« 2007年6月17日 - 2007年6月23日 | トップページ | 2007年9月16日 - 2007年9月22日 »

2007年8月10日 (金)

岩田儀一 著『歌集 内線二〇一』(砂子屋書房刊・07.3.12)

 三枝昂之の第一歌集『やさしき志士たちの世界へ』(一九七三年刊)に、「まみなみの岡井隆へ 赤軍の九人へ 地中海のカミユへ」という印象深い作品があった。かつて(といっても五七年のことだが)、吉本隆明と激しく論争をした前衛短歌の旗手と目されていた岡井隆はその頃、沈黙期にあった。だからこそ、わたし(たち)は、鮮烈な作品を持って登場した三枝や福島泰樹といった同時代の歌人たちに共感を持ちつつ注目することになった。そしてその後、活動を再開した岡井隆にも、当然のごとく随伴していった。それは、翻ってみれば、わたし自身、もっとも短歌作品に触れた時期だったように思える。
 本書は、著者にとって「五十六歳にして初めて出す」歌集である。だが、「あとがき」に、次のような記述があり、わたしをある種の共感の関係性へと連れ出してくれた。
 「初めて短歌を作ったのは、大学一年十九歳の冬であった。(略)『前衛短歌』に強い感銘を受け、腰を据えて歌集や歌書を読み、勉強しながら短歌を作り始めたのは、その数年後であり、一九七〇年代初頭の頃である。当時、私たちが関わった『全共闘運動』は、〈後退戦〉を余儀なくされており、私たちの仲間うちでは『ここが本当の出発点だ。組織に拠らず何事も一人で始め、持続してゆくしかない』ことが暗黙の了解だった(どこにでもあったように)。」
 「〈後退戦〉を余儀なくされ」た情況のただなかで、確かにまた、わたしも吉本や鮎川信夫の詩篇とともに、短歌作品は自らの矜持を支えうる感性の拠りどころとして接していたといってもいい。
 
 『詩とメーロス』読み継ぐ夜のベランダにしんしんと降る霜の韻(ひびき)
 双肩に漆黒の闇降りしきり『I want to talk about yo』
 きしきしと霜踏みしめる朝には 森(しん)として少し「とほくまでゆくんだ」
 未明には〈風〉の思想をたずさえて登檣(のぼ)りていかな最上帆(ロイヤル)の辺に

 菅谷規矩雄、ジョン・コルトレーン、吉本が引かれる。そして〈風〉は、村上一郎の墓碑に刻まれている一字だ(私事をいえば、毎年三月、小平霊園のその墓碑の前にわたしは出向いている)。岡井隆は本書の「解説」で「はっきりいへば『村上一郎の時代』を憶ひ出した」などといっているが、これは誤解を招くいい方だ。もし、“村上一郎の時代”、つまり、村上一郎の思想と感性が、当時広く共感を得ていたならば、自死は、もう少し先延ばしされただろうと思われる。そのように括られる時代がなかったからこそ、著者は〈風〉を織り込んで歌ったのだ(もちろん、わたしは“吉本隆明の時代”とも、ましてや“全共闘運動の時代”だったとも括りたくはない)。後段に、初期の作品を配置し、大部は作歌を再開した二年半の作品を「近似するテーマの一連」(「あとがき」)を分類して構成している。確かに、モチーフの多様さを、どこかで収斂させようとするならば、“仕事場”にまつわることであり、「副委員長」と題された一連の作品群に象徴されるもうひとつの後退戦の心象ということになるかもしれない。しかし、不思議なことに、これは短歌的膂力といっていいかもしれないが、著者の発語は、なんの外連みなく自分が立っている「現在」というものを鋭く撃っていると感じられて、わたしには鮮烈な印象を与えてくれるのだ。
 
 ブラインド一気に開く(黄昏だぁ)疎まれしかな「理論派」われは
 消費者を標的(ターゲット)と呼ぶ市場理論そのフレームごと気に喰わねえんだ
 自らを撃たぬ批評は何ならん真赤な柘榴の酸にむせびぬ
 会議果てて寄せ鍋つつく「まあまあまあ」今夜の俺は軟らかい牡蠣

 「黄昏だぁ」、「気に喰わねえんだ」、「まあまあまあ」といった内発する言葉たちは、現在の場所を見通すための視線の根拠だ。だからこそ「自らを撃たぬ批評は何ならん」といえるのであって、それはこの著者が「何事も一人で始め、持続して」きたことの証左でもあると、わたしはいってみたい気がする。
 歌集巻頭に配置された一連の作品は「二十五時」と題されている。吉本隆明が度々言及した二十五時間(目)という考え方に想を得ていると思われる。わたしなりに吉本の二十五時間(目)論を咀嚼して述べるならば、一日を二十四時間としてではなく、二十五時間として捉え、その二十五時間目に自分がなにをするか、あるいはなにができるのかということを問うことを意味している。

 加速する変化(へんげ)の芯を探しあぐねゆっくりと挽く夜のキリマンジャロを

 強いてくる時間性に、二十五時間目を自らに置くことは、もちろん困難なことに違いない。しかし、“ゆっくりと”キリマンジャロコーヒーを飲むことは、なによりも豊饒な二十五時間目だと、思う。
 岩田短歌の次なる段階を期待したい。

(『図書新聞』07.8.18号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年6月17日 - 2007年6月23日 | トップページ | 2007年9月16日 - 2007年9月22日 »