴される孤独者的相貌もあいまって、独自の生活スタイルが、喧しい現在のわたしたちに対するアンチテーゼとして注目されたりもしているようだ。荷風を「遁走者」であり、「個人主義者」であったと評したのは、江藤淳であった。
 「永井荷風の一生は、近代日本の現実からの絶えざる遁走の連続である。(略)表面的にいえば、彼の一生は個人主義者の一生である。個人主義者が変人あつかいにされるこの国では、それはほとんど一個の倫理的な規範をかたちづくっているかも知れない。(略)彼は批判者として生き、同時に芸術家として生きた。」(「永井荷風論 ある遁走者の生涯について」)
 こうした荷風像が、確立していくための転換点として、本書の著者は、明治末期に生起した、いわゆる大逆事件が、契機としてあったと捉えている。
 幸徳秋水、菅野すが、宮下太吉らが明治天皇暗殺計画を企図したとして十二名もの無政府主義者・社会主義者が死刑に付された大逆事件は、明治四十三(一九一〇)年五月から六月にかけて一斉検挙・逮捕を重ね、翌年一月十八日午後、大審院特別刑事部で、刑法第七十三条(天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス)適用による大逆罪の公判が行われた。二十四名に死刑(十二名は翌日、無期に減刑)、二名に無期懲役刑の判決が下され、一月二十四、二十五日と僅か一週間のうちに、死刑が執行された。この前代未聞で最大の思想弾圧事件は、天皇制を強固な国家権力体制として誇示するために仕組まれた国家犯罪であることは、いまや周知の事実であるといってもいいが、当時の文学者、知識人たちに与えた衝撃は計り知れないものがあったといっていい。もちろん、荷風とて例外ではなかった。
 「悪罵をあびせかけて来た国家権力から」文化勲章をあえて辞しせず、受けながら「文化勲章年金」と揶揄したいい方に「国家権力というものが、荷風の存在自体にとってはなにものでもなかったことをものがたっている」(「前出」)と江藤が見ていたように、著者もまた、荷風のなかに反抗の思念を見て取ろうとする。
 「大逆事件前、自作の発売禁止という、国家権力の弾圧を受けた経験から、言論出版の自由について、直接間接に発言を繰り返していた荷風の『苦痛』を視野に入れなければならない。」(14P)
 このような荷風にあって、本書の著者は、大逆事件の判決の日に、当時、親交を深めていた芸妓八重次(後に新舞踊の名取となり、戦後、文化功労賞を受けた藤蔭静枝)に宛てた絵葉書に着目する。
 「度々電話をかけましたがお帰りがないので独りで博物館内の古い錦絵を見歩いて居りますこの暖かさでは江東の梅も間がありますまい近い中亀井戸へ行きませう」
 この文面から、著者も指摘するように、博物館に一緒に行こうと思い電話をしたが、不在だったことをただ告げているにすぎないのだが、「荷風が、あえて判決の日に八重次という女性に逢いたくなったのは、はたして偶然のことなのであろうか」と疑義を呈していく(10P)。そして、「大逆事件」の諸相を縦軸として考えるなら、荷風と八重次(静枝)との「通交」を横軸として見做すことによって、その交差する場所を基点にし、国家権力が徐々に膨張していく過程を見通しながら、二人(荷風と静枝)の表現者が織り成す地平を解きほぐしていこうというのが、本書のさしあたっての眼目であるといってもいいはずだ。
 「荷風の作家生活前半生の、充実した〈花柳小説〉という作品群が生み出された時期は、八重次との遭遇によってもたらされた。(略)自立心の高かった八重次の生そのものに添うことによって、荷風は〈戯作者〉としての国家権力への反抗のし方を、身につけていったのである。大逆事件判決の日に、荷風が八重次に『度々電話をかけ』たのは、けっしてたまたまのことではなかった。荷風周辺に取り沙汰された数多の女性たちのなかでも、芸妓八重次の存在理由は重いのである。」(17P)
 確かに、荷風の代表作ともいえる『斷腸亭日乘』に「帰朝以来馴染みを重ねたる女」として十六人の女性が列挙され、ほとんどが芸者、私娼、女給といった女性たちで、商人の娘二人のうち、一人が、父親の勧めで結婚した女性で、父が急逝するとすぐ協議離婚し、それまで付き合っていた内田八重(芸妓八重次)と結婚している。だが、通交の長さに比して、結婚生活は長く続かず、半年後、八重が家を出たことによって離婚している。荷風の結婚歴はこの二人だけで、生涯、子供も設けず、以後、独身を通している。
 父権の前に最初の結婚を承諾してしまった荷風の屈折した思いを、著者は「父権の意識下に」、「天皇を頂点とする国家」が置かれていたはずだと捉えている(61P)。そして、「『戯作者』あるいは『隠者』というスタンスを保ちつつ、不当な強制に反発する個人主義者として、当代の権力から民衆までの諸相を観察し批判し続けた荷風は、磯田光一のいう『保守のラジカル』にあたり、(略)静枝の生き方は逆に『ラジカルな保守』といえるかもしれない。(略)共通するところは、(略)『制度』の普遍を疑い、個人の自由を過激に言語あるいは身体で表現したことである。」(248~249P)
 こうして本書を辿ってみるとき、荷風と静枝の二人の親近なる通交と、交差した場所に、大逆事件という大きな動態があったとする著者の視線は、実に刺激的だといえる。

(『図書新聞』07.9.29号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月5日 - 2007年8月11日 | トップページ | 2007年9月23日 - 2007年9月29日 »