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2006年5月21日 (日)

関口安義 著『芥川龍之介 永遠の求道者』(洋々社刊・05.5.20)

 漱石や鴎外、さらに芥川や太宰は、わたし(たち)にとっては青春期の必読の作家であっただけでなく、思考の初源を啓発させてくれるものでもあった。わたしの場合、芥川と太宰には、その独特のペシミスティックなニヒリズムとでもいうべきものに早くから泥濘していた。そして、いまでもそのことからの影響は払拭してはいないし、するつもりもない。
 ところで、長年、芥川研究を続けてきている著者は、本書で新しい〈芥川像〉というものを提示している。わたしなどが、いつまでも拘泥しているニヒリズムといった枠から、アクティビティな芥川龍之介というものへと解き放しているのだ。本書の出色さはこの一点に集約されるといってもいい過ぎではないと思う。
 国語教科書から、漱石や鴎外が除外され始め、芥川や太宰がどれほど若い人たちに知られて読まれているかと問えば、たぶん、かつてほどの多くの読者はいないと思うべきであろう。だが、本書の著者によれば、芥川だけは、いくらか様相が違うようだ。高校の国語教科書二十種すべてに、「羅生門」が載っているし、近年は海外での翻訳が活況を呈していて、「芥川作品の翻訳は、世界四〇か国を上回り、翻訳数は四百七十に及ぶ(略)。『羅生門』には三十を超える翻訳が存在する」(8P)という(もとより、黒澤明監督の映画『羅生門』への評価と関連がないわけではないと思う)。特に、韓国や中国で評価が高まっているということは、わたしにとって未知なことであった。著者はそうした状況をふまえ、新しい〈芥川像〉というものを開示してみせてくれている。
 例えば「芥川像の変容」として、韓国や中国での芥川評価は、「日本の研究者が見落としている面を拾い上げて」(92P)、芥川の歴史認識の先見性を指摘しているという。つまり、日本ではほとんど黙殺されている、中国視察旅行後に発表した「将軍」と「金将軍」の二編の小説を手がかりに、日露戦争や朝鮮征伐という歴史に借りて書かれる芥川の視線に注目する。著者がいうように芥川に反戦や朝鮮人への開かれた視角があるとすれば、生来の貧しいものへの同情感(わたしにとって愛読してやまない作品「蜜柑」は、そのことが最も顕著だと思われる)や、正義感のようなものだといっていいかもしれない。あるいは、啄木のように明快に社会主義思想へ共感できない部分が、ある負い目となっていると考えることもできる(「玄鶴山房」の最後の場面にリープクネクトを読む青年を登場させているのは、なにかわざとらしさがあるといっていい)。「芥川という作家を本当に知るためには、周辺を知る必要がある。(略)芥川という作家を知るためには境界はない」(202P)という著者独特の周辺研究の成果として、芥川の潜在するアクティビティのなかに徳富蘆花の「謀叛論」の影響があると著者は捉えている。わたしのように、人間のエゴイズムをほとんど救済のないかたちで描出する芥川文学のニヒリズムに共感することを、反転させる位相に、著者は〈芥川像〉を措こうとしている。もちろん、そういう面も確かにあるはずだと、思わずにはいられないほど著者の論旨は説得力にあふれているのだ。
 そして、「作品というのは、いったん作家の手を放れると自立する」(203P)のだから、多様な解読があってもいいのだとするテクスト論にもとづいて著者は、初期の代表作「羅生門」を次のように大胆に読み解いていく。
 「失恋(引用者註=格式の違いを理由に実父、義父たちに結婚を反対され断念した吉田弥生との関係)のやりきれない気持を、現実には吉原に行ったりして晴らしたけれども、それが単なる一時の慰みにしか過ぎないことを知った彼は、虚構の世界で反逆の論理を獲得するのです。(略)ひとりの貧しい男が羅生門の楼上で老婆と出会い、新しい考え、勇気を得る、それは『謀叛をしなければ人間は生きていけない』との蘆花の『謀叛論』に通う考えです。(略)正装をかなぐり捨てるかのように投げうって、虚構の世界で解放の叫びをあげた。それが『羅生門』であったという読みが浮上するのです。」(204~205P)
 幸徳秋水ら無政府主義者・社会主義者が天皇暗殺を計画したとして、十二人が死刑に処されるという大逆事件(一九一〇年五月)に憤怒した蘆花は芥川が在学していた一高で「謀叛論」と題した講演を行ったのが、一九一一年二月であった。芥川がそのことに触れた記述はないが、親友であった恒藤恭(旧姓・井川)の日記等には、その講演から受けた感銘の記述があるという。だから、芥川も影響ををまったく受けなかったことはありえないと論述していく。これが、著者の周辺研究の躍如だ。「羅生門」の発表は、一九一五年十一月、芥川、二三歳の時だ。「羅生門」が、本書のように、あの大逆事件との連関で、読み解かれることこそ、芥川文学の今日的意義があるといっていいかもしれない。
 本書は、そういう意味でも、芥川研究の新たな達成だというべきであろう。

(『図書新聞』05.8.6号)

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