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2006年6月13日 (火)

木村哲人 著『増補新版テロ爆弾の系譜―バクダン製造者の告白』(第三書館刊・05.7.1)

 爆弾によるテロルが、いまほど止むことなく生起している情況はないだろう。それぞれに生起する所以は確かに理解できないわけではない。大国支配に対する抵抗、民族対立、宗教対立、政治イデオロギー対立等々。そして、イラクやパレスチナでの自爆テロは悲痛ですらある。わたしは、善悪でこれらのことを断じるつもりはまったくない。しかし、9・11テロに象徴される「無差別テロ」を考えるとき、行為者の思念と感性にあるだろうわずかな襞のような隙間にいくらかの言葉を投げ掛けたい気持を、わたしは抑えることができない。
 未明のロシア革命時に時の皇帝権力へ、あるいはボリシェビキ政権への爆弾によるテロルを敢行した一群がいた。それがナロードニキ・テロリストたちだ。彼らはあくまでも焦点とする敵のみへのテロル敢行であった。巻き添えや無差別被害を極力避けていた。つまり、本書の著者もいうように、「心やさしきテロリスト」たちだった。
 「幼いころから、武器のメカニズムに興味をもっていた(略)わたしは小学生のころピストルや小銃の解説書や、カタログを集めていた。」(19P)
 著者・木村哲人は、そんなふうに述懐しながら、自らの来歴を語り、その「自叙」のなかに、「テロ爆弾の系譜」を重ねあわせて著わした本書にはいくつかの貌がある。もちろん、主眼は現実的なテロ事件の実際への共感と反感である。そして、反抗心や政治理念との距離感をもった爆弾マニアであることを自称しながらも、著者の思いは、次の様な一節に収斂されているといっていいだろう。
 「今も毎日のように、世界のどこかで爆弾テロは発生しているが、彼らに〈心やさしき人びと〉とよばれたテロリストの栄光はない。(略)キバリチッチに鯉沼九八郎に、ソフィアに、管野すがにあったロマンは跡形もない。ただ無差別の、寒々とした爆弾犯人の狂気だけが吹き荒れている。」(232P)
 キバリチッチは、ロシア・人民の意志党に所属した手投弾の開発者であり、ソフィアは“心やさしき”ナロードニキ・テロリストだ。鯉沼九八郎は、わが国で初めて爆裂弾が使用された、自由民権運動末期の苛烈な抵抗としてあった加波山事件に関わった人物であり、管野すがはいわずと知れた「大逆事件」の首謀者として刑死している(著者は、宮下と管野が作ろうとした爆弾は、たんなる玩具花火程度のものだったと主張する。なぜ暗殺手段の稚拙さをもっとこの事件のフレームアップの主意として指弾しないのかと憤怒している。そのことには率直に同意したい)。著者の彼ら・彼女らへのロマンの託しかたが、本書を仰々しさから解きほぐしている。非党員でありながら、戦後の一時期、軍事路線を遂行していた日本共産党の軍事研究員として爆弾開発をしたというエピソードは、スリリングな描写とともに、イノセントな爆弾マニアの〈像〉を見事に「自叙」している。また、明治期、鯉沼の妻・時子を取り調べた裁判長が、著者の曾祖母の父にあたる飯田恒男という人物であった。鯉沼の爆弾作りに協力していた時子からその方法を取り調べに乗じて聞いた飯田は、代々子孫にそのことを伝えていくように命じたというのだ。飯田から子孫である著者までが、いわば、もうひとつの「テロ爆弾の系譜」ということになる。本書が、いくつかの貌をもっているといったのはそのためだ。こうして、書名の直截さは、ある種の重層さをもった「読み物」性を醸し出している。それは、著者が映画やテレビの録音技師としてあったことと無縁ではないはずだ。
 本書は、一九八九年、三一書房から出版されたものの増補版である。著者と一緒に仕事をし、出版の労をとった大島渚の「録音と爆弾の間」という序文が付されている。一九三三年生まれの著者は、昨年二〇〇四年に逝去している。
 最後に、ひとつだけ付言したいことがある。録音技師としての仕事のなかから生れたであろう多くの著作のなかで『音を作る』というのがある。これは、三谷幸喜監督作品で評判となった映画『ラヂオの時間』のモチーフになっていて、著者自身が効果音監修者として参加している。

(『図書新聞』05.11.19号)

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