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2006年6月17日 (土)

ベナサジャグ/ストゥルヴァルク 著・松本潤一郎 訳   『反権力―潜勢力から創造的抵抗へ』(ぱる出版刊・05.4.1)

 この本に関わって、わたしはいくつかの鮮烈な感受を抱くことになった。それは、アクティビティが生起する初源的な〈力〉の可能性ということであり、また、アクティヴであり続けるということは、運動(あるいは思念)の拡張と連携を必ず呼び起こすものだということであった。
 〈反権力〉といういってみれば、刺激的な表題からイメージされるものは、わたしたちの文脈から類推する表層的な権力論と、いくらか違う位相をもっている。それは、著者たちが想起している基底に、〈抵抗としての反権力〉というムーブメントが絶えず内在しているからだ。著者たちが本書を著わすことになった契機をみれば、了解できることでもある。それは、こういうことだ。
 メキシコ政府がアメリカとの経済統合をおしすすめていくなかで締結した「北米自由貿易協定(NAFTE)」がまさに発効されようとする一九九四年一月一日に、メキシコ東南部チアパス州で「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」が大規模な武装叛乱を起こして、チアパス州の多くの村を自主管理していったのだ。メキシコの人口の25パーセントを占めるといわれている先住民族は、長いあいだ底辺的生活を強いられてきた。サパティスタ革命軍は、彼らの権利を快復するために決起したのだ。そして、当時、彼らの抵抗運動はソ連邦崩壊以後、はじめて顕現した旧来の伝統的な反体制革命運動・反資本主義闘争を揚棄したものとして、世界規模で衝撃的に受けとめられ、多くの識者たちに支持されたものだった。
 「ここ数年、また世界の未だ少しではあるがあちこちで、われわれは『踏み越え不可能な地平』としてのネオリベラリズムを峻拒する広大な運動の、多様な形態の下での出現を目撃している。
 われわれにとってのこうした反攻の出現の象徴でありメモリアル的でもある日付は、サパティスタ革命軍がチアパスのメキシコ領土内にあるラス・カサスの都市サン・クリストバルを占拠した、一九九四年一月一日に定められる。これを契機として、またこの運動から出発して、オルタナティヴな言説と実践が注視されることになったのである。」(17P)
 本書の著者たちもいうように、サパティスタ革命軍による「オルタナティヴな言説と実践」は、はじめての反グローバリズムを標榜した運動として認知され、また、「山中の拠点から、VHFトランシーバーを使ったパケット通信のインターネットを通じ、世界中の支持者に電子メールで情報交換し」(田中宇「メキシコを動かした先住民の闘い」)広報活動を展開したことでも、これまでにない形態の抵抗運動であった。さらに、チェ・ゲバラの再来といわれた副司令官マルコスがとった方法は典型的な左翼ゲリラ戦術でもあった。
 本書の共著者ストゥルヴァルクはゲバラの研究者でもあり、本書の中で、第十章「反権力」に「『チェ』のゲリラ」という項目もある。
 さて、著者たちが指向してやまない反攻へのための起点は、オルタナティヴな場所でありながら、論述の方位は、フーコーであり、ドゥルーズであり、当然、ネグリへの親近性などがみてとることができる。そして、基層にはスピノザがあるのだ。だが、彼らの思考は揺るぎない視線から発せられている。
