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2006年5月 1日 (月)

森 茂起・森 年恵 著『トラウマ映画の心理学―映画に見る心の傷』(新水社刊・02.12.10)

 本書は、今までになかった入り口をもっている。臨床心理学の著書として読めて、さらに映画批評・映画論としても読めるという極めて独自性をもったものだ。だからといって過剰さを押しつけるようなことはない。著者(たち)は、率直に本書の意図を、「あとがき」で次のように述べている。
 「本書の狙いは、トラウマに関する知識を、説明するよりも、映画に描かれたトラウマを考えていくことで、その直面の過程を少しでも言葉にすることにあった。」
 確かに、具体的な臨床例を叙述されて、トラウマ論を展開されるよりは、映画の物語に添って、「心の傷」をもった登場人物の内面を分析して語られるほうが、はるかに了解の道筋は見つけやすい。しかし、トラウマ映画とは、なかなか意味合いを持った銘々だと思う。トラウマを描く映画という意味であるとしても、考えてみれば、映画や小説は、どこか「心の傷」を持った人物やモチーフというものがなければ、物語としての厚みがないといってもいい。映画や小説は、広義の意味において、すべてトラウマを扱っているというべきかもしれない。
 本書では、九本の映画作品をテクストとして選んでいる。洋画では、『質屋』、『フィアレス』、『心の旅路』、『秘密の花園』、『めまい』、『バッファロー’66』の六本。邦画は、『愛を乞うひと』、『噂の女』、『ユリイカ』の三本だ。このセレクションが、妥当かどうかということは問題ではない。本書の意図に沿っていうならば、臨床心理学的アプローチで、これらの作品を、どう分析しているのかが重要になってくるのだ。そして、さらに、それらの映画作品批評が屹立した地平へと到達しているのであれば、著者たちの意図が完遂したことになるといっていい。
 読後、著者たちの意図は十全に果たせたなというのが、わたしの素直な感想である。作品の物語を丹念に辿りながら、映画的手法の解説も適時にしつつ、それぞれの作品世界を批評として提示する手さばきは、見事という他はない。
 例えば、『質屋』のフラッシュバックシーンにふれながら、「トラウマによって引き起こされる心の働きの離断」を「解離」と呼ぶと説明して、次のように述べていく。
 「解離された記憶には、通常の記憶とは違うきわだった特徴がある。(略)自分の意志と関係なく、いきなり襲ってきたり、また思い出そうとしても思い出せなかったりする。記憶がなにか異物のようにして心の中に食い込んでいて、勝手に暴れたり静まったりするのである。『質屋』のフラッシュバックシーンは、このような記憶の性質をよく表している。」(20~21P)
 さらに、『愛を乞うひと』にふれながら、「本書で扱う映画の多くが、過去が現在の中に入り込む物語である。その入り込み方とその扱い方に、主人公のトラウマの性質が現れているとともに、それぞれの映画のトラウマ理解やトラウマ表現の核心がある。」(46P)と著者たちはいう。
 わたしが、本書で取りあげた映画作品の中で最も関心をもったのは、『ユリイカ』だ。
 この上映時間、三時間三十七分に及ぶ長大な作品は、公開時、様々な波紋を呼んだ。作品評価は、批評家にはおおむね高かったといっていい。バスジャック事件に遭遇し、生き残ってしまったバスの運転手(役所広司)と乗客だった兄妹(宮崎将、宮崎あおい)の「心の傷」を描いた青山真治監督作品は、確かに大変、力ある映画だ。本書の著者たちもいうように、事件の描き方は秀逸だ。トラウマの契機となった事象を描出せず、しかも、一切フラッシュバックは用いない。運転手の止まらない「咳」と、言葉を発しない兄妹たちを、延々カメラの視線が追い続けるといった映画なのだ。事件から二年後の、運転手と兄妹たちとの奇妙な共同生活は、見る側にとって大変退屈で時間の流れの緩慢さに苦痛ですらあった。しかし、マイクロバスで旅立とうとするまでの契機を描くためには、この遅延した映画的リズムは、この作品の最も重要な場面の連鎖だといえるのかもしれない。宮崎あおい演ずる妹、梢は最後に言葉を発する。ユリイカとはギリシャ語で「発見する」というほどの意味だが、言葉をついに発したからといって、けっして救済されたというわけではない。全篇セピア色のモノクロ,シネスコで撮られたこの作品は、最後のシーンは、役所と宮崎あおいの二人のショットをカラー映像の空撮で終えている。著者たちはいう。
 「最終シーンの色からうける印象はおそらく人によって違うであろう。私の個人的印象で言うならば、映画に色がつくことで、突然現実に引き戻されたような失望感があった。(略)現実的な色彩の世界に出ることは、目に痛いとでも表現したいような『苦痛』を伴うものだった。(略)梢がトラウマの領域を出て、現実世界を生きるには、この苦痛の何万倍もの苦痛を伴うのではないかとも感じる。」(217P)
 わたしの関心からいえば、本書は映画批評の中に、新たな波をたてるはずだと確信している。

(『図書新聞』03.3.1号)

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