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2006年5月 5日 (金)

瀬戸内寂聴・鶴見俊輔・いいたもも 編著『NO WAR!―ザ・反戦メッセージ』(社会批評社刊・03.6.15)

 「反戦・平和運動」とはなにか。わたしは、誰でもが当たり前のように思うはずの「反戦・平和」という言葉に、長い間、釈然としない思いを抱いてきた。「反戦」と「平和」は、けっして並立されるものではないという考えを、わたしはもっている。「平和」や「幸福」といったことは、確かに人間の営みのなかで究極的な願望であり到達点かもしれない。しかし、同時にそれらの言葉のなかに含意する曖昧性を、見過ごしてはならないと、わたしなら思う。究極の願望や到達点を、自己目的化した時の、陥穽というものがある。「平和」であればいい、「幸福」であればいいと思うほど、そこへ至る方途を何処かへ置き去りにし、現実的困難さを回避するという状態を、生み出してしまうのだ。
 この間の、米英の独断的なイラクへの侵略戦争は、ブッシュジュニア、ブレアという国家の首長が、権力の行使を自己目的化した彼らなりの虚妄の「世界平和」を追求した結果だといっていい。もちろん、ブッシュジュニアの背後に戦争・石油利権屋がいることは自明のことだ。だから、米英のイラク侵略に対して「反戦」をいうのはいい。しかし、それは、同時に「反国家権力」という視座をもたなければ意味はない。ブッシュジュニアが権力を行使する現在のアメリカという国家とフセインが君臨するイラクという国家を同時に解体した先にしか、いわゆる「平和」というものの〝第一段階〟は訪れないと断言できる。だから、「平和」という状態がいかに至難なことなのかということを、認識すべきだというのが、わたしの考えだ。
 わたしが、ベトナム反戦運動以来の高揚する「反戦・平和運動」といわれる米英のイラク侵略戦争への抗議行動を、全面的に評価しようとは思わないのは、口あたりのいい「平和」という言葉に疑念があるからだ。
 本書は、四章立てで構成されている。「Part1」と「Part2」は、この間のイラク戦争に抗議する内外の様々なメッセージを紹介している。R・アルトマンの映画『ザ・プレイヤー』や『ショート・カッツ』で好演した俳優ティム・ロビンスやアカデミー賞で苛烈な受賞挨拶をしたマイケル=ムーアの発言は、それなりに説得力に満ちていると思ったが、それ以外の芸能人や著名人の、あるいはイラクの子どもたちの声といった多様な「反戦・平和」に関するメッセージは、それが芸能人や著名人ということで、影響力があることは認めても、わたしには重要な発言だと思うことはできなかったし、安直な平和への希求は、ブッシュジュニアやブレアと同じ虚妄性があると、あえて言っておきたい。むしろ、「Part3」の「高校生・自立する市民らのピース・アクション」の様々な報告の方に、わたしの関心は向けられたといってもいい。
 「(略)イラク攻撃を止めようといてもたってもいられなくて動いてみた。(略)そんな中で気になることがあった。『非暴力で行動しよう』という言葉を参加者から幾度となく聞いた。『平和を守ろう』『罪のない人を戦争で殺すな』というシュプレヒコールも聞いた。平和じゃないからデモに参加している、罪のある人だって戦争で殺してはいけない、そもそも罪とはなんなのか、そんな思いを抱かずにはいられなかった。
 非暴力でも合法的でないこともあるし、目の前の理不尽な暴力に対応しなければならないことだってあるかもしれない。(略)非暴力を貫くには、とても難しい技術がいるはずなのだ。それをすっとばして非暴力を安易に言えばどうなるのか。」(106~107P)
 ソメイヨシノが咲きつつある中で、吉祥寺の井の頭公園から米大使館までのピース・ウォークデモとでもいうべき反戦行動に参加した岩沼るるの報告だ。反戦プラカードをもって電車通勤するとか、ローソク集会で、反戦・平和を主張するというのは、それぞれの参加のしかただし、それ自体わたしにはなんの感慨もない。もちろんウォークデモもそうだ。しかし、岩沼が感じた、「非暴力」や「平和」を安易に主張することにたいしての疑念や戸惑いを、わたしたちは、真摯に受け止めなければならない。「Part4」で、いいだももが、ベトナム反戦運動とイラク反戦運動を混在させて自伝風に、悦に入って語るほどわたしたちの現在は、反権力闘争・反戦運動が真に高揚しているわけではないのだ。
 最後に、「反戦ネットワーク」のnoiz(本書では大文字で表記されているが小文字が正しいはずだ)と、本書の実質的な編者であの反戦自衛官の小西誠の文章にふれねばならない。
 9・11テロからアフガン空爆へいたるアメリカの覇権戦争を契機としてたちあがった「インターネット上の反戦プロジェクト」は、「特定の運動団体が運営するウェブサイトではな」く、「アフガン侵略戦争に反対する個人が自らの意志を表し、ともにその意志を連ねていくということを表現する」(139P)ものだ。わたしは、すでに何度かこのサイトを見ていたが、ウェブ上で運動の細やかな報告と精緻な情況分析をおこなっていることに驚いたものだった。かつては、〝紙の中の活字〟で表現されていたものが、このように開かれたかたちで(それがウェブサイトの特徴でもあるが)運動が表現されていくことに、深い感慨を覚えずにはいられなかった。
 「実際の運動体とは何ら関係も持たない特異な『意志の集合体』としては、いまだウェブ上の実験は続行中なのである。そして反戦ネットワークの未だ定かでない現在的意義はそこにあるのかもしれない。」(141P)
 noizはこのように述べる。個人の意志が、運動表現としての共同性を形づくっていくのには、ネットが重要な役割を果たしているのが、現在なのだということを、わたしはあらためて認識したといっていい。
 小西論文は、アメリカ軍の暗部を衝く。徴兵制廃止に伴い、入隊者に様々な特典を与えることになって、「米軍は主としてマイノリティと白人の低所得者層の兵士で構成されることになった。」(174P)という。イラク戦争での米軍兵士の戦死者のほとんどがマイノリティたちだったとし、「米軍が平均的なアメリカの『富裕層』を含めて構成されていたとしたら、ブッシュは今回のイラク戦争をかくも理不尽に強行しただろうか?」(175P)と小西は疑念を呈する。
 二人の際立った文章によって本書は極めてアクチュアリ性をもったものになったといっていい。

