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2006年6月12日 (月)

長崎 浩 著『動作の意味論―歩きながら考える』(雲母書房刊・04.12.25)

 「運動」や「行動」ではなく、「動作」である。そのことが、まず重要な事がらだ。わたしたちの誰にでも「老い」はやってくる。そしてかならず、「死」を迎えることになる。ここでいう、「動作」とは「生き(てい)る」ということと同義だとわたしなら考える。「病」や「老化」によって身体の不備が生起する時、ひとはどんなことを思うのだろうか。「健常者」とそうでない者との違いはなんだろうかとも思う。確実に差異を認めざるをえないのは、「動作」の困難さだといってもいい。
 「動く身体とは、何よりも日常の動作として、私たちの生活に普遍的現象である」(1P)と著者はいう。
 そうではあれば、「病」や「老化」によって生起する事がら、つまり、困難な動作や所作を克服(こういういいかたは、実に皮相なことかもしれない)していくためには、どう考えていかなければならないのかということが、切実なこととしてせり上がってくるはずだ。
 六〇年代末、全国大学闘争高揚期、『叛乱論』という衝撃的な著書で登場した長崎浩(誤解を招かないように付言すれば、長崎はまぎれもない六〇年安保闘争世代である)は、以後、八〇年代にいたるまで、政治思想情況にコミットした論述の担い手だった。少なくとも、わたしの拙い情報摂取の仕方では、九〇年代以降は、環境問題や福祉医療の分野における仕事が際立っているような気がする。本書もまた、「リハビリテーション」研究の延長線上にあると理解できるが、「動作」の“意味”を問う本書は、既知のリハビリテーション医療という枠組みを解体した先を見据えているといっていい。
 いくつかの記述に、著者独自の思考の航跡が窺える。例えば、次のように。
 「(略)人間の身体運動のうちで動作は際立って普遍的な現象である。生きるとは何よりも動作することだからだ。(略)日常動作の遂行パターンは、人類史を通じた行動進化の淘汰を受けてきた歴史的な結果であるかもしれないのである。」(74~75P)
 「直立二足歩行は人類の定義であるとおり、これには何百万年もの歴史があるユニークな生物的現象である。(略)人間はなぜこのような歩き方をするようになったのか、という生物学的な問いが立てられなければならない。これが『起源の物語』の問いであり、生理学や生体力学など物理化学的な説明の仕方をすることができない問いである。」(93P)
 多くの身体論は、心身二元論に基づく科学的分析であったり、「動作」という人間のプリミティブな動きの問題点を身体運動論総体のなかに埋め込んでしまっているという疑義が著者にはあるのだ。それが、「起源の物語」を問うという刺激的な動作の意味づけの論拠でもある。こうもいう。
 「日常動作から色や匂いや重さを剥ぎ取ることはできない。(略)一般に、見る、触る、聞く、味わうなど、いわゆる知覚動詞は日常の基本的な言葉であり、同時に、(略)見る、触ることが、すでにすなわち動作なのである。」(160P)
 著者が目指すのは、現在という場所から、あえて人間のプリミティブな有り様を問うことでもあるといっていい。しかし、それは安直な時間性の遡及を意味しているわけではない。人間の身体にとって、何が健常で、何が障害の表徴なのかという差異は、動作のもつ「起源の物語」、つまりプリミティブな様態を措定してみせることで、相対化できるはずだという思いがあるからだ。
 例えば、機能障害にたいして、より精緻なリハビリテーション医療にもとづいた回復訓練で運動障害を克服するということを著者は主張したいわけではない。
 「(略)動作の再建は、当の本人に任されようが治療の介入を受けようが、可能な無数の経路からひとつを選んで行われることになるであろう。(略)再建の経路とはいわば種の進化の系統樹に似ている。(略)健常人ならふだんは使わないがやろうと思えばできる動作のパターンがあり、そのひとつが患者の選択肢になる。(略)人は異なるやり方で同じ動作課題が達成できるのであり、繰り返しいうように日常動作はそのうちから歴史的に選ばれた形にすぎない。別の経路に別の最適化基準がありうる。」(278~279P)
 長崎浩の新著は、こうした論述に見られるように、身体論・リハビリテーション論を再構築しうる視線と方法を開示していると、わたしなら躊躇なく断言したい。
 「再建の経路とはいわば種の進化の系統樹に似ている」という「起源の物語」に向けた思考は、わたしたちの未知の未来をも視野に入れたものだといっていいはずだ。

(『図書新聞』05.2.26号)

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