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2006年5月25日 (木)

田畑信廣・和田渡・庭田茂吉他 共著『〈思考〉の作法―哲学・倫理学はじめの一歩』(萌書房刊・04.7.10)

 本書は、「哲学・倫理学の教科書」として当初、企画されたものだ。だが、著者たちの思いは、読者を拡張させる方向へと至ったようだ。必ずしも学生のための哲学・倫理学入門書といった限定した内容をもっているわけではない。なるほど、書名を『〈思考〉の作法』とした所以が了解しうる構成と論旨をとっているといっていい。全体を三部構成にして、第Ⅰ部「日常の中の『?』編」は、入門編といった意味合いをもたせている。だが、この第Ⅰ部こそ、本書を類書にない独自なものとして際立たせているところだ。著者たちは、本章の巻頭で次のように述べている。
 「日常生活の中で感じるふとした『?』。実はそれが哲学や倫理学の始まりなのです。何でもない当たり前のことも突き詰めて考えてみると、当たり前だと思うことにまったく根拠がなかったり、あるいは逆に当たり前でない何か特別なことのように思えてきたりします。」(3P)
 そして、ここで語られていくことは確かに、日常生活の中の率直な疑問を発露とした論旨が展開されていくわけだが、むしろ、自分自身が、現在おかれている場所を様々な角度から切開していく方途を示しているともいえる。
 経験(人間関係性や読書・学習も含めて)だけからは、現在の問題の「?」という問い掛けや疑問が発生しにくくなっているということはいえるはずだ。思想や哲学的なこと、あるいは思索的、思考方法といったことは、自分を取り囲む場所に対して、「?」という問い掛けや疑問から始まるが、方法論や思考マニュアルといったことを何の必然もなく、いくら多様に重層に習得したところで、日常という時空間に根ざしたものでなければ、空無な知識でしかないといえる。「なぜ自分のことが分からなくなるのだろうか?」、「『自己チュー』のどこが問題か?」、「なぜ思い通りにならないのだろうか?」、「良いことをするってどういうこと?」、「人間、どこまで責任を負ったらよいのか?」などの設問をたてながらも、ここでは、けっして人生訓や善悪論、皮相な社会正義論といったことを述べていくわけではない。あくまでも、日常という時空間に根ざした疑問を発生として、先行する哲学思想の思考方法のエッセンスを簡明に解説しながら、それらの疑問の切開へと至る方途の道筋を自力で推し進めることへ、著者たちは導いていこうとしている。本書は、いうなれば、極めてセンシティブな哲学のガイダンスといっていいかもしれない。「なぜ『ノー天気』じゃいけないのか?」では、こんな結語を示している。
 「『悩みつつ生き』『生きつつ悩む』こと、言い換えれば『哲学する』ことは、決して無駄ではない。それはあなた自身の人生を、深め、広げてくれるはずだ。」(27P)
 これは、率直な評言だ。第Ⅰ部で展開していることは、「哲学・倫理学」を特別な知識の習得といった地平から解き放とうということだといっていいと思う。簡明な入り口を設け、著者たちの熱い思考へのこだわりを読むものへと伝達しようという試みが、本書の第Ⅰ部の骨子であり、また本書全体の企図であるといってもいいはずだ。
 ところで、第Ⅱ部はいわば用語事典編であるが、ここでも第Ⅰ部の主意は継続している。「哲学や倫理学にとっての基本概念のほんの一部を、哲学史的な知識をできるだけ織り交ぜて、分かりやすく説明」(71P)していくために、絞りに絞った用語が引かれている。
 「意識」、「価値」、「神」、「行為」、「死」、「自然」、「実存」、「自由」、「真理」、「生命」、「存在」、「他人」、「歴史」、「私」の十四項目の選択眼は、確かなものだ。
 第Ⅲ部は、「講義や試験で出される課題や設問に答える際のお手本になりうる」(129P)として「お手本編」と題して、簡明さを強調しているかのようだが、熟読すれば、どうしても哲学・倫理学論稿集といったかたちになっているといいたくなる。たぶん、著者たちの本領は、ほんらいこの第Ⅲ部の論稿群にあるのだろうが、実は極めて、抑制的な論述が収められているのだ。まさしくそのことこそ、作法としての〈思考〉を表現しているのだといっていいのかもしれない。それでも、わたしは、次のような印象深い記述を、取り出したくなる。
 「神無き時代、しかもコミュニズムといった言わば『熱い正義のイデオロギー』の仮面が暴かれ、もはやそれに没頭できない現代において、『グリーン』は新しい宗教の代替物、救済のイデオロギーだというのである。むろん、こうした物言いを無批判に受容することは危険であろう。しかし、環境倫理思想、環境運動の将来を見定める上で無視することはできないと思う。(略)『緑のナチ』、これは私の愚かな『妄想』にすぎないのだろうか。が、すでに、『環境ファシズム』と言われる極端な『全体論的保存論』があることを指摘しておこう。」(179~180P)
 「現在、国際化とかグローバル化ということが、よく言われる。しかしその正体は、単にアングロ‐サクソン化することにすぎない場合が多い。これは文化帝国主義に屈することである。本当の国際化、グローバル化は、他なる者、差異に出会い、文化帝国主義や政治的テロによらずに連帯しようとすることから始まる。」(193P)
 これらの論述は、哲学・倫理学が学際的な場所を超えて、わたしたちの実感としての〈思考〉と重なっていく場所だといっていいはずだ。

(『図書新聞』04.7.24号)

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