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2007年4月 6日 (金)

『秋山清著作集』(全11巻・別巻1)完結によせて(ぱる出版刊・06.2.10~07.3.20)

 後に吉本隆明が“詩的抵抗の最高の達成”と評した、戦時下の詩篇「白い花」をもつアナキスト詩人秋山清(一九〇四~八八年)は、長らくその著作の多くが品切れ絶版状態にあった。わたしたちは、主要著作を中心にした精選著作集を企画し、ほぼ一年間で全十二冊が、この三月をもって刊行、完結した。いま、いくらかの感慨を抱きながら、そのことを振り返ってみたいと思う。
 戦前から、詩人としてアナキズム運動に深く関わっていた秋山は、戦後、アナキストの共同的な場として結成された日本アナキスト連盟に参加、解散時まで精力的な活動を続けている。一方、金子光晴らとともに同人詩誌『コスモス』を創刊、終刊号の一〇一号は、「秋山清追悼特集」となった。また、戦後すぐに創刊した『新日本文学』に参加。党派的論理を背景にした文学活動に断固として否をとなえ、その間の総括として執筆した『文学の自己批判』は、スターリン主義的な表現統制に不満を抱いていた人たちの多くに共感を与えた。たぶん、誤解のないようにいえば、ここまでのイメージが、秋山清への主たる貌としてみることができるかもしれない。しかし、わたし(たち)は、いくらか違う相貌をもって、秋山清と交錯していた。既に、わたし(たち)の世代は、『新日本文学』の活動になんの思い入れもなかったし、出版した時点での衝撃性は認めるとしても、『文学の自己批判』に書かれていることは、当然のことであった。そのことで啓発されるということはなかったのだ。むしろ、六〇年代末の一連の反体制運動の渦中にあっては、『ニヒルとテロル』であり、『日本の反逆思想』であり、『竹久夢二』であった。戦前の抵抗運動のなかで、敗走した一群の若者達の叛逆的心情を、大きな視線を持って照射した二冊の著書は、いろいろな意味で、わたし(たち)の当時の感性を激しく揺さぶるものであった。そして、一方に抒情画家の評伝があることに、秋山清の思想の深さをみることができたのである。
 今回の、著作集の主旨としては、定本的な全詩集を編むことは当然としても、これらの著作を、現在のような情況の只中に提示したいということであった。
 わたしたちは、全十二冊に、秋山の仕事のすべてを収斂させたなどとは、思ってはいない。重要であると思えるもので、収録できなかったものは、数多くある。ともあれ、完結刊行した後の、わたしたちの仕事は、まだまだ山積してある。なによりも、まず、秋山の仕事を現在の場所から、もう一度、評価し直すことである。これはいくらでも声高に述べておきたいが、秋山の仕事は、過去の評価の俎上にだけあるものではない。現在へも連続して繋がって読まれるべきものであることを、いま、さらに強く思い至っている。現在、九条改憲とともに〈国家〉という亡霊は、いよいよもって強圧的になりつつある。三十数年前、秋山は次の様に述べていた。
 「軍は好ましからざる力、不可欠なもの、止むを得ない絶対の防備、という美辞麗句が氾濫しはじめている。そいつに国家存続のため、日本民衆のため、という掛け声が伴ないつつある。(略)そこに『国家』というものの、奇妙にふにゃふにゃとしてとらえどころもないくせに、近づくにしたがって強圧的な牽引力で民衆を吸収し拡大する(略)わからぬままにそれに組み込まれ、しらずしらずにその中の一員として発言している(略)私はこれが国家の呪縛というものではないか、と考えようとあせりつづけている。」(『著作集第4巻 反逆の信條』)
 秋山の文章が、秀でているのは、断定的な論旨を展開しないところにある。このように、ふと、読み手が引きずられるようにして、ひとつの瞠目すべき地平へと誘われていくのだ。だからこそ、いまこれを機に、多くの読者との出会いを渇望したい。

(『図書新聞』07.4.14号)

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