 「支配されることによる『悲しみ』を踏み越えてゆく諸々の方途を探求しかつ見出すような多数の人々のためのアソシエーションを目指すことである。われわれはこの書物を書く。それは『行動の管理』とみなされた理論としてではなく、『創造としての抵抗』に貢献する補助的な一理論としてである。」(15P)
 ネグリ/ハートの『帝国』で提起されたマルティチュード(多数多様性)の継承がここでもなされていく、ただし、アルゼンチン生れのふたりの著者たち(ベナサジャグは当時の独裁政権によって七〇年代末まで投獄され、その後、パリに在住している)が、想起する地平は、あくまでもローカルポジションやマイノリティからの発信である。そしてなによりもアクティビティと思われるのは、自著を「『創造としての抵抗』に貢献する補助的な一理論」と規定するところだ。高みからの原理論をふりかざすのではなく、「抵抗の所在」を模索していくものとして、本書を位置づけているところに彼らの本領があるといっていい。それは、ドゥルーズを援用しながら、展開していく「反権力のリゾーム」といった独特な基軸にもいえることである。
 「われわれが『反権力』と呼ぶものは『権力に対する』運動ではなく、むしろ権力の論理の『彼方』にある。反権力とは、われわれが手にしている潜勢する力能が、われわれが生存し、順応している唯一の場から各々の状況において、変化への必要諸条件を創造するということだ。」(14P)
 「無数の連帯と集団がここかしこで開花し、真のネットワークを、権力への問いを脱中心化し、とはいえそれを否定するのではないような新たな転覆的主体性のただ中において『反権力のリゾーム』を展開させる。」(18P)
 「権力はその中央権力的バージョンにおいては常に空虚な場であり、その諸力とはただ、基盤にある潜勢力によって構造化された『ミクロの権力』の夥しい諸関係がこの空虚な場にもたらすことのできる諸力であるにすぎない。」(85~86P)
 これらの、鋭角的な論述にみられる視線は、〈権力〉に孕まれている多様な諸力を削ぎ落とすことであり、運動論的には、主導していく側が抱えこむことになる革命的権力をも脱化することでもあるのだ。
 九〇年代、敗走していったとみなされた革命戦略としてのロシア・マルクス主義を通して、すべての反資本主義闘争の無効化が喧伝されている現在、ベナサジャグたちの著書は、鋭利にこの情況を切開していくものだといっていい。
 ところで、わたしと松本勲は、共同執筆で「編集者のあとがき」というものを本書に付している。
 「本書の基本的テーマは二つのことに絞られる。ひとつは古典的革命戦略を離れ、かつそれを脱中心化すること。もうひとつは、状況そのものが文字通り〈要請〉する様々な課題をどのように見、そしてどのように問うかといった、いわば新たなる実践的視座を獲得することである。(略)むしろ注目しなければならないのは、この書が完結した分析や『表象的』理念によって構成されているのではなく、実践的な要請にもとづいた『問い』と『鍵』の提出を通奏低音としていることである。(略)権力奪取の放棄、モデルなき闘い、革命的前衛の拒否、グローバリズムに対するローカリズムへの執着、そして反権力の『政治』。切子細工を容器の内側から眺めるようなそうした煌きがこの書には確かにある。」(215~216P)
 もちろん、これ以上のことを本書に対して付言するつもりはない。