(『図書新聞』03.9.27号)

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2006年5月 3日 (水)

今井 一 編著『「9条」変えるか変えないか 憲法改正・国民投票のルールブック』(現代人文社刊・05.5.9)

 「憲法改正」が、いよいよ具体的なかたちで国会(国会議員)レベルの俎上に乗りつつある。発足以来五年、四月十五日に自民、民主、公明三党主導によって押し進められてきた衆議院憲法調査会は、最終報告書を提出した。続いて、参議院も二十日に提示している。だが、戦後憲法が制定されて六十年近く経過して、制度疲労を声高に主張し改憲を目論むわが国のネオコンたちと、宗教のお題目のように護憲を言い募るだけの社民・共産グループとの対立軸は、わたしたちにはなんの衝迫性も与えない政治劇になっている。村山政権時の自衛隊合憲発言で、事ここに至れりと思ったのは、わたしだけではないはずである。自衛隊合憲(ついでにいえば天皇制支持もだ)と九条固持と、なんの矛盾もなく鼎立させる政治理念が、既に社民党(社会党)を破綻させているのだ。共産党はいわずもがなである。国会(国会議員)レベルでの憲法改正の進行過程は、誰が考えても粛々と進んでいくはずだといっていい。そして、憲法改正を可能にする最終段階が、国民に対して、信認を問う「国民投票」なのだ。本書は、その「国民投票」の意味と意義そしてもちろん重要性を、憲法改正(こういういい方は、曖昧だ、明快に「九条改正」といっていいと思う)に絡めて、懇切に解説し論述したものだ。本書の骨格を構成しているのは、三月二十一日に行った憲法調査会の国会議員たちによるシンポジウムである。わが国の歴史上、初めて実施されるであろう「国民投票」を、どういうかたちで、なされていくべきかということが、主題であったため、出席していた議員たちの憲法(九条)理解や理念を、具体的に聞くことはできなかったとしても、会場にいたわたしは、彼らの高み的発言としかいいようのない論旨を不快な想いで聴くことになる。国会議員は、有権者の付託を受けて政治行為をする存在である(ちなみに現衆議院議員は有権者の六割に満たない支持を受けている。それを国民全体の絶対多数の付託か、一部の付託かと捉えるかで立ち位置が違ってくる)。しかし、おそらく、ほとんどの議員(九条を改正しようと考えている議員)は、選挙時に九条改正を明確に主張して当選したとは思えない。では、誰にどのようなかたちで改正を付託されたといいたいのだろうか。
 出席議員のひとり、枝野幸男(民主党)は、このように述べている。
 「(略)憲法というのはわれわれ政党が相撲をとる土俵を作っている。公権力行使の限界、あるいは公権力行使の権限の源を規定しているのが憲法であって、その中で各政党がそれぞれの主張する政策を実現する。与野党で相撲をとる。その土俵作りであると思っています」(79~80P)
 倒錯した論理とはこういうことをいうのだ。自分たちを「公権力」の代位(これは国民主権の上位の概念と見做すことができる)のように錯覚し、居丈高になって「この国のかたち」を憂えてみせ、「民主主義というイデオロギー」に酔いしれていくのだ。「デモクラシー」を誤訳して、「民主主義」という、イデオロギーのような“主義”という訳語を付した時に、言葉は欺瞞に満ちたイメージを纏っていき、ほんらい、社会を構成するシステムや手続き的ものに過ぎないはずの「デモクラシー」が変容させられていったのだ。同じように、憲法もまた、わたしたちの生活と有様から乖離して、公権力行使の根拠となっている。
 「そもそも憲法は、国民が政治家に国政を付託した時に、やっちゃいけないことを決めたものです。(略)だから、今、国会で言っているような『国のかたち』をどうするなんてことは、ぜんぜん関係ない。」(二木啓孝「『憲法改正』とは、」・「情況」六月号)
 わたしの考えは、この二木の発言とまったく同じものだといっておきたい。戦争の放棄をいいながら専守防衛はいいとする改憲派は、論理の矛盾に気づかないのだろうか。森達也が何かのアンケートで、戦争をしたいから自衛隊を国軍にしたいのだと改憲派は明確にいうべきだといっていたが、まさしく、その通りだと思う。それで、「国民投票」によって信認されても、編者の今井がいうようにわたしたちは否とはいえないのだ。なによりも問題なのは、護憲派が、九条理念を実際的にどう実行していくのかを具体性をもって述べるべきなのに、空疎なキャッチフレーズレベルのことしかいわないという停滞性にある。
 「一部の『九条護憲派』は、実態はどうあれ条文さえ護れば九条の本旨を温存できると思い込んでいるようで、『明文改憲』の動きに対しては厳しい反応を示すのに、『解釈改憲』に対しては批判しながらも許容範囲とするような反応です。」(19P)
 今井の厳しい視線の先には、もう政治家たちに自己充足的に九条を弄んで欲しくないという想いがあるといっていい。「国民投票」というまたとない、わたしたちの真意が試される時がいずれやってくるのだ。本書の詳細な解説を理解したうえで、主権行使としての「国民投票」によって、公権力という幻想を解体し、霧散させていくべきだと思う。

