« 2006年6月18日 - 2006年6月24日 | トップページ | 2006年7月16日 - 2006年7月22日 »

2006年6月28日 (水)

「秋山清紀行 6」

 戦前、多くの詩誌に参加し、戦時下では木材関係の業界紙にいたことがある秋山は、雑誌や新聞の発行のために執筆・編集ばかりではなく、付随する様々な業務を当然のこととして、労を厭わなかった。秋山は、漫然とした書き手でいることをよしとしない。だから、率先して自分の関わる誌紙の裏方的な仕事もこなしていこうとする。戦後、秋山は、『新日本文学』、『コスモス』、『自由連合』を活動の中心としたが、どの場所でも、ただ文章を書いて、それが発行されるのを待っているといったスタンスはとらない。編集・校正から、印刷所や紙問屋との交渉など、発行継続に必要な仕事をよく知っていたから、それを自分の仕事として引き受けてやっていたようだ。これは、よくいわれるように、秋山がもっている粘り強さからくるものだが、「本性ではなく、彼の経験のたまもの」だと捉えたのは金子光晴であった。金子はそんな秋山をゴムのような伸縮自在性にからめてゴムさんという仇名があることを述べている。『自由連合』の校正を印刷所で秋山一人が黙々とやっていたというエピソードがある。アナ連機関紙(月刊)発行の裏方的仕事が秋山一人だけに負荷されていたとは思わないが、持続性を矜持とする秋山らしい伝聞だと思う。 

(「秋山清ワールド・秋山清著作集Website」、『図書新聞』06.7.1号)

| | コメント (0)

2006年6月26日 (月)

松岡祥男 著『猫々堂主人―情況の最前線へ』(ボーダーインク刊・05.8.24)

 松岡祥男の名を初めて知ったのは、吉本隆明の雑誌「試行」に掲載された「同行衆通信」の広告であった(しばらくして、わたしは直接購読をした)。その後、わたしも執筆参加していた『夜行』に「『昭和ご詠歌』ノート」という卓抜なつげ忠男論を発表して、ある種の親近感を抱いたことを覚えている。いまから、二十年以上前のことだ。第一評論集『意識としてのアジア』(一九八五年刊)で、はじめてまとまったかたちで松岡の論稿に立ち会って以来、わたしはなんの予見もなく、さらに親近感を抱きつつ、いつも刺激を受け、啓発され続けてきた。わたしなど、いつもどこかで妥協し、あるいは途中で投げだしてしまうような事柄を、松岡はいつも真摯に徹底的に対象化し、解析しているのだ。その膂力にただ感嘆する以外、わたしにはない。その松岡の徹底した視線を引いてみる。
 「東アジアでは歴史観や境界線をめぐって、国家利害が露出しており、それをそれぞれが皮相なナショナリズムへ吸引しようとしている。国家は幻想だ。そして、境界線上の土地は国家の領土である前に、地域住民の生活の場としてあるのだ。人々の存在より、国家が先行することなどあり得ない。それは明らかな逆立ちだ。わたしたちは国家が無くても、ふつうに暮らしてゆけるのだ。これが普遍的な原理である。(略)
 わたしはテロに批判的であるように、戦争に反対である。わたしは国家の動向に迎合しない。(略)わたしたちの人生は、必ず、国家という歴史的な制約も、天皇という土俗的な宗教性も超えた、実存の構造を持っている。それはかけがえのないものだ。時代の病理的趨勢に取り込まれることなく、できれば、おおらかに生きることだ。」(「情況の最前線へ」)
 わたしのこれまでの国家や天皇制をめぐる思考が、どこか暗渠に陥ったような状態を強いられる時、松岡のこのような視線は、真っ先に空隙を開けてくれるものだ。「国家が無くても、ふつうに暮らしてゆけるのだ」という確信、「時代の病理的趨勢に取り込まれることなく、できれば、おおらかに生きることだ」という姿勢、どれも「同行衆通信」以来、松岡の変わらぬ立ち位置を表明しているものだ。
 本書は、この書下ろしの論稿「情況の最前線へ」を巻頭に配置し、多彩な書物を鋭利に渉猟していく「読書日録」と、「同行衆通信」で多くの読者を魅了した対話形式の情況論は、「詩の雑誌 ミッドナイト・プレス」で引き継がれ連載されていたが、その「酔興夜話」が収められ、そして巻末に、吉本隆明との対談二本(「テレビはもっと凄いことになる」、「宮沢賢治は文学者なのか」、ともに単行本未収録)と詩人・山本かずことの対談が置かれている。
 「読書日録」では、大島弓子の『グーグーだって猫である』や村上春樹の『海辺のカフカ』が、縦横に論じられ、「同行衆通信」の主宰者・鎌倉諄誠や吉本隆明研究の第一人者・川上春雄の死への愛惜溢れる文章群が綴られ、そして、もちろん吉本隆明に論及したものも多く収載されている。
 なによりも、松岡の先鋭性と徹底性を象徴する、猫々堂主人とパラノ松岡という「猫」と「松」の架空対話形式の情況論「酔興夜話」はどれも刺激的だ。例えば、このように。
 「このあいだの中東湾岸戦争をめぐっての、柄谷行人一派の文壇政治の猿芝居も、クソ馬鹿の藤井貞和や瀬尾育生らの論争も、こんなものにつきあっていたら、下痢するだけだ。藤井貞和は『吉本隆明依存症』という珍奇な病名を編み出している。それはこの男がずっとスターリン主義を補完してきた左翼反対派に留まり、大学教授という安全地帯にいるからだ。一度も本気で抑圧左翼と対決したこともなく、自分の足場を疑うこともなく、バランス主義で情況をすり抜け、貧乏な寄り合い所帯の詩の業界といびつな学界を渡ってきただけだ。そんなことは、この男のつまらない詩と半端な批評を読めば、すぐにわかることだ。」
 わたしはかつて、多少、藤井と近接の間柄であったことがあるだけに、松岡のこの激しい指摘を否定するだけのものをじぶんのなかに持っていない。ただ、首肯するだけだといっておこう。
 さて、最後に書名に触れておく。松岡は、二〇〇〇年から独力で、『吉本隆明資料集』を発行し続けている。第一期が「鼎談・座談会篇」、第二期が「『試行』全目次後記集、復刻版」、そして第三期は第42集から「初出・拾遺篇」を継続発行中である。この『資料集』の発行所名が「猫々堂」なのである。だから、書名が『猫々堂主人』となるわけだ。だが、しかし、わたしは、松岡が最高に支持し続けている漫画家・つげ義春の作品「ゲンセンカン主人」や「やなぎ屋主人」を想起したであろうことを断言しておきたい。

(『図書新聞』05.10.15号)

| | コメント (1)

« 2006年6月18日 - 2006年6月24日 | トップページ | 2006年7月16日 - 2006年7月22日 »