(『図書新聞』05.5.28号)

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2006年6月15日 (木)

日本アナキズム運動人名事典編集委員会 編      『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版刊・04.4.20)

 日本における「アナキズム」あるいは、「アナキズム運動」とは、何であったろうかと考えてみる(いや、何か、というふうに本来なら現在的に考えるべきかもしれない)。
 誰でもが真っ先に、幸徳秋水、大杉栄に代表される明治期・大正期の思想家・革命家像というものを思い描くに違いない。明治天皇暗殺を企図したとされる大逆事件の首謀者とみなされた幸徳、関東大震災時の混乱を利用して虐殺された大杉というこのふたりの革命思想家の死がもたらした衝撃性は歴史のなかに明確に刻印されている。そのことが、わが国の「アナキズム思想」や「アナキズム運動」のその後の展開に大きな影響を与え続けてきたのは確かだ。だが、それは、いってみれば足枷のように思想というドグマを発生させて、戦後のアナキズム潮流に停滞と退廃をきたしたともいえる。
 人間の存在を絶えず抑圧する装置としての国家やそれに恒常的に張り付く権力に徹底的に抗し、思想を優先させるのではなく、生活の根源的な所在を希求していこうとする、「アナキズム」という思考方法は、なんの衒いもなくいえば、多くの人たちの好感を得てきたはずだといっていい。だが、結局、「アナキズム運動」といった凝縮したかたちをとりえず、広く社会運動(あるいは社会主義運動)全般のなかに埋没していってしまったのだ。そのことには、いくつかの理由をあげることができると思うが、アナキズムに内包する余りにも直接的な反権力・反組織指向に起因するともいえるし、アナキズムの訳語が「無政府主義」としたことによって、その苛烈性が直接行動・テロリズムといった位相を仮想させたことにもよるといえよう。そして、思考の苛烈性、過激性は、逆に反動として一部のアナキズム・セクションをディレッタントなサロン集団にしていってしまったということもまたいえるはずだ。
 そして、いま六年余りの年月をかけて、『日本アナキズム運動人名事典』が、このほど刊行された。“人名事典”ということ、アナキストではなくアナキズム運動という視点、このことだけでも本書刊行の衝撃度はある意味、大きいともいえる。幸徳・大杉以後の「アナキズム」の思考と方法の所在を俯瞰しうる時間性を果たして提示しえるのかという疑問や疑念は誰でもが抱くはずだ。その困難な作業を、すくなくとも想像しうる限り、遺漏のない、精度ある“完全な”事典などというものは望むべきではない。にも関わらず、この九〇〇頁近い大冊には、まぎれもなく、多くの反抗と信念と真摯な生き方をした人々の膨大な累積がある。いわば、こうした膨大な累積は、アナキズム・セクションだけに内閉させるべきではなく、もっと広大な思想の海へと押し広げていくべきだといってみたい。
 だからこそ、本書を眼前にして、わたしは、やはりどうしても、「アナキズム」とは何かということに改めて拘泥せざるをえない。そして、ふたつの論述をこの事典に対置させたい欲求を抑えることができないのだ。
 ひとつは、いまから三十五年ほど前の著作で内村剛介が、「アナキズム」について論述したことだ。