(『図書新聞』05.10.8号)

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2006年5月 2日 (火)

高田 健 著『改憲・護憲 何が問題か―徹底検証・憲法調査会』(技術と人間刊・03.1.20)

 かつて、江藤淳は、その著『一九四六年憲法―その拘束』(一九八〇年刊)で憲法成立事情を徹底的に、そして精緻に研究、調査した結果、連合国最高司令部が憲法草案を起草したという事実を提示した。江藤の真意は、九条第二項の「戦争放棄条項」は〈平和条項〉として偽装しているが、〈主権制限条項〉であると解すべきだとするものだった。江藤の論述は、ある意味、説得力にあふれ、また当時、憲法成立事情を詮索することがタブーであったことから、言論空間に風穴をあけたという評価を与えられたものだった。わたしは、自主憲法制定を画策する一部の潮流と、江藤の真意は必ずしも同じではないという理解のうえで、なぜ、江藤はそれほどまでに国家主権と自己の主体性を同一化したいのか、疑問に思い、またそういう江藤の感性に興味を引かれたといってもいい。わたしは、江藤と違って、自己と国家をアイデンティファイしたいとは思わないし、国家とはひとつの共同性の僭称であってシステムとしての統治性をできる限りゆるやかにし、様々な制約的機能は開いていくべきだという理念にたっていた。だから、九条よりはむしろ一条がある限り憲法は認めがたいという考え方を持っていた。象徴天皇制、あるいは天皇制の条項が憲法から除外した時に初めて、九条の理念が意味をもってくるし、国家という共同性が開いたことになるという思いが強くあったといってもよい。草案が強制であろうが、すり寄せた結果であろうが、天皇制の存続と戦争放棄がリンクしていることは、誰の目にも明らかなはずだ。
 だが、ここ十年ほどの世界史的な時空を見れば、わたしが拘泥する一条はいずれ空語化していくとしても、九条がもっている理念と意義は、ますます大きくなってきたといえる。冷戦構造は、実態のない戦争シミュレーションという様相をもっていたから、九条の理念は言葉だけの世界のなかで閉じていてもよかった。だが、東西対立が解けた後、局地的な民族・宗教対立の頻発、そしてなによりもアメリカの一国覇権主義による戦争行為の激化が、世界情況を一変させて来た現在こそ、究極的な意味で〈非戦〉、〈非核〉理念であるわが国の九条憲法は世界的な位相において、普遍性をもっているといってもいい。
 しかし、わが国の政府とその同伴者たちがとっている姿勢は、九条理念から遠い場所へいこうとしている。本書は、憲法調査会なる欺瞞的な機関を設置して、憲法改正(悪)をもくろむわが国政府の錯誤的姿勢を徹底的に検証し批判したものだ。著者は、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」結成に関わって、市民運動の立場から衆参両院の憲法調査会の活動を三年近い期間にわたって傍聴し、監視活動をした報告書とでもいえる本書を著した意図を、「憲法の改悪に反対する『市民運動の憲法論』の一つの視点を提起しようと」したと述べている。
 そもそも、憲法調査会とは、どういう意味をもち、いつ設置されたものだろうか。わたしを含めて多くの人はあまり認知していなかったと思われる。「改憲の機関ではなく、憲法問題を議論するための場の設置であり、論憲のためだ」として議案提出権をもたないことを条件に、野党も巻き込んで、二〇〇〇年一月、衆参両院に設置されたものだという。しかし、そもそもそれより先立つ九七年に、「憲法調査会設置推進議員連盟」が結成されている。一応、超党派ではあるが、顔ぶれを見れば、明らかに「改憲」を主張する議員たちで構成されていたと著者はいう。この「改憲議連」がそのまま、現憲法調査会を主導しているということになる。
 「もし、国会が『論憲』ということで憲法について真剣に議論するというのであれば、まず日本社会がいかに憲法を実現しているのか、それとも実現していないのかを調査・点検しなくてはならない。そして現実が憲法の原則からますます乖離し、憲法がますます空洞化させられている実態が明らかになれば、そうした違憲状態を即刻、改革するようにとりくむことが国会の責務である。憲法三原則の実行を回避し、空洞化させておいて、そうした違憲状態にある現実に憲法を合わせるための議論を始めるなどというのは本末転倒もはなはだしいものであり、国会議員としての責任を回避するものにほかならない。」(70p)
 著者の論述は、明快だし正鵠をえたものだ。本書の書名もそうだが、よく改憲にたいして護憲という言葉が対置されるが、本当は、憲法を正しく行使するということを措定すべきだと思う。「憲法は単なる理念ではなく、実行するものだ」と、沖縄の公聴会での公述人で弁護士の新垣勉の発言を、著者は紹介している(103P)。そして、著者は、「憲法に関する立法不作為を言うのであれば、まず憲法九条を具体化するための平和外交基本法とか、東アジア非核地帯推進法、経済の非軍事化基本法などこそ制定されるべきであった。」(149P)と述べている。そのことに、わたしも異論はない。
 昨年の十一月に衆議院憲法調査会の「中間報告書」が、衆議院議長宛に提出された。今国会では、昨年から引き続いて「有事関連三法案」の審議が国会で行なわれている。他の条項をたてに憲法が現実に適合しなくなったといって、実は九条の足枷をどうにかしようという動きや声高に有事といって危機感をあおり九条を空洞化しようとする動きは一体のものだということを、本書は具体的に報告しているといっていい。

