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2007年4月30日 (月)

『秋山清著作集』をめぐって

 秋山清(1904~88年)は、戦時下に書かれた一連の詩篇「白い花」が、後に、“詩的抵抗の最高の達成”として吉本隆明に評価されたアナキスト詩人である。戦前から、アナキズム運動に深く関わっていて、46年6月、日本アナキスト連盟の結成に尽力し、機関紙『クロハタ』(後に『自由連合』と改題)には、68年末の解散時まで絶え間なく健筆を振った。また、あらたな民主主義文学の創造を旗印に創刊された雑誌『新日本文学』(45年12月)に翌春から参加するも、そこでの党派主義的運営に疑義を呈して、政治と文学の対立をめぐる位相を見事に切開した著書『文学の自己批判』(56年10月刊、秋山清名義としての最初の著書である)は刊行時、多くの共感を得た。46年5月、金子光晴、小野十三郎らとともに同人詩誌『コスモス』を創刊する。創刊同人のうちただ一人秋山だけが、最後まで『コスモス』に関わっていき、終刊号となった通巻101号(89年10月)は、「秋山清追悼特集」であった。これら、アナ連、新日文、コスモスが、秋山のいわば表舞台としての活動の場であったわけだが、もとより、秋山の営為は、その交流の幅とともに、より拡張された方位を獲得していくこととなる。60年安保闘争時、吉本隆明、埴谷雄高らとともに六月行動委員会に参加し、闘う。66年、ベトナム反戦直接行動委員会のメンバーによる軍需工場襲撃事件への支援は特筆すべきことだ。裁判支援のため、戦時下の作品が初めて詩集『白い花』(解説・吉本隆明「抵抗詩」)として編まれて刊行(自身二冊目の詩集にあたる)。ベ反委の衝撃的な行動は、その後の新左翼諸派の反体制運動、全共闘運動へと連繋していくものであった。そして、60年代末から70年代初頭にかけての反権力・反体制の大いなる渦動の中で、秋山清は、より多くの新しい読者を引き寄せていった。著作でいえば、幸徳、大杉以後の退行する戦前のアナキズム運動までも深く射程に入れて論じた『日本の反逆思想』(60年11月刊、68年4月新版刊)であり、大正期の労働運動社やギロチン社に集う人々の思考と方向の確かな反攻と抵抗のモニュメントを活写した『ニヒルとテロル』(68年6月刊)であり、そして漂流する抒情画家の評伝『竹久夢二』(68年8月刊)である。これらは、秋山の思想と表現の基層をなすものであり、さらにいえばわが国における自存する闘いの方途へと敷衍させてくれる重要な著作群だともいえる。だが、長らく、秋山清の著作は詩集を除けば、品切れ絶版状態にあった。
 わたし(たち)は、徐々に内閉しつつある現況に対して、すこしでも、通路を切開していくためにこそ、秋山の著作の数々を提示する必然に思い至ったのである。過去の著作をただ遺産のような想いで刊行するといった考えは、初めからわたし(たち)にはない。未知の読者が手にとって、そこに記されている秋山のセンシブルな言葉、文章が、現在においても際立って切迫してくるはずたという確信をもっていたからこそ、著作集の刊行を企図したのだといってもいい。
 いま、全巻完結して、わたし(たち)は、安逸な想いに浸ってはいない。これから、秋山の仕事を、現在という場所から、あためて評価するという大事な作業が眼前にあるからだ。

(「日本の古本屋メールマガジン・54号」07.4.25)

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2007年4月 6日 (金)

『秋山清著作集』(全11巻・別巻1)完結によせて(ぱる出版刊・06.2.10~07.3.20)

 後に吉本隆明が“詩的抵抗の最高の達成”と評した、戦時下の詩篇「白い花」をもつアナキスト詩人秋山清(一九〇四~八八年)は、長らくその著作の多くが品切れ絶版状態にあった。わたしたちは、主要著作を中心にした精選著作集を企画し、ほぼ一年間で全十二冊が、この三月をもって刊行、完結した。いま、いくらかの感慨を抱きながら、そのことを振り返ってみたいと思う。
 戦前から、詩人としてアナキズム運動に深く関わっていた秋山は、戦後、アナキストの共同的な場として結成された日本アナキスト連盟に参加、解散時まで精力的な活動を続けている。一方、金子光晴らとともに同人詩誌『コスモス』を創刊、終刊号の一〇一号は、「秋山清追悼特集」となった。また、戦後すぐに創刊した『新日本文学』に参加。党派的論理を背景にした文学活動に断固として否をとなえ、その間の総括として執筆した『文学の自己批判』は、スターリン主義的な表現統制に不満を抱いていた人たちの多くに共感を与えた。たぶん、誤解のないようにいえば、ここまでのイメージが、秋山清への主たる貌としてみることができるかもしれない。しかし、わたし(たち)は、いくらか違う相貌をもって、秋山清と交錯していた。既に、わたし(たち)の世代は、『新日本文学』の活動になんの思い入れもなかったし、出版した時点での衝撃性は認めるとしても、『文学の自己批判』に書かれていることは、当然のことであった。そのことで啓発されるということはなかったのだ。むしろ、六〇年代末の一連の反体制運動の渦中にあっては、『ニヒルとテロル』であり、『日本の反逆思想』であり、『竹久夢二』であった。戦前の抵抗運動のなかで、敗走した一群の若者達の叛逆的心情を、大きな視線を持って照射した二冊の著書は、いろいろな意味で、わたし(たち)の当時の感性を激しく揺さぶるものであった。そして、一方に抒情画家の評伝があることに、秋山清の思想の深さをみることができたのである。
 今回の、著作集の主旨としては、定本的な全詩集を編むことは当然としても、これらの著作を、現在のような情況の只中に提示したいということであった。
 わたしたちは、全十二冊に、秋山の仕事のすべてを収斂させたなどとは、思ってはいない。重要であると思えるもので、収録できなかったものは、数多くある。ともあれ、完結刊行した後の、わたしたちの仕事は、まだまだ山積してある。なによりも、まず、秋山の仕事を現在の場所から、もう一度、評価し直すことである。これはいくらでも声高に述べておきたいが、秋山の仕事は、過去の評価の俎上にだけあるものではない。現在へも連続して繋がって読まれるべきものであることを、いま、さらに強く思い至っている。現在、九条改憲とともに〈国家〉という亡霊は、いよいよもって強圧的になりつつある。三十数年前、秋山は次の様に述べていた。
 「軍は好ましからざる力、不可欠なもの、止むを得ない絶対の防備、という美辞麗句が氾濫しはじめている。そいつに国家存続のため、日本民衆のため、という掛け声が伴ないつつある。(略)そこに『国家』というものの、奇妙にふにゃふにゃとしてとらえどころもないくせに、近づくにしたがって強圧的な牽引力で民衆を吸収し拡大する(略)わからぬままにそれに組み込まれ、しらずしらずにその中の一員として発言している(略)私はこれが国家の呪縛というものではないか、と考えようとあせりつづけている。」(『著作集第4巻 反逆の信條』)
 秋山の文章が、秀でているのは、断定的な論旨を展開しないところにある。このように、ふと、読み手が引きずられるようにして、ひとつの瞠目すべき地平へと誘われていくのだ。だからこそ、いまこれを機に、多くの読者との出会いを渇望したい。

(『図書新聞』07.4.14号)

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