 「『政府』イコール『国家』イコール『くに』といった具合にきわめて手軽に観念が短絡するわがくにの民俗にあっては、『無政府主義』という杜撰な訳語が一般に『くに』に対する反逆のイメージを喚起したことはたしかだろう。そうだとすれば、無政府主義は日本人の日本人としての存在の根元を無視する反秩序の無頼ぶりであるということになる。アナーキズムは抑圧の権力に対抗するものであり、その限りにおいて政府も国家も敵として登場するのであって秩序そのものを敵視するものではない―という正当な了解が、『没権力』『否権力』に代って『無政府』という語が現れたときに失われたのだ。(略)われわれは始原は一つ、原点は一つ、というあちらの風土生まれの思想に挑戦することによってわれわれのアナーキズムをつくるべきか、それとも、ついにアナーキズムのエピゴーネンに終るかを考量しなければならぬときにさしかかっているのではないか。」(「わが風土」・評論集『わが思念を去らぬもの』・所収)
 「われわれのアナーキズム」という内村の提示は、重い。わが国の、特に戦後の「アナキズム運動」は結局、エピゴーネンから抜け出すことができず、その思想的な内閉へ向かっていったからだ。もちろん、「われわれのアナーキズム」を模索する動きがないわけではない。それがもうひとつの論述だ。二〇〇一年に創刊された雑誌『アナキズム』(『アナキズム』誌編集委員会・発行、ぱる出版・発売)の「発刊に際して」で、次のように主張する。
 「十九世紀において、社会構造、人間の社会的諸関係そのものの変革を企図する、まさに革命思想として花開いたアナキズムは、その後アナキズム運動内に様々な潮流を生んだ。それ以降は運動論や組織論、果ては人間社会に対する認識の仕方等々の差異や位相の違いから、良くも悪くも『思想としてのアナキズム』が内包する多様性に対する寛容さを損なわせ、『自由、平等、友愛』という理念に対する忠実さを競うことが、変転してセクト間の争いへと転化してしまった歴史であるとも言える。(略)その意味で誌名を『アナキズム』と付けたのは不適切かもしれないが、我々を取巻く諸権力の解体を従来の古典的枠組みからはみだすような形で追及する試みが必要であるというのが我々の共通認識であり、また唯一の共通テーマでもある。」(「アナキズム」・第一号、二〇〇一年十二月刊)
 「我々を取巻く諸権力の解体を従来の古典的枠組みからはみだすような形で追及する試みが必要」だとする指向は、いわば「われわれのアナーキズム」を模索することでもある。さらに、「『思想としてのアナキズム』が内包する多様性に対する寛容さ」という時、それは、そのまま本事典の主意に連鎖していくものだ。
 本事典の「まえがき」では、「アナキズム運動なる概念の外延を最も広く設定する。」、「アナキズム運動との関わりをクローズアップする。」という主意が述べられている。「多様性に対する寛容さ」は、そのまま〈思想としてのアナキズム〉の内実を問うことでもあり、それが収録人名三〇〇〇余名という膨大さに表われているといってもいい。権藤成卿、橘孝三郎といった、これまでのアナキズム思想史には入らなかった思想家から、石井恭二、岩淵五郎といった出版人、埴谷雄高、高橋和巳といったアナキズム的理念を文学方法とした作家までと、確かに外延は「多様性」をもっている。そのことが本事典の出色さを示すものであり、既知の「社会(主義)運動事典」の類書を超えたものになっているといっていいと思う。