(『図書新聞』03.5.17号)

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2006年5月 1日 (月)

『松田修著作集・全八巻』(右文書院刊・~03.5)

 松田修が、わたし(たち)に鮮烈な印象を与えたのは、思い起こせば七十年代初頭だった。『刺青・性・死』(松田は刺青を「しせい」と呼ぶ)という衝撃的な表題とモチーフを突きつけて暗渠の世界をわたし(たち)に開示してみせてくれた。そしてさらに、『陰の文化史』、『闇のユートピア』、といった著作を通して独自の確たる松田修の世界を展開していく。一方、小川徹が編集する「映画芸術」誌に、精力的に映画批評も発表し、松田の表現方位は多層に渡っていった。
 七十七年、わたしは、松田と近接の場にいた。松田は、「暗黒舞踏」論とでもいうべき「肉体の千年王国」(著作集・第六巻収載)と題した論稿を発表する。掲載されたのは、わたしが編集に関わっていた「無政府主義研究Ⅷ」という雑誌だ。
 冒頭まず、ジャン・ジュネの映画『愛の詩』がひかれる。独房で踊る若者の痙攣する様に松田の視線は向けられる。「踊り」を、「恍惚への肉体としての試行錯誤」、「逡巡するためらい傷」、「錯誤の傷たちによって深まってゆく致死の傷(真実の傷)」と見做す。そもそも傷や痛みという言葉は、松田の拘泥する位相だ。「痛み」だけが、「愛のたしかな憑り代」(『刺青・性・死』)だと捉えたり、「信仰も愛もみな苦痛を通じてのみ、確信できる」(座談「世捨て思想と現代」)と述べたりしている。この論稿が、発表する雑誌の特異性やモチーフの親近性によるためか、松田の思念が凝縮された一篇だったと、今にして思う。もう少しこの論稿を辿ってみる。
 「『火傷の痛み』としての土方のきり展いた世界」に、「もっとも前衛的なものが、すでにもっとも土着的であるという逆説」をみることができるとし、「一筋の白粉が、異形との親和をもたらすほどには、そり落とした髪と眉は、異形の世界へのパスポートでありうるだろう。政治的・思想的な面からではなく、土方たちは、その反市民・反近代を、フォルムの側から迫ってゆく」と述べ、次の様な結語へと至る。
 「はたして肉身が痙攣し、痙攣することによって肉身であるものならば、魂=霊も痙攣し、痙攣することによって、魂=霊であろう。またしてもねじれかえった指、背……精神と物質の暗黒がつづくかぎり、弧状列島を覆って痙攣は、波うち、どよめきつづけるだろう。」
 松田独特の表現と文体のリズムは、わたしたち(読者)を未明の場所へ誘って、いつしか異形、異端の群れこそが、弧状列島・日本の暗渠を撃つ共同性なのだと気づかせてくれるのだ。個という舞踏表現から国家・弧状列島へ至る道筋をつける思索を行為できるのは松田修であればこそだといえる。
 このように、松田が提示する思念は、常に体制的なもの、秩序的なものへの反措定を孕んでいる。異端、異形、被差別、無頼、畸型、不具といった様態へ、視線を向けていくことで、必然的にそうならざるをえないともいえる。だが、しかし、松田が向けていく視線の先はけっしてイデオロギー的場所ではない。松田の視線の方位は、濃密な愛と根源的な美の所在を求めているのだ。
