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2007年1月 1日 (月)

「つげ義春の現在(いま)」

 つげ義春は、寡作の漫画家として知られている。一九八七年に発表された「別離」という作品以後、漫画作品を発表していない。ちょうど二十年経ったことになる。ふつうは、新作を二十年間も発表しない作家や表現者は、忘れ去られていくものだが、つげ義春の場合は違う。その間、『つげ義春全集』(全八巻・別巻一)をはじめ数多くの作品集、著作が発行され、映画化された作品は五作品を数え、テレビでの映像化作品も数多くある。
 かつて、わたしに「なんだかマンガひと筋に打ち込めない何かがあるようで、マンガを描くために生きているんではないような、いつも半端な気持ちでいるので、何かあるとすぐやめてしまおうという考えになるんですね。(略)ですから腰を落ち着けてマンガひと筋という気持ちがいまだにないんですよね。(略)マンガが目的ではないから、いつやめてもいいわけですし、いつ休筆してもいいんですよ。」(「幻燈5号」・〇四年四月刊)とつげが述べたことがあるように、つげ本人にとって作品を発表しないということは、特別のことがあってのことではない。しかし、この二十年の間には、大きな出来事があった。九九年二月に藤原マキ夫人が亡くなったことだ。
 その後、数年間の著作としては、九八年から引き続きの企画として出された新潮文庫版の作品集『蟻地獄・枯野の宿』(九九年五月刊)と旧青林堂で刊行されていた作品集の再刊でもある『つげ義春作品集 ねじ式』(青林工藝舎・二〇〇〇年六月刊)の二点だけであったし、二〇〇〇年から雑誌「一個人」で「つげ義春さんが描いた漫画の中を歩く」と題されたシリーズのなかで、インタビュー談話が僅かに掲載されただけである。
 先に引いたつげの発言は、〇二年六月につげの公私ともにわたる最大の理解者・高野慎三との対談をわたしが司会をして行ったものだが、七時間にも及ぶ長時間のものとなった。つげにとってのマキ夫人の不在という〈空白感〉に対して、わたしたち外部のものたちが、あれこれなにかを出来るなどという思いあがった考えははまったくないつもりだ。だが、わたしは、これまでつげ作品から受けてきた多くの感銘と強い影響に対しての僅かばかりの“返礼”をなにかのかたちでしなければと、このとき思ったことは確かだ。山田勇男監督による映画『蒸発旅日記』の撮影が開始され、山下敦弘監督による『リアリズムの宿』の映画化が決まる。同年一〇月、嶋中書店から廉価版作品集が刊行される(全八冊―〇四年三月完結)。そういう時期に、カタログハウス社主の発案よって、ほぼ九年ぶりのオリジナル企画の著作『つげ義春の温泉』(〇三年一月)が刊行される。この本の進行にわたしが関わり、作品解説は高野慎三が執筆した。以降、講談社から、『初期傑作短編集』(全四巻)、『初期傑作長編集』(全四巻―〇四年二月完結)が刊行されていく。このような情況を“第三次つげブーム到来”と見られたかもしれない。
 しかし、またこの後、数年、現在までのところ、つげは表立った場に登場することもなく、著作も刊行されていない。
 以下、ここからはいくらか私事に絡めながら述べていくことになる。わたしは二十年ほど小さな新刊書店をやっていたが、〇四年三月をもって閉店した。しばらくして、つげは心配をしてわたしに電話をくれた。一時間以上は話したと思う。細やかな気遣いに、わたしはその時大いに励まされたといってもいい。直接、会うこともなく電話での遣り取りや手紙や賀状といった通交が続く。ところが、昨(〇六)年、三度ほど公的な場でつげと会う機会があった。一月、高野慎三がやっている北冬書房と書店兼文具店「いかるが」が、道路拡張のため移転を余儀なくされて、「万力のある家」として新オープンした日。三月、同所での高野の故・真美子夫人(マキ夫人と同年の三月逝去)を偲ぶ会、そして、九月は、うらたじゅん作品集『嵐電』の出版を祝う会。かつては、といっても十五、六年以上は経ってしまったが、北冬書房の忘年会や新年会には、たびたび出席することがあったから、気心が知れた人たちが集まる場所であればこそのことだ思う。つげから直接聞いたことであるが、同業者(つまり漫画家)同士の交流は意外にも、ないらしい。漫画家からの著作の贈呈はまったくないともいっていた。むしろ、つげには漫画家以外の人たちからの寄贈本が圧倒的に多いはずだ。ともあれ、高野慎三の北冬書房関係の作家とはいえ、同業者の出版を祝う会に、つげが出席したことは、これまでほとんどなかったはずだ。高野から後に聞いたことだが、つげにとって、うらたじゅんは一度会っておかなければならない人だったから出席したのだといっていたとのことだ。つげ作品に深い共感をもっているうらたじゅんにとって最高の僥倖の場になったといえる。ところで、わたしはその日、つげをほとんど独占するようなかたちで雑談を交わした。そのなかでひとつだけ印象に残ったことがある。「老い」と「身体」に関する問題についてである。そこで話題になったのが、吉本隆明著『老いの超え方』だ。表紙カヴァーに吉本が杖を突いて前かがみになって歩く姿の写真が掲載してある。つげはそういう写真を敢えて掲載した吉本に対して驚きを感じたそうだ。自分だったらどうするだろうかというのが、もしかしたらつげの思いだったかもしれないが、わたしは、そのことには触れなかった。むしろ書店でそれを見てつげが買い求めたことに対してわたしはある種の感慨をもったといってもいい。つげ義春の現在(いま)ということを考えることは、わたしたちの現在(いま)について想起することだと思う。誰にでも訪れる身体の確実な後退、そこで、いったい何がしかをどうなしうるかということを意味していると、わたしなら考えてみたいのだ。
 さて、つげにとって現在、唯一進行している営為がある。それは、北冬書房のWebsiteで「つげ義春旅写真(http://a.sanpal.co.jp/hokutoh/tsuge/)」の連載が始まったことだ。つげは以下のようなコメントを寄せている。
 「これまでに旅先で写した写真を(断続的になるかもしれませんが)ここに掲載することになりましたのでよろしくご高覧いただけると幸いです。ただし写真家のように表現を意図したものではないので、何も意味のない写真ばかりです。(以下略)」
 いまのところ福岡県篠栗霊場の写真(七〇年一〇月、七二年一月撮影)が、二〇点ほど、アップされている。つげは、「写真家のように表現を意図したものではないので、何も意味のない写真ばかり」だと謙遜して述べているが、そうではない。『つげ義春の温泉』に収録した未発表写真の時もそうであったように、そこに描出されている風景は、まぎれもなくつげ義春的風景なのだ。そう、つげ義春は、依然、わたし(たち)の前に、飄然と立ち続けているのだということをこの新しい試みで確認できるはずだ。(文中敬称略)

(『図書新聞』・07.1.13号)

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