(『図書新聞』04.5.29号)

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2006年6月14日 (水)

山口健二遺稿集『アナルコ・コミュニズムの歴史的検証』(北冬書房刊・03.9.13)

 山口健二の名は、ある種、伝説化した物語を付随して響かせていた。物語は、当然のごとく〈反権力〉、〈反体制〉運動といった磁場のなかからものだ。山口は、戦後すぐに、第一次アナキスト連盟へ参加、アナ連を離れた後、社会党と共産党に二重加盟そして除名。六〇年は谷川雁らの「大正行動隊」に参加して三池闘争を支援。六二年、吉本隆明、埴谷雄高、谷川雁らを講師とした「自立学校」に関わる。六五年、松田政男らと「東京行動戦線」を結成。六六年、「ベトナム反戦直接行動委員会」に関わる。その後、レボルト社を設立して『世界革命運動情報』を刊行、ML派に加盟、東大安田講堂攻防戦に関わる。そして、中国へ渡り、文革左派に参加し、林彪事件に連坐、投獄される。こうして、時間性にそって素描したところで、山口の像はつかみきれるわけではない。
 七〇年以後十数年ほど、山口の消息を聞かなくなった。そのことも伝説化した一因である。八〇年代後半から亡くなるまでは、一貫して、〈アナキズム〉に関わっていくことになる。本書は、遺稿集にして、山口の初めての著作でもある。五〇年に発表した文章から、九八年に発表した文章までと、ほぼ山口の活動の幅を包括させるかたちで編まれている。
 Ⅰ、Ⅱ章に配置された文章群は、やや啓蒙的なものを、Ⅲ章は情勢論や追悼文といったものが収められている。
 書名にとられている「アナルコ・コミュニズムの歴史的検証」と「アナキズムからみたスペイン革命小史」は、刺激に満ちた論稿だ。既知の事柄にもかかわらず、山口の〈歴史的検証〉の手さばきはあざやかだ。
 一九〇五年前後のロシア・アナキズム運動から一七年十月革命以降までを射程に入れた「アナルコ・コミュニズムの歴史的検証」は、レーニンの革命論(それは当然、国家、党、権力の問題にかかわることだ)とバクーニンの苛烈な革命主義の徹底した分析が主題になっているといってもいい(残念ながら、この論稿は未完だ)。例えば、このように。
 「レーニンにしつこくこだわる。アナキストにとって不倶戴天の敵であったレーニンの思想と人間を究明することが、アナキズム―とくにアナルコ・コミュニズムとその主柱となったバクーニン主義の究明に不可欠だと思われるからだ。」(39P)
 山口の考えは、〈党〉の問題を除外すれば、その著『国家と革命』がテーゼとしているものは、コミューン主義でアナキズム的だというものだ。アナルコ・コミュニズムは「過度期論として『パリ・コミューン主義』を継承し」ているとして、レーニンの過度期国家論(半国家論)は、パリ・コミューンに通底していくと捉える(31P)。わたしは、このような見解にそれほど異和は感じない。だが、最も大きな問題は、権力(前衛党の問題も当然含まれる)をどう無化していくかということだと思う。その問題こそ、アナキズムが最もアクチュアリに表出する場所なのだ。過度期論の定立は政治的権力の有効性の是認であり、その限りでは、権力の無化へと向かうプロセスは眺望できないとわたしなら考える。山口は、アナキズムもマルクス主義もその教条性や原理主義にからめとれて、退行化していく様を体験的に知っていた。だからこそ両方のプラス面を補完し、止揚していくかたちの思考を模索していた。アナキズムではなく、アナルコ・コミュニズムと規定したのもそのためだ。山口の鋭利な分析は、どうしても情勢論的なものを払拭できないでいると、わたしは思う。つまり、もっと〈情勢〉や〈情況〉にからめとられることなく自由に振る舞える場所から思考は、表出されべきなのだ。山口は、「全共闘、新左翼党派、武闘中心主義が行きつくところ、日本などすぐはみ出して、ゲバラ主義から中国文革運動参加へのめりこみ、惨憺たる敗北に行き着」(203P)いたと自戒を込めて述べている。そうだろうか。どうして、なにをもって「惨憺たる敗北」といいきってしまうのだろうか。これも、情勢論的ものいいだと思ってしまう。
 「アナルコ・コミュニズムの歴史的検証」や「アナキズムからみたスペイン革命小史」といった刺激的な論稿を展開できる人が「惨憺たる敗北」といってはならない。
 「ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる/ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる/ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」(吉本隆明「ちいさな群れへの挨拶」)
 この詩を、「いつも心奪われる表現のひとつだ」(199P)と山口健二はいう。 
 一九九九年六月十二日逝去。享年、七三歳だった。