 『刺青・性・死』に次の様な一節がある。
 「刺青、それは閉ざされた美である。暗黒のゆえに極彩の美である。秘めよ、秘められよ、開かれてはならない。それはいつの日にも俗物への、体制への、衝撃であらねばならない。(略)地下へもぐり、異界にひそみ、ある日、突如日常をやぶって花を開く。その一瞬を、われわれは回復せねばならない。」(著作集・第一巻)
 松田にとって刺青は、まさしく刺青そのものとして共感の位相であることは、確かだ。しかし、わたしたちは、松田の魅惑あふれる言説にふれることで、むしろ、様々な想念を沸き立たせるものとして、刺青をメタファーとして捉えることになるといってもいい。このことは、松田の著作の数々が、けっして偏狭な学究的なものではないことを意味している。そのことの証左として、座談・対談での発言をみるのが、わかりやすい。本著作集は、各巻に、座談・対談が収載されているのが、特色だが、松田の思念世界への入り口としても、格好のテクストだといえる。なかでも、第四巻収載の中上健次との対談「物語の定型ということ」は、言葉の往来が濃密な関係をつくりあげている。例えば、こんな往還だ。
 松田が言う。
 「言語の虚構性が、新しい文学のジャンルを拓く。言葉が定型を喚び起こし、喚び起こしつつ定型を裏切るーー。物語の定型を降霊しつつ、反物語である。」
 中上が言う。
 「やっぱり物語というのは僕はーー松田先生もそうだと思うんですけどーーある原形というのは、差別というんですか、あるいは差異といってもいいと思います。そこから出て来ると思うんです、物語という部分が……。(略)単純に言いまして、なぜ最近物語がつまんなくなったのかというと、差別に関していまの現代作家たちは非常に鈍過ぎる。要するにもっと差別心なり、あるいは被差別心なり、そういう意識なりを回復しなくちゃどうしようもないんじゃないか。」
 この往還を松田は、次の様に見事に締めくくっている。
 「そもそもーーこう言えば少し大袈裟ですか、言語の構造そのものが、差別(一般的な意味での)から来ているでしょう。差別なしには言語は存在しない。遡れば溯るほど、本質的になればなるほどにーー。」
 松田の視線は、絶えず言葉の概念を転倒させながら、根源性を切開しようとする。だから、歴史論においても、「逆転歴史観」(中込重明・解題)といわれる所以だ。
 このように、松田の思念世界はけっして過去的テクストに収斂されるものではない。わが列島国家は、依然、病理という暗渠を払拭できずにいるのだから。
 だからこそ、いま、あらためて松田修の多岐に渡る仕事のほぼ全体像を俯瞰できる著作集の刊行は、なんの衒いもなく思想的な事件だといってもいい。全八巻の構成のもと刊行が開始されたのは、昨年の九月だった。そして半年あまりで、全巻が刊行完結する。
 松田修の世界は、まだ未明の場所にある。

(『図書新聞』03.5.3号)

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M・L・ブッシュ 著(指昭博・珠恵 訳)『ヨーロッパの貴族―歴史に見るその特権』(刀水書房刊・02.11.30)

