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2006年5月11日 (木)

檀 一雄 著『太宰と安吾』(バジリコ刊・03.4.30)

 太宰治、坂口安吾そして檀一雄と並べてみれば、誰でもがこの三人を、「無頼派作家」というカテゴリーの中に入れるはずだ。安吾は壇より六歳年長、太宰は三歳年長だが、それぞれ濃密な関係性をもっていた。檀は安吾との通交を「私の生涯の出来事で、この人との邂逅ほど、重大なことはほかにない。」(本書262P)と言い切り、太宰とは、「破滅していたもの同志が、わずかに最後の狂乱を演じていた」(97P)ような「親昵(しんじつ)」な関係だった述べている。
 本書では、「無頼派作家」ならではの象徴的な出来事が綴られている。「第一部 太宰治」では、「熱海行」、「第二部 坂口安吾」では、「安吾・川中島決戦録」がそうだ。
 「熱海行」は、こうだ。太宰の最初の妻初代に頼まれ、七十円をもって仕事で熱海に長逗留している太宰のもとへ届けに行く。その金は、宿泊代はもとより飲み代、遊興代の支払いのためであったが、檀が着くや否や、なぜか支払い先の飲み屋の親父ともども、三人で「生簀から抜いてくる」たねであげる〝てんぷら屋〟で早速、二十八円七十銭を使ってしまう。その後は、太宰と檀の「狂乱」の日々がつづく。三日後に、檀を残して太宰は、「菊池寛の処に行ってくる」といって東京へ発つ。しかし、何日か経っても太宰が戻ってこなかったため、たまりかねて、東京へ戻り、太宰を捜し当てる。太宰は井伏鱒二の家にいた。結局、宿代、遊興代は、井伏の奔走で佐藤春夫の世話になる。太宰は自分のことを信じてくれずに、東京に戻ってきた壇に言う。「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と。壇は、「この言葉は弱々しかったが、強い反撃の響きを持っていたことを今でもはっきりと覚えている。」と記す。そして、このことが、後年、作品「走れメロス」の「心情の発端」になっているのではないかと、壇は考える。
 一方、「安吾・川中島決戦録」は、安吾が亡くなる二年ほど前の夏の出来事だ。このころ安吾は、激しい鬱気に襲われることが多かった。出版社の企画で謙信を安吾に、信玄を壇に見立てて川中島の現地取材に行き、松本に十日ほど逗留した時だ。「いやはや、大変な旅であった。折からの炎暑のせいでもあったろう。安吾の鬱気が爆発して全く酸鼻と言いたい程の荒れ模様を呈し、殆ど収拾がつかなかった。」と壇はその時のことを回想する。「酒・薬・女」の日々だ。夜になって急に上高地へ行こうと言い出し、ウィスキーをあおりながら芸者たちとともにタクシーで向かう。泊まるところがなく、結局、宿に戻ったのが夜中の二時だ。檀が不在の時、安吾は暴れ出し宿の鏡台を二階から投げ飛ばし、日々の暴発に番頭がついに警察沙汰にしてしまい、留置される。翌日、宿に戻ると、息子が生まれたと連絡が入る。「赤ん坊は親父がブタ箱に入ったことをチャーンと知ってやがる。それで、親父がブタ箱から出たところを見はからって、オギャーとうまれてきたらしいや。」と安吾は壇に「ホッと一息ついたような(略)淋しい、しかし毅然とした微笑」で語りかけてくる。
 これらの出来事を、「無頼派作家」達らしい顚末として読み通してしまうことは簡単だ。待つ身と待たせる身について吐露する太宰にしても、毅然とした微笑をする安吾にしても、わたし(たち)は、「無頼」という言葉がもつイメージから遠く離れた感性を見る思いがする。そういう感性の場所を、吉本隆明は「解説」で次のように見事に言い当てている。
 「太宰治、坂口安吾の他、織田作之助、石川淳、檀一雄といった、いわゆる無頼派と呼ばれた作家たちは、それぞれ良質な作品を残しているが、彼らは、女、薬、酒といった表層的なデカダンスと裏腹に極めて大きな倫理観を持っていたように思う。これが一見無頼派的にみえる彼らの作品の奥底に流れていた、生涯をかけた大それたエレヴァスであった。」
 確かにそうだ。檀の太宰や安吾に対する語り口に、親和性を読み取れることは、当然として、その親和性は、「表層的なデカダンスと裏腹に極めて大きな倫理観」からくるものだといってもいい。
 「太宰は自分のひそかに愛するものがあると、その表現に心魂を砕く。」(「紫露草と桜桃」86P)
 「殊更、太宰治は初代夫人と別れなくてはならないような出来事が起こったり、パビナール中毒が昂じたり、まったくのところ、破滅寸前でありました。
 その太宰が、辛うじて、逃げのびていったところが、御坂峠の天下茶屋であり、その時の蘇生の記録が、ほかならぬ『富嶽百景』であります。いきいきとした素朴な蘇生の感情がみなぎっており、まわりの風物と美しく照応しながら、時にユーモアさえ溢れ出して、稀に見るような傑作をなしております。」(「太宰治と人と作品」196P)
 「安吾その人は、一見はなはだ磊落放胆に見えながら、その実、きわめて暗鬱厭人の人柄でもあった。その放胆は、即ち傷つきやすい安吾の尖鋭な精神が装った人間に対する優しい最後の友愛の手でもあったろう。」(「坂口安吾論」212P)
 「心魂を砕く」、「素朴な蘇生の感情」、「優しい最後の友愛の手」といった檀一雄の太宰と安吾へ向ける視線もまた、〝優しい〟倫理観のようなものが漂っているといってもいいはずだ。一九六八年に刊行されたものの復刊である本書は、最高の表現者たちの息遣いを、生き生きと伝えていることで、時間を超えて、〈現在〉を考えるためのテクストであると言い切ってしまうことは、わたしの過剰な思い込みだろうか。いやそうではない、そう言い切ることに、わたしなら確信がある。

(『図書新聞』03.10.4号)

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