(『図書新聞』03.11.15号)

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2006年6月13日 (火)

木村哲人 著『増補新版テロ爆弾の系譜―バクダン製造者の告白』(第三書館刊・05.7.1)

 爆弾によるテロルが、いまほど止むことなく生起している情況はないだろう。それぞれに生起する所以は確かに理解できないわけではない。大国支配に対する抵抗、民族対立、宗教対立、政治イデオロギー対立等々。そして、イラクやパレスチナでの自爆テロは悲痛ですらある。わたしは、善悪でこれらのことを断じるつもりはまったくない。しかし、9・11テロに象徴される「無差別テロ」を考えるとき、行為者の思念と感性にあるだろうわずかな襞のような隙間にいくらかの言葉を投げ掛けたい気持を、わたしは抑えることができない。
 未明のロシア革命時に時の皇帝権力へ、あるいはボリシェビキ政権への爆弾によるテロルを敢行した一群がいた。それがナロードニキ・テロリストたちだ。彼らはあくまでも焦点とする敵のみへのテロル敢行であった。巻き添えや無差別被害を極力避けていた。つまり、本書の著者もいうように、「心やさしきテロリスト」たちだった。
 「幼いころから、武器のメカニズムに興味をもっていた(略)わたしは小学生のころピストルや小銃の解説書や、カタログを集めていた。」(19P)
 著者・木村哲人は、そんなふうに述懐しながら、自らの来歴を語り、その「自叙」のなかに、「テロ爆弾の系譜」を重ねあわせて著わした本書にはいくつかの貌がある。もちろん、主眼は現実的なテロ事件の実際への共感と反感である。そして、反抗心や政治理念との距離感をもった爆弾マニアであることを自称しながらも、著者の思いは、次の様な一節に収斂されているといっていいだろう。
 「今も毎日のように、世界のどこかで爆弾テロは発生しているが、彼らに〈心やさしき人びと〉とよばれたテロリストの栄光はない。(略)キバリチッチに鯉沼九八郎に、ソフィアに、管野すがにあったロマンは跡形もない。ただ無差別の、寒々とした爆弾犯人の狂気だけが吹き荒れている。」(232P)
 キバリチッチは、ロシア・人民の意志党に所属した手投弾の開発者であり、ソフィアは“心やさしき”ナロードニキ・テロリストだ。鯉沼九八郎は、わが国で初めて爆裂弾が使用された、自由民権運動末期の苛烈な抵抗としてあった加波山事件に関わった人物であり、管野すがはいわずと知れた「大逆事件」の首謀者として刑死している(著者は、宮下と管野が作ろうとした爆弾は、たんなる玩具花火程度のものだったと主張する。なぜ暗殺手段の稚拙さをもっとこの事件のフレームアップの主意として指弾しないのかと憤怒している。そのことには率直に同意したい)。著者の彼ら・彼女らへのロマンの託しかたが、本書を仰々しさから解きほぐしている。非党員でありながら、戦後の一時期、軍事路線を遂行していた日本共産党の軍事研究員として爆弾開発をしたというエピソードは、スリリングな描写とともに、イノセントな爆弾マニアの〈像〉を見事に「自叙」している。また、明治期、鯉沼の妻・時子を取り調べた裁判長が、著者の曾祖母の父にあたる飯田恒男という人物であった。鯉沼の爆弾作りに協力していた時子からその方法を取り調べに乗じて聞いた飯田は、代々子孫にそのことを伝えていくように命じたというのだ。飯田から子孫である著者までが、いわば、もうひとつの「テロ爆弾の系譜」ということになる。本書が、いくつかの貌をもっているといったのはそのためだ。こうして、書名の直截さは、ある種の重層さをもった「読み物」性を醸し出している。それは、著者が映画やテレビの録音技師としてあったことと無縁ではないはずだ。
 本書は、一九八九年、三一書房から出版されたものの増補版である。著者と一緒に仕事をし、出版の労をとった大島渚の「録音と爆弾の間」という序文が付されている。一九三三年生まれの著者は、昨年二〇〇四年に逝去している。
 最後に、ひとつだけ付言したいことがある。録音技師としての仕事のなかから生れたであろう多くの著作のなかで『音を作る』というのがある。これは、三谷幸喜監督作品で評判となった映画『ラヂオの時間』のモチーフになっていて、著者自身が効果音監修者として参加している。

(『図書新聞』05.11.19号)

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2006年6月12日 (月)

長崎 浩 著『動作の意味論―歩きながら考える』(雲母書房刊・04.12.25)

