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2006年5月20日 (土)

祖田浩一 著『不機嫌な作家たち』(青蛙房刊・04.2.21)

 「作家たち」とは、どういう存在なのだろうか。つまり、自分たちが愛読してやまない小説家の実像をわたしたちは、いくらかでも知りたいと思うはずだ。だが、普通の読者の場合は知ることはできない。しかし、「作家たち」の実像は、しばしば編集者や家族らの記述によってさらされることになる。本書の場合も、編集者という立場からものだが、表題がしめすように、いささか屈折した視線からのものだ。
 「あの頃は、いま以上に作家が輝いていた。どの作家も我儘で、自分勝手で、威張っていた。多忙さ故に『不機嫌』になる人もいたし、こちらの対応のまずさに立腹して、不機嫌になる人もいた。その内実はそれぞれに異なっているが、機嫌の良い日などは滅多になかった。コピー機もファックスも無い時代で、一回三枚分を毎日うかがって頂戴し、それを持って走り廻っていた。当時の原稿取りは惨めなもので、時たま共通の体験をした人にあうと、何故か懐かしさを覚え、話がはずむ。」(267P)
 著者は、昭和三十年代から四十年代前半にかけて、戦前からある「大系社」(長谷川伸の命名によるらしい)という通信社に勤めていた。小説を同人誌などに発表し続けていたいわゆる文学青年だった著者が二十代から三十代前半までの年齢の時だ。現在では、共同通信社が地方紙に様々な記事や企画原稿、連載小説などを配信していることはよく知られている(作家や評論家の小説や文章が、いくつもの地方紙に同時掲載されることになる)。著者が勤めていた通信社は、地方紙へ連載小説だけを専門に提供していた会社であった。出版社や大手の新聞社とは、どうしても差異ができる。多忙な作家の場合は、どうしても後回しになるのだ。そのため、いいようのない屈辱感を著者は数え切れないほど味わうことになる。週に何度も、あるいは一日に何度も作家の下へ行くことになる。あるいは作家の家で何時間でも出来あがるのを待つことになる。惨めというよりも、なにか凄まじささえ感じてしまう。さらに新聞の連載小説には毎回、挿画が入るから、原稿の遅れは画家の方へも波及していくのだ。「当時の原稿取りは惨めなもの」だったと述懐する著者の気持ちは、確かに、本書を読めばよく分かる。
 著者を惨めにした「作家たち」は、今日出海、檀一雄、松本清張、子母澤寛、中山義秀、そして水上勉などだ。
 「我儘」で、「自分勝手」で、「威張ってい」ても、彼ら「作家たち」は、著者がいうように、確かに「輝いていた」といってもいい。
 例えば、今日出海は、「新聞小説として書いたものは、わたしは本にしない。あれは一回ごとに読み捨てるべきものだから、書き下ろしの小説とは全く違うものだね。終わってからも本にしないというのが、わたしの主義です。」と述べたそうだ(14P)。実際は、毎日新聞などに連載した小説を本にしているらしいが、主張としては説得力に満ちている。
 檀一雄は、とにかく原稿をなかなか書いてくれなかったが、それでも檀流クッキングの恩恵をあずかったりして著者はなにか、檀との通交を甘受していたように思える。
 「先生の『小説太宰治』は放埓で、破滅的で、読んでいる分には無類に面白い。けれども若い時ならともかく、ある年齢になってからは共感ばかりもしておられない。今度読み直してみて、かつてのめり込むような形で『無頼派』と呼ばれた人たちと、その日々に寄せた熱狂が、自らの中から引いてしまっていることを実感し、年齢による硬直化であろうかと思ったりした。」(39P)
 松本清張と水上勉は、多忙を極めていた時期に、著者は担当となった。清張の場合は、原稿が進まず、八日間の休載を経験する。著者は「後頭神経痛」で三日間休養したり、胃痛で入院したりしている。水上勉は、清張と同じ様に、原稿の遅れが著しかったが、なぜか、碁をしたり、講演に同伴したりして、いつしか著者の小説を見てくれて、いろいろ教示してくれるという関係性にまでなっていく。そして著者は、会社を辞めた後、水上の秘書になった(264P)。
 本書では、けっして不機嫌ではない作家も取り上げられている。なかでも三宅雪子のエピソードはとりわけ、本書を印象深いものにしている。清張の挿画を担当した永井潔に教えられ、三宅雪子の『貧乏さん』(昭和三十四年七月刊)を知る。著者と同じ島根県で生まれ、精神薄弱児といわれながら小学校を劣等生として卒業し、大阪に出て女給や工員など職を転々とした後、上京し昭和三十一、二年頃、紙芝居屋になる。『貧乏さん』は、「三軒茶屋で一年四ヶ月だけ紙芝居をやった体験と、紙芝居屋になるまでの歩みを書いたもの」だ(99P)。著者は、地方紙に掲載する「異色の作家たち」という企画の記事を書くため、三宅に会いに行く。彼女は漢学者の家で、お手伝いさんのような仕事をして、世話になっていた。
 「通された部屋は、どの畳も破れていて、中の藁ががはみ出ている。どこに座るべきか、一瞬戸惑いを覚えた。一つだけ椅子が置いてあり、三宅さんはそれに座るようにと言われた。そこに腰を掛けていると、お茶を淹れて来て、わたしの足元の破れた畳の上に置かれる。」(105P)
 著者が書いた記事は、いくつもの地方紙に掲載され、そのうちのひとつ「河北新報」を読んだ読者から、「三宅さんの処にカステラ一箱を贈」られてきた。それを、半分に切って著者へといって会社まで(日曜日のため著者は不在だった)、三宅は届けに来たのだ。
 「思い出しても、胸が痛くなる。お礼の手紙だけは出した。その後、もう二度と三宅さんに会うことはなかった。もう生きておられないだろう。若き日のわたしに強い印象を残し、『半分のカステラ』ということを教えてくれた人である。口を開けば原稿料の安さばかり言う一群がいて、その対極に三宅さんのような人がいた。」(109P)
 本書は、このように、「作家たち」を素描していく。

(『図書新聞』04.4.3号)

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