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2006年5月 9日 (火)

「『千年の愉楽』考・二」

 『鴉天狗』。「路地」でただ一人の産婆であるオリュウノオバが語る「浄らかだからこそ澱んでいる」、「中本の一統」の血をめぐる物語は、「路地」が招来してしまう忌避できない死という劇だ。それは、「路地」の若者たちの熱くたぎる生き急ぎが、外界を「路地」に反照させて、解体させているからだといってみたくなる。オリュウノオバは、産婆であることで、若者たちの「生誕」に立会い、そして、生き急ぐ若者たちの早すぎる「死」を抱懐する。「死」を「再生」させるかのように、また、産婆として「生誕」に関わっていく。オリュウノオバの視線は、「髪が黒々として体中くまなく産毛と言えぬような毛でおおわれ」て生まれ、「女親のカネが異類の子を孕み産んだのではないか」と思われた文彦へと向けられていく。全身の毛は一月経って消え、「どんな異類の徴候もみられな」い文彦が六つの時、「鴉天狗」を見たと告げる(「天狗の松」)。オリュウノオバは、暗い予兆を思うのだ。

 『巫女』。文彦は、中学を出てから飯場を転々とする。修業する巫女の集団が、食料や生活のために必要なものを買い求めるために飯場の近くで女郎屋をはじめた。そこで知り合った女を、「山の中で出会った」として、文彦はオリュウノオバのもとへ連れて来て「どうしたらいいだろうか」と聞く。巫女だった女と文彦の出会いを「中本の血の若衆にふさわしい淫蕩だがあえかな物語」だとオリュウノオバは思った。天狗の化身かとも思った巫女と文彦の暮らしが始まる。だが、ふたりの過剰な性愛の果てに、女は死に至る。中上健次の描写力は、この女の「死」を流麗に描ききったことにある。「一瞬に光りの塊のようになって熊野の山々が重なった方に飛び去った」女は、男を救済していくかのように死んでいったともいえる。中上の視線は、「路地」の若者たちへの熱愛がこもったものだ。 しかし、「生きていく気が抜けた」文彦は二十四の時、「路地の松に首をくくって死ん」だ。

 『タンゴ』。連作六篇からなるこの『千年の愉楽』は、「天人五衰」で物語を転位させているかのようだ。ある種、静謐な劇の流れから、戦後という時空がそうであったように、喧騒の場所を過剰に描出していく。明治近代国家は、「穢多解放令」を公布した。だが、むしろ苦難の時間性は重層していった。だからオリュウノオバは、「猿のように獲られて死んだ者」を思いながら「滅びるより増える方がよいと説いてまわり産ませ」てきたのだ。路地の若者あるいは中本の一統は、沈潜した時間性を払拭させるかのように、熱くたぎる夢想を抱こうとする。それは、なによりも「路地」の宿運を解き放ちたいという無意識の「夢」だといっていい。終戦の翌々年の夏の盛りに康夫は、誰も眼にしたことのない蓄音機を携え路地に戻ってきた。そして、タンゴを聞かせ路地の者たちを驚かした。「音」が「声」が「踊り」が聞こえてくる。中本康夫ことオリエントの康はそんふうに登場する。

 『理想の国』。中上の描く「路地」は、国家や共同体から排除された場所だ。だからこそ、「路地」の失われた共同性を獲得し、転化させ、それを発露として、世界へ反照させていくしかなかったのだ。オリエントの康は、「新天地をつくりたいと奇異な情熱を持って」路地の若衆たちを説いて廻っていた。それは、「路地の高貴な汚れた血の本能の命ずるまま」つくるもう一つの満州国のようなものだった。昔、子供の頃に路地から何家族もバイアという土地へ移住していったことを、康は覚えていた。譲司に新天地の場所を聞かれ、「南米のバイヤじゃの」と答えるのだった。こうして、「日本人として新天地で理想の国をつくる事」など、「三カ条の規約をつくり六人の血判を押し」て鉄心会という名の組をつくった。そんなオリエントの康をオリュウノオバは想う。「誰かの為にそんな見も知らぬ他所の国へ行こうとしたのではなく」、ただ死に向かうオリュウノオバの為だった気がした。

 『蓄音機』。オリエントの康は、ダンスホールで地廻りの若衆たちにピストルで撃たれ瀕死の重傷を負う。鉄心会の手下たちが地廻りの者たちとイザコザを起こしたからだ。
「痛みが心臓の動きと共に響いているのを耳にしながら、(略)眼を閉じれば裸足で新天地の道路を横切っている髭面の自分が見えると思い、痛みの呷きとも溜息ともつかぬ声をあげて手をのばして自分をはげますように蓄音機を廻して針を下ろした。」(「天人五衰」)
 やがて、康は集団で新天地に行く事を断念する。そして、蓄音機から鳴るタンゴの音とともに路地の者たちが踊っている場所で、一番の手下だった譲司にピストルで撃たれる。二度の「狙撃の祝福が厄を払った」かのように死ななかったが、その後、一人、南米へ渡り「死んだ」。「音楽は物の怪の力をもち」、「オリエントの康を彼方にとじ込め」たとオリュウノオバは思う。物語は、過剰な死を累積させながら、鮮烈な生を描出していくのだ。

(『点』02号・04.11.15)

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