 「運動」や「行動」ではなく、「動作」である。そのことが、まず重要な事がらだ。わたしたちの誰にでも「老い」はやってくる。そしてかならず、「死」を迎えることになる。ここでいう、「動作」とは「生き(てい)る」ということと同義だとわたしなら考える。「病」や「老化」によって身体の不備が生起する時、ひとはどんなことを思うのだろうか。「健常者」とそうでない者との違いはなんだろうかとも思う。確実に差異を認めざるをえないのは、「動作」の困難さだといってもいい。
 「動く身体とは、何よりも日常の動作として、私たちの生活に普遍的現象である」(1P)と著者はいう。
 そうではあれば、「病」や「老化」によって生起する事がら、つまり、困難な動作や所作を克服(こういういいかたは、実に皮相なことかもしれない)していくためには、どう考えていかなければならないのかということが、切実なこととしてせり上がってくるはずだ。
 六〇年代末、全国大学闘争高揚期、『叛乱論』という衝撃的な著書で登場した長崎浩(誤解を招かないように付言すれば、長崎はまぎれもない六〇年安保闘争世代である)は、以後、八〇年代にいたるまで、政治思想情況にコミットした論述の担い手だった。少なくとも、わたしの拙い情報摂取の仕方では、九〇年代以降は、環境問題や福祉医療の分野における仕事が際立っているような気がする。本書もまた、「リハビリテーション」研究の延長線上にあると理解できるが、「動作」の“意味”を問う本書は、既知のリハビリテーション医療という枠組みを解体した先を見据えているといっていい。
 いくつかの記述に、著者独自の思考の航跡が窺える。例えば、次のように。
 「(略)人間の身体運動のうちで動作は際立って普遍的な現象である。生きるとは何よりも動作することだからだ。(略)日常動作の遂行パターンは、人類史を通じた行動進化の淘汰を受けてきた歴史的な結果であるかもしれないのである。」(74~75P)
 「直立二足歩行は人類の定義であるとおり、これには何百万年もの歴史があるユニークな生物的現象である。(略)人間はなぜこのような歩き方をするようになったのか、という生物学的な問いが立てられなければならない。これが『起源の物語』の問いであり、生理学や生体力学など物理化学的な説明の仕方をすることができない問いである。」(93P)
 多くの身体論は、心身二元論に基づく科学的分析であったり、「動作」という人間のプリミティブな動きの問題点を身体運動論総体のなかに埋め込んでしまっているという疑義が著者にはあるのだ。それが、「起源の物語」を問うという刺激的な動作の意味づけの論拠でもある。こうもいう。
 「日常動作から色や匂いや重さを剥ぎ取ることはできない。(略)一般に、見る、触る、聞く、味わうなど、いわゆる知覚動詞は日常の基本的な言葉であり、同時に、(略)見る、触ることが、すでにすなわち動作なのである。」(160P)
 著者が目指すのは、現在という場所から、あえて人間のプリミティブな有り様を問うことでもあるといっていい。しかし、それは安直な時間性の遡及を意味しているわけではない。人間の身体にとって、何が健常で、何が障害の表徴なのかという差異は、動作のもつ「起源の物語」、つまりプリミティブな様態を措定してみせることで、相対化できるはずだという思いがあるからだ。
 例えば、機能障害にたいして、より精緻なリハビリテーション医療にもとづいた回復訓練で運動障害を克服するということを著者は主張したいわけではない。
 「(略)動作の再建は、当の本人に任されようが治療の介入を受けようが、可能な無数の経路からひとつを選んで行われることになるであろう。(略)再建の経路とはいわば種の進化の系統樹に似ている。(略)健常人ならふだんは使わないがやろうと思えばできる動作のパターンがあり、そのひとつが患者の選択肢になる。(略)人は異なるやり方で同じ動作課題が達成できるのであり、繰り返しいうように日常動作はそのうちから歴史的に選ばれた形にすぎない。別の経路に別の最適化基準がありうる。」(278~279P)
 長崎浩の新著は、こうした論述に見られるように、身体論・リハビリテーション論を再構築しうる視線と方法を開示していると、わたしなら躊躇なく断言したい。
 「再建の経路とはいわば種の進化の系統樹に似ている」という「起源の物語」に向けた思考は、わたしたちの未知の未来をも視野に入れたものだといっていいはずだ。

(『図書新聞』05.2.26号)

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2006年6月11日 (日)

うらたじゅん、山田勇男他 著 『幻燈 6』(北冬書房刊・05.11.5)

