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2006年6月21日 (水)

『清水径子全句集』(清水径子全句集刊行会刊・05.2.27)

 わたしが、清水径子という俳句作家を初めて知ったのは、いつのことだったろうか。そもそも、わたし自身、俳句を本格的に読み始めてそれほどの年月が経っているわけではないから、せいぜい十五、六年のことだ。
 きっかけは、今はもうない雑誌「俳句空間」であったか、清水が所属していた「琴座」誌であったかは、もう思い出せない。
 わたしの極めて平板な俳句読みのプロセスは、高柳重信と永田耕衣に尽きる。あとは、枝葉のように肥大させて読んできただけにかなり恣意的なものだ。わたしが読み始めたときは、もう重信は亡くなっていた。自ずと耕衣の営為に伴走していくことになる。耕衣主宰の俳句誌「琴座」は、ジャンルを越えてわたしを魅了してやまない雑誌だった。この「琴座」に清水が参加したのは、師秋元不死男(清水の実姉の夫)が亡くなって後、一九七九年のことだ。俳句結社誌というものは、まるで王位継承のこどく子供(主に)が継いで、継続させていく場合もあれば、一代限りで解散する場合もある。耕衣の「琴座」や、不死男の「氷海」は、後者の場合だった。では、所属している俳人たちはどうするのか。「氷海」の場合、鷹羽狩行という俳人が、あらたに、「狩」という雑誌を創刊させた。しかし、清水は参加しなかった。その当時のことを、「琴座」編集長・金子晉がつぎのように述べている。清水径子という俳句表現者の見事な「矜持」を窺い知る格好のテクストだ。
 「(略)『琴座』へ一介の投句者として清水径子さんが句を寄せてこられた時には僕達すっかり驚いたものだった。それも中尾寿美子さん共々のことだったから余計に仰天したわけだ。ご両人は、言わずと知れた『氷海』の重鎮であるばかりか、俳壇きっての女流の星である。そんな高名な俳人が、なんの前触れもなしに、いきなり雑詠欄に句を投じてきたのだから永田耕衣もびっくりして、早速僕に連絡があった。(略)その当時、俳壇雀の間でも、このお二人の行動は、ひときわ清々しいものとして話題に上がったものだった。なんでも、亡師秋元不死男の年忌も済まされ、お二人が兼ねてより憧憬されていた永田耕衣へ、この際、初心をもって臨もうという心意気だった由。多くの場合、己がしがなき俳歴をもって結社を遍歴するのとは大いに異なって、この本来的な第一義の姿勢は、まことに爽やかな挙動として多くの共感を得たものであった。」(「命いとしく―清水径子俳句管見」・「俳句空間NO.19・1992.2」)
 ここには、清水径子という俳句作家としての矜持ばかりかその表現姿勢も見事に伝えている。金子がいう「本来的な第一義の姿勢」を「初心をもって臨もう」とすることは、誰にでもできることではない。自分自身に対する極めて真摯な内省と渇望する表現意志がなければできないことだし、それは、言葉で形容すれば、いかにも皮相なことになってしまうが、もっと別様にいえば求道的といってみたくなるほどに、韜晦に徹した自律的なものだ。わたしが、後年知る清水径子は、この時の清水径子と寸分違わない像としてある。しばしば、全句集刊行を固辞する清水は、わたしに向かって、わたしのようなものの句集なんて誰も読みませんよと繰り返し述べるのだった。これは、もちろん読者を無視したいい方でも、謙遜を含んだいい方でもない。要するに、句集というかたちにまったく拘らないでの表現を自分は志向しているのだといいたかっただけなのだ。今年、九四歳になった清水は、七十年にも及ぶ俳歴のなかで句集は四冊。ここ十年でも二冊というのが信じられない少なさだ。それは、詩や短歌もそうであるように、どんな高名な作家でも、基本的に自費出版が多いということを意味している。それでも、大きな結社を主宰していれば、様々なメリットがあり企画出版と変わらないかたちで出せることが可能だが、それはほんの一握りだ。
 だが、第三句集『夢殻』(一九九四年刊)、第四句集『雨の樹』(二〇〇一年刊、第十七回詩歌文学館賞受賞)で、わたしたちの眼前に清水径子の世界を見事に屹立させたことは、いうを待たない。そして、さらに拡がった径子俳句の読者にとって、入手困難な初期の二句集(『鶸』、『哀湖』)への渇望が当然のように起きてきたのだ。
 わたしたち(清水が所属している同人誌「らん」のメンバー四人とわたし)は、ならば、刊行会を編成して、直接購読を募り(句集は贈呈しあうのを常としている)、それを制作費にあてて、清水径子の全句集を出そうと思い立ったのは、ほとんど自然な流れのようだったと今にして思う。
 企図してから一年、思いのほか早く、このほどようやく全句集が刊行に至った。あらためて、豊穣な詩的世界にただ瞠目するだけでいい。わたしはいまそんなふうに思っている。刊行会の編集委員を代表して鳴戸奈菜は、「清水径子の俳句は、日本文学の本質の一である抒情を俳句に汲み入れた類いまれな作品である。俳句の財産として、現在はむろん後世まで大事に読み継がれることを願い、また確信している。」(「刊行のことば」)と評している。それ以上のことはもういわなくていいだろう。径子俳句には、月並な批評を排する強さがあるのだから。

 野菊流れつつ生ひ立ちを考ふる(『鶸』)
 老いられぬ夏潮のかく溢れては
 弟に白梅わたす夢の中
 くだかるるまへに空蝉鳴いてみよ(『哀湖』)
 流れより野菊を拾ふめぐりあひ
 肉体のいづこを押せば梅の花
 生の空死の空いまは春の空(『夢殻』)
 慟哭のすべてを蛍草といふ
 負けの記憶都忘れを呉れたるよ
 妄想の草深ければ鳥兜(『雨の樹』)
 おいしい水にわれはなりたや雲の峰
 転生の直後水色野菊かな
 ぽんと肩を叩かれて今日子規忌か(『雨の
 樹』以後)
 ちらちら雪弟よもう寝ましたか
 知つてしまふ事の淋しさ花野とは

 「野菊」や「弟」は清水径子がしばしば取り入れるモチーフだ。だが、最初期の『鶸』から『雨の樹』あるいは『雨の樹』以後にあっても、「野菊」や「弟」は変わらなく緊密性をもった詩語としてあることに驚く。そこには絶えず濃密な想いが一貫して込められているからだ。熱い抒情といえばいいだろうか、それが詩魂として内在しているから径子俳句はわたしたちの内奥を撃つのだ。
 いま、この全句集によって、清水径子という類いまれな表現者のすべてと触れ合うことができることになったことを、刊行会という立場を離れ、純粋に読者として、わたしはいま、あらためて僥倖なことだと思っている。

※『清水径子全句集』
四六判 260頁 定価5800円・送料梱包代400円(直接注文は、合計金額6200円を郵便振替で00150-3-64543口座名・燈書房)
発行・清水径子全句集刊行会/発売・らんの会

(『図書新聞』05.4.9号)

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