 わたし(たち)が、〈貴族〉というものを考えた時、わが国においては、平安朝時代の一時期を、ヨーロッパならイギリスに象徴される〈貴族〉階層というものを思い描くに違いない。
 戦前、〈華族〉と任ぜられた一群があった。近代天皇制の確立のなかから発生した特定士族の族称の意味合いがあって、かならずしも、〈貴族〉と同じ位相を持った階層というわけではなかった。わが国では、武士階級の台頭によって、いち早く〈貴族〉も天皇家の権力も無化されて、近代へ到達しただけに、長く歴史のなかに位置づけられ、しかも今でもイギリス社会に歴然として存在し続けているという意味では、〈貴族〉という階層概念は、君主制や王制に支えられたヨーロッパ独特のものだといっていいかもしれない。
 本書は、ヨーロッパ全域を対象に、時間性も古代末から現在までと、幅広く〈貴族〉の特権をめぐって論述している。
 「本書でまず第一に、そして何にもまして大きく取り扱うのは、貴族の特権である。なぜなら、特権こそが、ヨーロッパの貴族の唯一絶対欠くことのできない特質だからである。土地を持たない貴族もいたし、支配機構を持たない貴族もいた。また、その生活様式が、社会の他の人々と区別できないような貴族もいた。しかし、特権を持たないような貴族は存在しなかった。」(「序」)
 そして、著者は、「特権」を必ずしも権威や権力と結び付ける言葉として捉えていない。 「特権」とは、「慣習や法によって認められた権利であり、特定の社会集団だけが持つことを許され、また、親から子へと継承されうるようなものである。」と著者はいう。本書は、一貫してこのモチーフと視線を通し論述されているといってよい。しかし、正直言って、かなり難渋する著作だ。「特権」の内容をいくつかに細分化し、それを章立てにして構成し、地域・国家間を横断させ、時間も錯綜させながら論述していくという著者の方法は、精緻に論じていながらも、どうしても散漫さを感じざるをえなかった。
 このような、わたしの本書に対する初発の印象を払拭するかのように、訳者は、「あとがき」で、つぎのように述べている。
 「ブッシュが取ったのは、(略)これまで蓄積されきた先行研究をもとに、貴族の特権についてのエッセンスを絞り出すといった手法であった。それは、非常な力業を要する作業であり、おそらくは、新たに同じ作業を行なう研究者が今後現れることは期待できないだろう。」
 「エッセンスを絞り出す」手法といえば、確かにそうともいえそうだ。一九八三年にイギリス、マンチェスターで刊行された本書における〈貴族〉の「特権」というテーマを、二十年後の現在からの射程で捉え返すとしたらどうなるだろうかという、わたしなりの疑問は保留するとしても、著者ブッシュの手法が難渋さを感じさせながらも、それがかれの独自の際立った方法論からくるものであることは認めざるをえない。ただ、いくらか不満をいえば、「特権」をこれほどまでに細分化して論ずる必要があるのかいうことだけである。つまり、免税特権という財政上の特権、法的な免責特権、官職保有や議会における特権、名誉をめぐる特権、領主権や地主特権、といったこれらのことは、常にパラレルなものだといっていいはずだ。起源や発生の端緒、そして影響力の分析から消滅へ至る過程を丹念にそして微細に例証していく著者の方法は、訳者もいうように間違いなく力業に違いないが、わたしには、もう少し統合してロジカルに展開できなかったのだろうかという気がしてならない。しかし、〈貴族〉という位階制、「特権」という権威・権力性といった、どうしても、イデオロギー的な視線を向けやすいテーマを、著者は抑制した精緻な例証を変えることなく展開している。そのことは、歴史研究の重さを充分わたし(たち)に、指し示すことになるといってもいい。
 「貴族の特権は、貴族を平民から区別することによって社会を組織立てるとともに、さまざまなタイプの貴族のあいだに区別をつけることで、貴族階級を階層化させた。貴族の内部に階層があっても、平民と区別されるという効果がそのせいで損なわれることはなかったので、特権の存在は、貴族という階級に一体感を与えるのに役立っていた。」(27P)
 「特権が減少し、さらに貴族の称号が侵害されたことによって生じた階級秩序の混乱は、貴族の性格に深刻な変化をもたらした。(略)貴族は、概して爵位貴族と同義になったのである。(略)世襲貴族は、もはや階級というよりカーストの様相を呈するようになり、没落を運命づけられた。没落の原因は、(略)社会のエリート集団のなかで周縁的な存在にすぎなくなったことにあった。」(204P)
 「特権は、貴族の構造や定義を規定しただけでなく、特権以外に貴族らしい性格を何ひとつ持たない貴族の存在を認めたという点でも、貴族階級の成り立ちに深く関わっていた。」(292P)
 社会のなかのエリート集団でなくなるということは、ヨーロッパの歴史のなかでの〈貴族〉の問題だけに還元することではないかもしれない。例えば、大企業に勤務する人達が考えもしなかった倒産やリストラにあって、ただの周縁的な存在になってしまうことの恐怖が、この高度消費資本主義社会の現在に、間違いなく訪れているのだから。

(『図書新聞』03.4.12号)

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バーマン-アサド 著(有川ひふみ他訳)『ソ連はなぜ崩壊したのか―英雄的たたかいと苦い敗北』(スペース伽耶刊・03.1.15)

