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2006年5月 1日 (月)

M・L・ブッシュ 著(指昭博・珠恵 訳)『ヨーロッパの貴族―歴史に見るその特権』(刀水書房刊・02.11.30)

 わたし(たち)が、〈貴族〉というものを考えた時、わが国においては、平安朝時代の一時期を、ヨーロッパならイギリスに象徴される〈貴族〉階層というものを思い描くに違いない。
 戦前、〈華族〉と任ぜられた一群があった。近代天皇制の確立のなかから発生した特定士族の族称の意味合いがあって、かならずしも、〈貴族〉と同じ位相を持った階層というわけではなかった。わが国では、武士階級の台頭によって、いち早く〈貴族〉も天皇家の権力も無化されて、近代へ到達しただけに、長く歴史のなかに位置づけられ、しかも今でもイギリス社会に歴然として存在し続けているという意味では、〈貴族〉という階層概念は、君主制や王制に支えられたヨーロッパ独特のものだといっていいかもしれない。
 本書は、ヨーロッパ全域を対象に、時間性も古代末から現在までと、幅広く〈貴族〉の特権をめぐって論述している。
 「本書でまず第一に、そして何にもまして大きく取り扱うのは、貴族の特権である。なぜなら、特権こそが、ヨーロッパの貴族の唯一絶対欠くことのできない特質だからである。土地を持たない貴族もいたし、支配機構を持たない貴族もいた。また、その生活様式が、社会の他の人々と区別できないような貴族もいた。しかし、特権を持たないような貴族は存在しなかった。」(「序」)
 そして、著者は、「特権」を必ずしも権威や権力と結び付ける言葉として捉えていない。 「特権」とは、「慣習や法によって認められた権利であり、特定の社会集団だけが持つことを許され、また、親から子へと継承されうるようなものである。」と著者はいう。本書は、一貫してこのモチーフと視線を通し論述されているといってよい。しかし、正直言って、かなり難渋する著作だ。「特権」の内容をいくつかに細分化し、それを章立てにして構成し、地域・国家間を横断させ、時間も錯綜させながら論述していくという著者の方法は、精緻に論じていながらも、どうしても散漫さを感じざるをえなかった。
 このような、わたしの本書に対する初発の印象を払拭するかのように、訳者は、「あとがき」で、つぎのように述べている。
 「ブッシュが取ったのは、(略)これまで蓄積されきた先行研究をもとに、貴族の特権についてのエッセンスを絞り出すといった手法であった。それは、非常な力業を要する作業であり、おそらくは、新たに同じ作業を行なう研究者が今後現れることは期待できないだろう。」
 「エッセンスを絞り出す」手法といえば、確かにそうともいえそうだ。一九八三年にイギリス、マンチェスターで刊行された本書における〈貴族〉の「特権」というテーマを、二十年後の現在からの射程で捉え返すとしたらどうなるだろうかという、わたしなりの疑問は保留するとしても、著者ブッシュの手法が難渋さを感じさせながらも、それがかれの独自の際立った方法論からくるものであることは認めざるをえない。ただ、いくらか不満をいえば、「特権」をこれほどまでに細分化して論ずる必要があるのかいうことだけである。つまり、免税特権という財政上の特権、法的な免責特権、官職保有や議会における特権、名誉をめぐる特権、領主権や地主特権、といったこれらのことは、常にパラレルなものだといっていいはずだ。起源や発生の端緒、そして影響力の分析から消滅へ至る過程を丹念にそして微細に例証していく著者の方法は、訳者もいうように間違いなく力業に違いないが、わたしには、もう少し統合してロジカルに展開できなかったのだろうかという気がしてならない。しかし、〈貴族〉という位階制、「特権」という権威・権力性といった、どうしても、イデオロギー的な視線を向けやすいテーマを、著者は抑制した精緻な例証を変えることなく展開している。そのことは、歴史研究の重さを充分わたし(たち)に、指し示すことになるといってもいい。
 「貴族の特権は、貴族を平民から区別することによって社会を組織立てるとともに、さまざまなタイプの貴族のあいだに区別をつけることで、貴族階級を階層化させた。貴族の内部に階層があっても、平民と区別されるという効果がそのせいで損なわれることはなかったので、特権の存在は、貴族という階級に一体感を与えるのに役立っていた。」(27P)
 「特権が減少し、さらに貴族の称号が侵害されたことによって生じた階級秩序の混乱は、貴族の性格に深刻な変化をもたらした。(略)貴族は、概して爵位貴族と同義になったのである。(略)世襲貴族は、もはや階級というよりカーストの様相を呈するようになり、没落を運命づけられた。没落の原因は、(略)社会のエリート集団のなかで周縁的な存在にすぎなくなったことにあった。」(204P)
 「特権は、貴族の構造や定義を規定しただけでなく、特権以外に貴族らしい性格を何ひとつ持たない貴族の存在を認めたという点でも、貴族階級の成り立ちに深く関わっていた。」(292P)
 社会のなかのエリート集団でなくなるということは、ヨーロッパの歴史のなかでの〈貴族〉の問題だけに還元することではないかもしれない。例えば、大企業に勤務する人達が考えもしなかった倒産やリストラにあって、ただの周縁的な存在になってしまうことの恐怖が、この高度消費資本主義社会の現在に、間違いなく訪れているのだから。

(『図書新聞』03.4.12号)

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