 つげ義春・つげ忠男以後の劇画・漫画表現を追及し、多くの秀逸な作品群を掲載し続けてきた『幻燈』の第6集が一年半ぶりに刊行された。うらたじゅん、菅野修、西野空男らがそれぞれ二作品を、『夜行』の常連、斎藤種魚が『幻燈』誌上初作品(第1集の装幀を担当しているが)、「アヌス・スプリングの虹」を発表し、また、映画『蒸発旅日記』の監督・山田勇男の漫画作品と劇評そして天野天街との対談など、読み応えのある作品・論稿が数多く収載されている。
 作品として真っ先に取り上げたいのは、河内遥の「ねむりじたく」だ。前作「乙女チャンラ」で『幻燈』初登場以来、注目されるこの作家は、大手少女漫画誌での本格デビューも近いようだ。独特の呼吸感漂うこの作品は、浮遊する現在をうまく投影させている。少女漫画への指向も持っている河内だが、確かに圧倒的な技量性がある。だが、それに寄りかからず、むしろ大胆に自らの世界を描出していくべきかと思うが、どうだろう。初登場の木下竜一は、「神隠し」、「旧友」の二作品とも四頁の短いものだ。線描のタッチと独特な構図が醸し出すものは、一枚一枚の絵画作品を積み重ねたような構成をとっている。次作はどういうものを見せてくれるのか、期待したい。「アヌス・スプリングの虹」は、斎藤種魚の詩的世界を久しぶりに見せてくれている。この作家は、『幻燈』のような場所がふさわしいと、あらためて思った。
 劇画・漫画作品以外では、宮岡蓮二の評論「英霊異論―うらたじゅん『鈴懸の径』は『靖国』を撃つか」は力論である。力論であることを認めつつも、しかし、わたしにはどうしても釈然としないものが、読後、残ったといってよい。十五年戦争下の戦死者を「英霊」として祀る靖国神社の問題は、国家と天皇制の切開を迫っていくものだ。そのことにもちろん、異存はない。かつて加藤典洋の『敗戦後論』が提起したのは戦争責任と戦後責任のある意味、切断であり、責任という概念を拡張することにあったとわたしは見ている。つまり、「日本の三百万の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼をつうじてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪にいたる道は可能か」というものであった。そのこと自体、必ずしも錯誤的な論述だったとわたしは思わない。戦争責任・戦後責任の問い掛けの多くは、加害者として、アジア二千万の死者への哀悼を先行すべきだというものだ。宮岡の論旨もその中にはいる。ならば、加害者とは誰かという問題、あるいは戦時下における被害者はアジアや南方地域の人たちだけなのかということが、厳密な意味でほんとうはせり上がってくるはずだ。わたしなら、〈死者〉とは誰か、〈死者〉とはなにかということを、すべての国家(間)による戦争を考える時に、まず、想起する問題だ。宮岡は、うらたじゅんの「鈴懸の径」(『幻燈 3』収載)に、「『加害者』という認識が欠けている」と批判する。それは、十五年戦争下における父の世代の青春期を描出したこの作品に対して、「加害者」の視線を具体的に描出しなければ、作品として高い質を持つことができないと論述しているのに等しい。たぶん、宮岡はうらたとの近接した通交のなかで感じた「あやうさ」(本論でそういういいかたをしているが、実は、この「あやうさ」を宮岡は具体的に述べていない)から、そのような思いを抱いたのかもしれない。しかし、それは作品論として逸脱しているとわたしは考える。宮岡が、現在の情況に苛立ち、憤激していることは分かる。だが、そのような思想情況とうらたじゅんの「鈴懸の径」の作品を対峙させて語るのは、かなり強引な手法であるといいたくなる。そもそも、宮岡は、この作品のモチーフになっている灰田勝彦の「鈴懸の径」という歌に対しても疑念を持っているようだ。たぶん、軍歌はすべて否定すべきものという思いもあるはずだ。そこが、わたしとの差異になっている。わたし自身もこの作品に、少なからず疑念がないわけではない。だが、わたしなら加害者の視線のなさということを、この作品に対しては導入しない。このことは、機会があれば、別の場所で述べるつもりだ(ひとことだけいえば、時間軸の移動が作品構成上うまくいっていないということがある)。ところで、この宮岡のうらた批判に呼応するかのような作品が、今集の新作「金魚釣りの日」である。父の幼馴染はビルマで戦死したとされるが、もしかしたら生きてジャングルを彷徨っているかもしれないと思われていた。自分のために金魚を釣ろうとして川で溺れた友達の男の子を助けてくれた人が、父の幼馴染に似ていたとイメージしていく終景への展開のさせ方は、うらたがあらたな段階へと達したと感じさせる作品になったと、わたしは思う。うらたは、この新作でも、「鈴懸の径」でも、〈死〉というものを、あらゆる予見(反戦や聖戦という意識性)を排してイノセントに救済させたかったのだと、いっていいかもしれない。

(『図書新聞』06.1.28号)

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