 ソ連が崩壊して十年が経過した。ベルリンの壁が無くなり、東欧は、西側がいうところの〈民主化〉がなされた。だが、その後の十年で冷戦以後の世界は、どう変容したといえるのだろうか。ソ連や東欧の社会主義政権の瓦解は、資本主義の勝利、社会主義の敗北といったイデオロギー的な捉え方で事足りたわけではない。当時、ソ連共産党政権の崩壊といった一連の事象に、困惑し迷走した左翼潮流は擬制的なマルクス主義の亜流たちにすぎない。六〇年安保闘争を主導した諸党派は、明確に、ソ連スターリン主義政権と日本共産党に訣別したし、その後の新左翼運動も、なんらソ連や東欧諸国のスターリン国家群の動向に影響されていたわけではなかった。すくなくとも、わたし(たち)は、擬制的なマルクス主義(スターリン主義)の破産は認めても、マルクスの理念や思想は依然有効だと思っていたはずだ。これはすでに言い古されたことだが、マルクスの理念とマルクス主義というイデオロギーはイコールではない。
 さて、本書では、著者の履歴や、著者が所属しているだろう運動体あるいは研究母体を明らかにしていないので、推察の域をでないが、「まえがき」のなかで献辞している「革命的な指導を行なったガス・ホール同志」がアメリカ共産党議長だということが本文を読んでわかった。著者バーマン・アサドは、何らかのかたちでアメリカ共産党(実をいえば、わたしは、存在自体知らなかった)に関わっているのだろうと思える。
 書名から喚起されるイメージで、本書に入っていくと、ある意味、難渋することになる。一九一七年十月革命を最大限評価しそこから始まった共産主義革命の道程を、丹念に検証するというのが、本書の骨子だといってもいいからだ。著者は、「まえがき」で次のように述べている。
 「十月社会主義大革命によって開始された社会主義建設の過程は、世界全体に拡大し、一〇〇を超える共産党・労働者党がこれに加わった。ゆえに、その歴史的成果と欠陥についての評価は、それらのすべての諸党・諸国民―とりわけソ連邦とソ連邦人民―の経験をとりまとめ、検討し、分析としてまとめないかぎり、包括的に行なうことは不可能である。」
 著者のこのような視点が、極めて強固に貫かれながら展開されている本書を、果たしてどう評価すべきか、正直なところ逡巡する思いだ。
 具体的に言ってみよう。
 著者は、まず綿密な経済的数値を挙げながら、例証していく。十月革命時のソ連は、欧米諸国に較べてはるかに劣化した経済状況だったという。そもそも、マルクスたちが予見した社会は、資本主義社会が一定段階に達した時、様々な矛盾が露呈し、そこで始めて、社会主義革命の端緒が開かれるというものだった。しかし、ロシア革命にしても、その後の社会主義政権の誕生した国家群も、いわば後進地域といっていい。著者は、このソ連(ロシア)の後進性からの脱却を優先せざるをえなかったことが、社会主義社会建設の困難さを抱え持ってしまったと指摘する。スターリンの主導による「急速な工業化」は忌避できないものだったとうのが、著者の考えだ。そして、ソ連の急速な発展が、欧米帝国主義群にとって脅威となり、軍事的、経済的、反共産主義包囲網ができたことによって、どうしても対抗上軍事的拡大路線をソ連はとらざるをえなかったという。果たして、そうだろうか。欧米の資本主義国家群を帝国主義と断じるなら、例え社会主義という衣を身に纏っていたとしてもソ連もやはり帝国主義だといわざるえないのでないか。対抗上軍拡をせざるをえないとしても、軍事とはすべて覇権主義という権力性の表象だといっていい。
 著者はいう。もともと経済的基盤が脆弱だったところに、成長途上で過剰な軍拡のため経済がだんだん立ち行かなくなったことが、ソ連崩壊の第一段階だったと。そしてもうひとつの要因として、「急速な工業化」を推進するため、国家体制を途上の状態で確立してしまったことを挙げている。「全人民の国家」という、党や階級概念のプロレタリア性を否定する政府を上位とする国家性の考え方が官僚制の瀰漫をはびこらせ、政治システムの退行化が始まったと著者は分析してみせる。
 ある意味、精緻さをもったソ連崩壊劇の解析だと思う。だが、どうしてもわたしは、素直に納得するわけにはいかない。ソ連における過度期国家性、過度期権力の問題が、いわば、スターリン主義として立ち上がってきたことを留保していると思えるからである。スターリン主義はファシズムと同じように普遍的な超克すべき課題だと、誰でもが考えることだと、わたしは思っていたのだが。本書の著者は、そこには重点を置かずに、崩壊劇の無念さを強調している。

(『図書新聞』03.4.5号)

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森 茂起・森 年恵 著『トラウマ映画の心理学―映画に見る心の傷』(新水社刊・02.12.10)

