« 「『千年の愉楽』考・一」 | トップページ | 檀 一雄 著『太宰と安吾』(バジリコ刊・03.4.30) »

2006年5月11日 (木)

山折哲雄 著『日本人の情感はどこからくるのか』(草思社刊・03.5.9)

 『天皇の宗教的権威とは何か』、『神から翁へ』といった代表的著作を通して、七〇年代から八〇年代にかけて、わたし(たち)に大いなる刺激を与え続けた山折哲雄の最新著作は、著者には不釣合いな感じにも思える、よくありがちな〝日本人論〟といったマニュアル本的な装いをもって出された。雑誌「草思」に「女子大生のための日本文化史」と題して、二〇〇一年五月号から二〇〇二年四月号まで連載された文章を中心に纏められた本書を、〝入り口〟が一見やさしくみえるという意味で、ありがちなマニュアル本と、いったまでだ。通読してみれば、山折の思考が変わらず刺激的に展開して、難渋な思想的世界を開示しようとしているのが分かる。七〇年代から八〇年代にかけての山折哲雄の刺激的な仕事をある意味凝縮し、ここでは平明に語りながらも、その思考の方位はけっして揺れ動くことなく表明されている。
 本書は、十五本ほどある文章群を、ある程度の共通する内容の腑分けをして全体を三章で構成している。
 以下、概括してみれば、まず第1章「日本的情感とは何か」では、「日本人の涙」について独特の切り口で語り、村瀬学の『13歳論』に喚起されながら、少年と大人の境界域について光源氏を通して述べていく(「光源氏が『男』になったとき」)。そして、一九九七年の八月、イギリスのダイアナ妃が事故死した時の、日本の新聞報道に関して言及していく(「『ピープル』をめぐる混乱」)。首相のブレアがダイアナを「ピープルズ・プリンセス」と発言したことにたいし、各紙が「猫の目のようにクルクル変わる名称で表現した」と指摘する。例えば、毎日新聞は、「人民の皇太子妃」、「民衆のプリンセス」、「国民のプリンセス」と変動していたという。読売新聞はピープルを一貫して「国民」とし、朝日新聞は、「市民」と「国民」が混在していたとして、山折の思考は次のように発露される。
 「私は、『ピープル』か『ネーション』かといった難しいことをかならずしもいっているのではない。いったいいつまで、われわれは国民、民衆、市民、人民、大衆といった、言葉の重層性の森のあいだをさ迷いつづけていくのだろうか、という自己認識の錯乱のことをいっているのだ。」(80P~82P)
 「そのような自己分裂的な性格を、私は以前、『半・日本人クライシス』と呼んでみたことがある。(略)そのような『半・日本人クライシス』の意識の中に、むしろ日本文化における固有の問題があるいはひそんでいるのかもしれない。文化や文化意識の『重層性』の問題といってもいい。」(87P~88P)
 ここでいう重層性は、いつしか多様性へ、あるいは曖昧性へと連関していくといっていいはずだ。
 第2章「十字の文化、卍の文化」では、「心臓の交換」に視線がいった。キリスト教と仏教の差異のなかに、臓器移植や脳死の考え方が内在していることを指摘して、興味深かった。第3章「失われたものへの思い」では、俳句に関して述べている「銀河と共に西へ行く」が本書の中ではいくらか異色な文章といえそうな気がする。「俳句研究」誌に発表されたその文章を、なぜかわたしは、初出時に読んでいる。虚子は、わたしにとって、それほど親近性がもてない俳句作家だ。しかし、この銀河の句といい、「貫く棒」の句や、山折は引いていないが「春風や闘志抱きて丘に立つ」といった虚子の句は、花鳥諷詠を認ずる作家の作品とは思えない際立った作風だといっていい。山折はそんな虚子の「不遜」な句の裏側を分析してみせてくれている。
 わたしが、本書の表題(主題)にそって〈日本人の情感〉を考えてみる時、やはり天皇制の問題に突き当たる。『天皇の宗教的権威とは何か』の著者ならではの文章「天皇と玉座」が第2章に収められている。宇多田ヒカルや浜崎あゆみの詩が引かれたり、『ゴルゴ13』が援用されたりする本書だが、この「天皇と玉座」こそが〈主題〉として読まれるべきである。
 「そもそも『女帝』というのは、『皇帝』の女性版ということだろう。けれども私は、(略)天皇はそもそもエンペラーなどではなく、テンノウというほかない存在だと考えてきたからである。(略)天皇という呼称のなかには、そもそも男性も女性も含まれていたからだ。」(131P)
 雅子妃が内親王を生んで、女帝待望論がマスコミを駆け巡っていることに対し、このように、述べていき、そして王が即位する時に儀礼的に座る玉座について、解説しながら、天皇の継承祭儀、大嘗祭へと言及していく。
「はじめに」で、山折は日本人の情感はどこからくるのかと自問すれば、「想像の翼がどこまでものびていくような気がする。」と述べている。比喩的な捉え方をすれば、「言葉の重層性の森」を「想像の翼」がどこまでも飛翔して、言葉と思想の問題の端緒を切り開いて見せてくれているのが、山折哲雄の最新著作だといっていい。

(『図書新聞』03.7.12号)

|

« 「『千年の愉楽』考・一」 | トップページ | 檀 一雄 著『太宰と安吾』(バジリコ刊・03.4.30) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/92515/1758173

この記事へのトラックバック一覧です: 山折哲雄 著『日本人の情感はどこからくるのか』(草思社刊・03.5.9):

« 「『千年の愉楽』考・一」 | トップページ | 檀 一雄 著『太宰と安吾』(バジリコ刊・03.4.30) »