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2006年5月15日 (月)

堀田貢得 著『実例・差別表現―糾弾理由から後始末まで情報発信のためのケーススタディ』(大村書店刊・03.7.7)

 中上健次は、被差別部落を「路地」として物語化した。わたしは、初めて中上の小説を読んだ時、「路地」を言葉そのものの意味として表層的にしか理解していなかった。もちろん、彼が出自とした場所を考えれば、もう少し踏み込んで理解できたかもしれない。だが、住井すゑの小説のように直喩的に語った時、その作品はどう位置づけられていくだろうか。あるいは、藤村の『破戒』のような作品を読もうとしたとき、または読み終えた時、作品理解は、どういう方位をもつことになるだろうか。中上の小説作品がもっている意味は、それらとは違った位置と方位をもっているといっていい。
 わたしは、中上が被差別部落を「路地」として物語化した時、初めて差別・被差別といういわれなき幻想の構図が解体されたと思った。中上の優れた小説作品の数々は、その作品性の達成度は当然のこと、被差別部落という位相をわたしたちの観念の諸相から排除したことが、作品はひとつの世界性を獲得したのだいっていいと思う。
 だから差別表現・差別用語といった問題を考える時、わたしは真っ先に、中上の「路地」という言葉を想起する。現実の差別構造が、差別表現・差別用語を喚起しているとしても、表現や用語への徹底した制限や停止という行動は、必ずしも差別・被差別構造を解体していく道筋に連動していくとは限らないとわたしには思える。中上のような「方法」で、そのような隘路を切開できないものかというのが、差別表現・差別用語の問題へのわたしの接近の仕方である。確信的に差別性をもって表現される言葉は、当然、否定されるべきあるし、逆の立場、つまり表現者側の表現の自由への侵害だと主張する、あるいは“言葉狩り”だと反論する立場にわたしは同調するつもりはない。難しいのは、無意識から発せられる表現・言葉であり、全く関連性がないと思われていた表現・言葉を掘り起こしてきてまで抗議する根拠への疑念である。
 長年、出版社で雑誌編集を体験し、「表現を考査する立場」にいた著者が著した本書は、“人権差別”という視点を基底に置いて、差別表現を徹底的に検証し、多様な経験から導き出された著者なりの「表現基準」を提示したものだ。差別用語をまず例示し、それにまつわる事件例を紹介し、著者の解説が示されていくという構成をとった本書は、表現に携わる者にとっては格好の手引書的意味をもっているといっていい。
 だが、本書がもっている意義あるいは意味はマニュアル書的な場所ではない。また、差別をめぐる表現の在り様とは、著者が強調するような“人権”という位相に関わることではないとわたしは考える。言葉で何かを表現するということは、伝達行為であるとしても、そこでは、関係性のなかの言語という場所を引き寄せている。発する言葉・言語・表現が関係性のなかでどういう意味を帯びていくのかということに、わたしたちは自覚的であるべきなのだ。語る相手・表現対象が、被差別部落出身者であるとか、在日朝鮮韓国人であるとか、身障者であるということが問題なのではない。異和は異和として認識すべきであって、異和が差別化・差異化に転化していくことを、わたしたちは意識下で制御すべきなのだ。何気なく、相手の容姿や体形、性格をあげつらうことでも、差別(差異)用語を発したことになる。言語や言葉は想像(イメージ)の表現なのだ。直接的で皮相な表現は、関係性の齟齬を招くだけだ。
 例えば、賭殺場や魚市場で働く人達を、腐臭を嗅ぐように言葉を発したら関係性は崩壊する。職業を差別化して、“ふぜい”と形容することも当然避けるべき言い方だ。わたしは、言葉は想像力の表現だと考えるから、著者がいう“人権”や表現の自由といった問題に必ずしも収斂させるべきではないと思う。差別意識や差別構造を問う前に、まず私たち個々人が関係言語をどう発すべきかという原初の問題にたつべきなのだ(表現行為を仕事としているものにとっては当然のことだ)。わたしは、あまりに空無な原理論を展開しているのだろうか。そうではない、中上の「路地」という言葉の想像力こそ、差別意識や差別構造を解体できる道筋だという考えを、わたしは手放すことはしないといいたいだけなのだ。
 「言葉は時代とともに変わって当然のもの、人間対人間の最大のコミュニケーションツールなのだから、その言葉が相手の心に痛みを感じさせたり、屈辱感を与えるものならば、変わって当然だと考えるからである。(略)言葉は結果として人間を幸せにするツールでなければならない。『表現の自由』も同じである。時代とともにしなやかに変化して当然なのである。」(191P)
 著者がこう述べることに、わたしはもちろん異論はない。

(『図書新聞』03.9.13号)

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