 本書は、今までになかった入り口をもっている。臨床心理学の著書として読めて、さらに映画批評・映画論としても読めるという極めて独自性をもったものだ。だからといって過剰さを押しつけるようなことはない。著者(たち)は、率直に本書の意図を、「あとがき」で次のように述べている。
 「本書の狙いは、トラウマに関する知識を、説明するよりも、映画に描かれたトラウマを考えていくことで、その直面の過程を少しでも言葉にすることにあった。」
 確かに、具体的な臨床例を叙述されて、トラウマ論を展開されるよりは、映画の物語に添って、「心の傷」をもった登場人物の内面を分析して語られるほうが、はるかに了解の道筋は見つけやすい。しかし、トラウマ映画とは、なかなか意味合いを持った銘々だと思う。トラウマを描く映画という意味であるとしても、考えてみれば、映画や小説は、どこか「心の傷」を持った人物やモチーフというものがなければ、物語としての厚みがないといってもいい。映画や小説は、広義の意味において、すべてトラウマを扱っているというべきかもしれない。
 本書では、九本の映画作品をテクストとして選んでいる。洋画では、『質屋』、『フィアレス』、『心の旅路』、『秘密の花園』、『めまい』、『バッファロー’66』の六本。邦画は、『愛を乞うひと』、『噂の女』、『ユリイカ』の三本だ。このセレクションが、妥当かどうかということは問題ではない。本書の意図に沿っていうならば、臨床心理学的アプローチで、これらの作品を、どう分析しているのかが重要になってくるのだ。そして、さらに、それらの映画作品批評が屹立した地平へと到達しているのであれば、著者たちの意図が完遂したことになるといっていい。
 読後、著者たちの意図は十全に果たせたなというのが、わたしの素直な感想である。作品の物語を丹念に辿りながら、映画的手法の解説も適時にしつつ、それぞれの作品世界を批評として提示する手さばきは、見事という他はない。
 例えば、『質屋』のフラッシュバックシーンにふれながら、「トラウマによって引き起こされる心の働きの離断」を「解離」と呼ぶと説明して、次のように述べていく。
 「解離された記憶には、通常の記憶とは違うきわだった特徴がある。(略)自分の意志と関係なく、いきなり襲ってきたり、また思い出そうとしても思い出せなかったりする。記憶がなにか異物のようにして心の中に食い込んでいて、勝手に暴れたり静まったりするのである。『質屋』のフラッシュバックシーンは、このような記憶の性質をよく表している。」(20~21P)
 さらに、『愛を乞うひと』にふれながら、「本書で扱う映画の多くが、過去が現在の中に入り込む物語である。その入り込み方とその扱い方に、主人公のトラウマの性質が現れているとともに、それぞれの映画のトラウマ理解やトラウマ表現の核心がある。」(46P)と著者たちはいう。
 わたしが、本書で取りあげた映画作品の中で最も関心をもったのは、『ユリイカ』だ。
 この上映時間、三時間三十七分に及ぶ長大な作品は、公開時、様々な波紋を呼んだ。作品評価は、批評家にはおおむね高かったといっていい。バスジャック事件に遭遇し、生き残ってしまったバスの運転手(役所広司)と乗客だった兄妹(宮崎将、宮崎あおい)の「心の傷」を描いた青山真治監督作品は、確かに大変、力ある映画だ。本書の著者たちもいうように、事件の描き方は秀逸だ。トラウマの契機となった事象を描出せず、しかも、一切フラッシュバックは用いない。運転手の止まらない「咳」と、言葉を発しない兄妹たちを、延々カメラの視線が追い続けるといった映画なのだ。事件から二年後の、運転手と兄妹たちとの奇妙な共同生活は、見る側にとって大変退屈で時間の流れの緩慢さに苦痛ですらあった。しかし、マイクロバスで旅立とうとするまでの契機を描くためには、この遅延した映画的リズムは、この作品の最も重要な場面の連鎖だといえるのかもしれない。宮崎あおい演ずる妹、梢は最後に言葉を発する。ユリイカとはギリシャ語で「発見する」というほどの意味だが、言葉をついに発したからといって、けっして救済されたというわけではない。全篇セピア色のモノクロ,シネスコで撮られたこの作品は、最後のシーンは、役所と宮崎あおいの二人のショットをカラー映像の空撮で終えている。著者たちはいう。
 「最終シーンの色からうける印象はおそらく人によって違うであろう。私の個人的印象で言うならば、映画に色がつくことで、突然現実に引き戻されたような失望感があった。(略)現実的な色彩の世界に出ることは、目に痛いとでも表現したいような『苦痛』を伴うものだった。(略)梢がトラウマの領域を出て、現実世界を生きるには、この苦痛の何万倍もの苦痛を伴うのではないかとも感じる。」(217P)
 わたしの関心からいえば、本書は映画批評の中に、新たな波をたてるはずだと確信している。

(『図書新聞』03.3.1号)

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